8 曖昧な窮地
また一つ。また一つと命が消える。
各々、最後の叫びすらも許容されず、あまりにも唐突にその生命に幕を下ろす。
道に連なるは屍の山。漂うは死の臭い。
足を血に染めた死神は、肩を落とし鬱憤と共に溜め込んだ息を吐き出す。
「何事かと思ったけど……案外あっけないのね」
その呟きに、言い表せない絶叫を持って異を唱える『異怪』が一匹。緑色の毛皮を被った熊の、関節が二つある四本腕が今彼女の息の根を止めようと唸る。
されど校庭に向かう足は止まらない。襲い掛からんとする『異怪』には目もくれず、彼らの体液でできた池をパシャパシャと音を立て、淡々と歩を進める。
警戒もしない彼女に怒りを覚えたのか、更なる怒号を重ね彼女を叩き潰そうと思い切り腕を振り下ろした。
確かに、下ろしたのだ。
ただ、彼女に届かなかっただけで。
一枚の写真に撮られたかのように、熊の『異怪』は動けない。金縛りにあっているかのように、強制的に自分の動き、身体全体が見えない何かに拘束され、遮られている。
そして、ズッ、と熊の身体の方から肉を裂く音がした。スプリンクラーさながら身体にできた穴から体液が噴き出す。
たちまち熊の『異怪』の視界が暗転し、軽い地響きと共に地に伏した。地面につくられている池にその死体の体液が新たな供給をし始めた頃、あーっ!という驚きが混じった悲鳴が虚空に響く。
すると、それに呼応するように少年がフッとどこからとなく現れた。
「ちょっと!翔璃君!さっきのキモい奴の体液が服についちゃったじゃない!もっとスマートに殺れなかったの!?減点よ減点!」
「…すまない………、いや、でもついているのは跳ねた程度だし…」
「黙らっしゃい!私の一張羅なんだから!」
「いや……その程度、ドゥさんに頼めば綺麗にしてくれるだろう」
「それでも!女の子にとって服は特別なの!あと気分の問題!」
「えぇ……じゃあ今度あのパンケーキ奢るからそれで勘弁してくれ」
「……………、約束よ」
ぷくー、とわざとらしく頬を膨らませる彼女。名を藤萩花蓮。その名を知らぬ者はこの学校にはいまい。何故なら、彼女こそこの学校の生徒会をまとめ上げている長なのだから。
それに対し、花蓮の傍らで意味ありげに目を細めている彼。名を錐村翔璃。翔璃の役職も花蓮と同様、生徒会であり副会長の席に座している。
彼らの歩みと共に、ジャラジャラと鎖の擦れる音がするのは翔璃の武器によるもの。鎌と槍。それらが持ち手の部分で鎖によって連結されている。その先端が濡れているところが意味するのは、言うまでもなく彼らの歩いた道に連なる『異怪』は全て彼が命を絶ったという事だ。
「それにしても相変わらずな『異跡』よね、貴方の。『異元感知』持ちじゃない『異怪』からすれば抵抗しようがないもの」
「…まぁ、すぐに死んでくれるのは手間と時間が省けていい事だとは思うんだが」
それに、と彼は特殊な柄のマフラーで隠れた口をへの字に曲げる。
「『異元感知』さえあれば俺の『異跡』はそれほど脅威ではないように思う。というか、花蓮の『異跡』の方が俺は利便性や応用が効いて優れていると思うが…」
「あー!もう思う思う、ってうるっさいわね!その消極的な思考回路はいつになったら直るわけ!?まずは私の前ではやめるように言わなかったっけ?」
「…すまない……尽力はしてるんだがどうも…」
きまりが悪い返事に花蓮の眉根がさらに寄る。もう!と一声あげると彼の頬を両の手で引っ張りまわした。
「こ・れ・か・ら・は・気・を・付・け・ま・す、でしょ?」
「……ふぁい、ほへはあぁやひおひゅけまひゅ」
ん、よろしいと手を放す。先程まで『異怪』たちを一人で瞬殺していたとは思えない面が彼の顔に浮かんでいた。自分の頬をすりすりしていると、花蓮の目が正面と彼の方を行き来するようになる。
「………あの、痛かった?」
「……痛かったなー…頬がちぎれるかと思った」
「割り勘!さっきの割り勘でいいから許して!」
…チョロい…と再び目を細める翔璃。自分をどうこう言う前に、まずは稀に見せるそのポンコツさをどうにかした方がいのでは、という喉まで出かかった言葉が彼にはあった。だが自分への非難に対し人一倍繊細である彼女の前では黙っておくのが吉であろう、とそれを喉の奥に押しとどめる。
突然の『裏側』発生の事態に二人とも最初は緊張感を持っていたが、思いのほか敵が弱かったせいか幾分緊張が解けていた。勿論常に気は張っているが、話題の方は朗らかなテーマに移っていく。
「それはそうと、もう少し人手が欲しいな…」
「そうよねぇ…なんだってこんな重労働をこんな少人数でやらせる不効率さを受け付けなきゃならないの……あー、しかもまだ部活の予算案の集計があるでしょ?もうあっちもこっちも……先輩たちがいてくれたらまだ楽なのに…」
「まぁ、また新しい一年生を引き込めばそれだけ負担は減ると思うぞ、会長」
「今年は何人いるのかなぁ…『新芽』の一年生は…」
○○○
連続的に廊下に響く足音。それが先程からちょくちょく止まる度に、苛立ちを催す舌打ちがおまけとしてついてきている。生徒たちに躾を施す教育機関の場所に似つかわしくない野太い声が、誰もいない廊下に木霊した。
「ダァあああ!ウザってェ!どうなってんだこの学校!!」
ただならぬ『異元』を感知し追ったまではいい。だがその先、校舎で道に迷っては元も子もない。両手に特殊な手甲のようなグローブを纏ったおっさんは頭をわしゃわしゃと掻く。
「走っても走っても全ッ然発生源に辿り着けゃしねェ!これ全部ぶっ壊せりゃ楽でいいのになァ……てか、こんなに行き止まりがあるって構造的におかしくねェかコレ?マーズの野郎…どんな設計したんだっつーの!」
彼が悪態をついた直後、廊下の奥から声が届いた。
「全く…この地で私をその名で呼ぶなと前にあれ程言った筈だが?…それに私が設計したのではないぞ、『G,1』」
嫌味だっつーの、と声の方に振り返ることなく口を尖らせる『G,1』と呼ばれたおっさん。彼の後方には、近づく人影が二つ。
片方はマーズと呼ばれた中年の男性。彼の名は生徒たちからすれば校長で通り、また『G,1』などのもう一つの仕事の関係者からすればマーズで通る。
「久しぶりだなァ……えぇと、なんつったかこっちでの名前は…マーズだから、まー…マツコだったっけか?」
「マコトだ。直柔真言。本当にお前は昔から物覚えが悪いな…全く」
溜息を吐きながら校長は目の前の巨漢を見上げる。加えて、前に会った時から何も変わっていないだらしない容姿に呆れながらも、旧友にまた生きて再会できたことに心のどこかで安堵する自分がいた。
「そういうお前こそ相変わらずダッセェ服着てんなァ。色合いが悪い事この上ねェってんだ…校長様のセンスはその調子だと死ぬまで直らなそうだな、えェ?」
放っとけ、と校長は呟く。彼との挨拶はいつもこのような悪態の付き合いから始まる。お約束が終わったところで、『G,1』は異変に気づいた。
「あとお前…隣の奴はどうしたんだ?……まさか」
「ああ、そのまさかだよ。『裏側』に巻き込まれた成人の『新芽』だ。既知だとは思うが、大半の『新芽』は未成年だ。成人の『新芽』は極めて稀、私も初めて見たよ」
「……あの。成人の『新芽』、とは私の事でしょうか」
いかにも、と校長は首を縦に振る。隣にいる『G,1』も校長が授けた布一枚しか纏っていない祓間をほほぉう、と薄い顎髭をさすりながら目を丸くして見ている。
「…私もあまりにも突然かつ不可解な出来事で大変当惑している手前、この謎の状況に詳細な説明が可能なのであれば、なるべく迅速にお願いしたいところなのですが」
「私にはそうは見えんが…全く、それに今は時間がないと前にも言っただろう。同じことを二度も言わせるでない」
ステージの上で祝辞をしていた朝の柔和な雰囲気を思わせる彼の表情とはかけ離れた冷たい視線が祓間を射抜く。重く心の芯に響くような言葉に、祓間は多少なりとも萎縮してしまった。
(………萎縮?この私が…?)
本当に、ふと思ったような、そんな疑問。しかしそれは明らかに、彼の根底を覆すような感情だった。
「まァいいじゃねぇかよ校長様よォ、お前の事だから状況対処に全振りしてまだ何も説明らしい説明してねェだろ?少しくらいは説明しとかないと後々面倒だぜ?」
へらへらと言葉を返す陽気なおっさんとは対照的に、ますます眉間のしわが深く額に刻まれる校長。昔から馬が合ったことがないな我々は、と彼は心中愚痴をこぼす。
「……時間がないのだ。それに私の説明は職業柄かどうしても長くなってしまうと自負している」
それよりも、と校長は話を切る。両手に華、ではなくおっさん…むしろ彼自身も頭皮が大分存在を主張しているので紅一点も存在しないむさ苦しい空間と化している事には気にも留めず、合理主義の彼は言葉を続ける。
「『G,1』、今まで何をしていた?緊急事態なのは目に見えているだろうに」
「それがよォ、この『裏側』の『召喚異跡』が割とヤバめな感じしたから、その大本追ってんだけどなかなか辿り着けなくてよ…この学校、どうかしてるんじゃねェのか?迷路にでも入ってる気分だぜ」
「……確かにこの学校は大きいですが、迷路と言うほど構造は難しくはないかと…ですよね?校長」
「ああ、祓間君の言う通り、ここの学校の構造は割とシンプルなものだと思うが…特にこの一号館はL字型で非常に分かりやすい。発生源がいるであろう校庭に辿りつく道ではこの校舎を通過することが最短であり、今我々も向かっているところだが」
校長の補足説明に眉を歪める『G,1』。数秒黙り込んだ後チッと舌打ちをかまし、観念したかのように嘆息した。
「………これでよりはっきりしたな…俺もさっきから無駄にここらをウロウロしてるわけじゃあねェ。言い方を変えてやるよ。完全に俺たちは閉じ込められたって訳だ」
ッ!と二人が息を飲む。その際校長の動悸が一瞬だけ、しかし明らかに高く跳ね上がったのを『C,1』は確かに感じ取っていた。
「まぁ落ち着けよ、お前らしくもねェ…どうした?昔のお前はこの程度でそんな顔になるほど取り乱してなかったはずだが?」
「…………」
「……大事なものが出来た、ってトコかよ。ケッ、仕方ねェ…お前に免じてやりたくもねぇアレをやってやるよ、相棒」
そう彼は吐き捨て、ドカッと地面に座り込んだ。至る所に穴が開いているようなボロボロのロングコートの袖をまくり、肘近くまで両腕に深くはめたグローブを露わにする。青白い石の様なもので加工されたそれが、彼から流れ出る『異元』により淡く発光するのが合図。
あらゆる『結界士』の中でも『G,1』の右に出る者は世界に三人いるかいないかの『異跡』が、彼の両腕から放たれる。
「『索敵結界・栞式』」
言葉が口から放たれると同時、翡翠色の薄い膜のようなものが彼を中心に展開する。それ程までに集中力を要する作業なのか、その間普段あんなにも饒舌だった『G,1』が嘘のように黙り込んでしまう。
恩に着る、と隣でぼそりと聞こえた気がした祓間だったが、思った以上に深刻な顔をしていた校長に言葉をかけるという選択肢は一副担任である彼の中に存在していなかった。
「……全く、お前という奴はまた自分の見解だけで勝手に決めつけて突き進みおって…。まぁ良い。この結界は読み取りに少しばかり時間がかかる。せっかく時間ができたのだ、致し方あるまい。祓間君、君の質問に答えるとしよう。但し、私が本当に必要だと思ったものだけだ。無駄な時間を取らせないようにしたまえ」
…了解しました、と頷く祓間。唾液が喉を通る回数が増えたのは気のせいではあるまいと自覚する彼であったが、今まで生きてきた中でそれの兆候すら見ることが出来なかった事にどうしても疑問が生じてしまう。
この特異な状況が彼をそうさせているのか、それとも目の前にいる校長自身が自分に影響を与えているのか未だ祓間の中で明確な結論が出ないままでいた。
感情の起伏が他人より極端に薄い、あるいはほぼないと言ってしまっても過言ではない彼にとって、今の状況は絶好の機会だ。
話していくうちに何かが掴めるかもしれないという淡い期待を裏に抱きつつ、この何もかも奇怪な状況に対し全てを知っているであろう彼に疑問を投じる。
「では、早速……まず、何故突然私たち以外の人が消失したのか。そして私自身にも何が起こったのか。簡潔に説明していただけますか」
「…道理だな。うむ、まずはそこからであろう。…前にも軽く触れたが、ここは言わば私たちが元いた世界とは異なる、『別の世界』だ。建物などの風景や気温、気圧、空気中に存在する元素の種類などはそれこそほぼ同じ。別の惑星というわけでもない。そう、ここはまさしく地球なのだよ……ただ一点を除けば、だが」
「……一つの異物が紛れるだけで世界の法則はがらりと変わってしまう、ですか」
「正解だ。その名は『異素』。名の通り『異』なる元『素』だ。そいつのせいで本来あるべき宇宙に対する地球の空間体積の死角、狭間のようなものかな。そこに別次元の空間を新たに生成してしまった訳だ。詳しいことは現在も調査中だがね。その空間が自身を維持するために地球の表面だけ模した世界こそが今我々がいるこの空間、『裏側』だ」
「……」
あまりの事に思わず黙り込んでしまう。とかく情報量が多い。言葉を認識する度に自分の中の常識を修正する方に労力が費やされ、次々と頭の中に流れ込んでくる情報に理解が追い付かななくなる。
たっぷりと数秒かけて複雑な情報を理解、咀嚼し頭の中で理解しやすいものへと変えていく。
「……つまり、その『異素』とかいう変なやつが原因ではた迷惑な別世界ができたと」
「…まぁ、細部はともかく的を得てはいるな。で、だ。その『裏側』に稀に人間が迷い込んでしまう。『迷走者』と我々は呼んでいる。長い人類史から見れば数多くいる『迷走者』の中でも『異元』をあらかじめ持っている者が『新芽』だ。それが君だよ、祓間君」
『新芽』、は先程彼らの会話で耳にした。成人の『新芽』が珍しいとか何とか、と身にわかない実感を何とか感じつつもとめどなく湧き出る疑問を順に口にしていく。
「…『異元』とは何です?」
「『異元』とは『異』能の『元』という意で我々は取っている。己の身体に潜在的に存在している、言わば異能を発動させるための燃料のようなものだ。『異素』と『異元』、この二つがそろって初めて『異』能の軌『跡』である『異跡』が発動できるというわけだ。……ここまではいいかね?」
「…………まぁ、なんとか…」
まぁいきなり完璧に理解するのは流石に難しいだろう、こういうのは習うより慣れていけばいい、と校長は言うがこの『裏側』とかいう世界に慣れていく自分の姿がいまいち想像できない祓間であった。
「話が少し逸れたな。では何故人間が消失したかという第一の質問の答えだが、自分たち以外の人間が消失したのではなく、自分たちの精神が『裏側』へ来てしまったのでそのように見えてしまったから、で百点だ」
「……精神が、ですか?」
「そうだ。そういえば言っていなかったな。この世界は精神体でなければ存在できない、現実の肉体ではないのだよ。まさに第二の質問の解答に帰結するな。そうだ、君の身に何が起こったかは、そもそもの君は精神体であるから故に、そのような恰好になってしまったというわけだ。精神が服を着るというのもおかしな話だがね」
「………成程…」
まだ完璧に飲み込めてはいないものの、彼の説明のおかげで最初よりかは事の輪郭がぼんやりと手に取れたような気がする。だがあまりの現実味の無さからして、これは全て夢だと割り切ってしまえても何の不思議もないという事態に違和感や嫌悪感を隠しきれない。
順応性が低いと捉えてしまえばそれまでだが、そう簡単に自分の根底を変えてしまえる人間がいるならばそれはもう確立した個ではない。自分自身を見失ってないだけまだマシだと勝手に自分の中で自己保存していると横から野太い声がかかってきた。
「ぼちぼち終わったかい、授業の方は」
疲労を催す顔を浮かべた『G,1』がバリバリと頭を掻く。どうやらこちらのレクチャーが終わる少し前に彼の仕事は完了していたらしい。
「そちらはどうだったのだ」
「……良いニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい」
「御託はいい、さっさと順を追って話せ」
「うひぇ、おっかねェったらありゃしねェってんだ……そうだな、じゃあ良いニュースからだ。今のところアミュールは勿論、この『裏側』内にいるガキ共ははまず全員生きている。大量の『異怪』が殺られてんのが三か所。ガキ共はグループに分かれて行動してやがるらしいな。ランクⅢくらいの『異怪』はどうってことないレベルらしいな。こんな隠し玉を育ててやがったとは驚いたぜ?校長さんよォ」
不安と焦燥の塊のような彼の表情がほ少しほぐれる。生徒たちの事を何も知らない祓間は小首をかしげているが、気にも留めず少し早口で『G,1』は話を続ける。
「だが厄介なのがこっちだ。悪さの度合いで言えば割とヤベェ方だ。ただ閉じ込められたっつっても規模が違う。厄介なのがコイツの擬態能力と『異怪』の召喚・転送能力だ」
「…まさかッ!?」
「あぁ、俺たちは『ルダ』の体内にいる。このままだとガキ達はおろか俺たちも全滅するぞ」
翔璃「会長、一ついいか」
花蓮「何?手短にね」
翔璃「個の前生徒会室を掃除したとき、棚の一番上の段ボールの奥に妙に薄い本があったんだが何だかわかるか?」
花蓮「ブフォっ!!??」
翔璃「表紙に何故か脱ぎかけの男同士が見つめあっt」
花蓮「あぁ~!!そうだったアレ没収物なのよ!全く不健全ねあんな男同士でちゅっちゅするような不埒なモノ学校に持ち込むなんて!」
翔璃「……俺は読んでないから分からないが、そういう内容なのか?表紙だけでよくわかったな」
花蓮「そ、そうよ!なんかそんな感じでしょ!あんなの!たぶん!」
翔璃(……これは読んだな…)




