6 前奏への下準備
普通に教室の扉を開けて入ってきたのは、やや丸い輪郭をした少年だった。しかし、特筆すべき点はそれだけではない。
身長は百七十前後。緑色に染められたタキシード風のジャケットには、腕やら胴体やらに細く、黄色いベルトが締まっている。
また、たくしあげられた黒いボトムがずり落ちないよう同じような黄色いベルトが役割を果たしており、その上にやや大きいポケットが乗っている。
手にはマジシャンよろしく白い手袋が、背にはベルトと身体の間に四角い謎の板が、そして極めつけは頭に何かよくわからない触覚のようなものが生えた唾がやや広い麦わら帽子がそれぞれ嵌っていた。
「あな…たは……?」
「あぁ俺?俺は才鉢って言うんだけど…あ、一応生徒会役員だから別に全然怪しい者じゃないから大丈夫だよ、うん」
はぁ…と二人は眉をひそめる。あぁ!信じてないな!その目はぁ!と口を尖らせる彼だったが、二人の緊張が解れてないのを見たのか、軽いため息と共に肩を落とす。
「そうだ、怪しい者じゃないっていう証拠に何か一発芸を見せてあげよう!うーん、じゃあ…」
怪しい者じゃないと言う者ほど怪しさが増すという法則を、この状況を客観視できてない才鉢を名乗る彼は把握しきれていない上に、突然一発芸やるわとか言われたら暁と美紋が距離を置くのは当然であった。
だが、その何でもない一発芸が彼にとって功を奏した。
「……空中しゃちほこ!…どうっ!?このバランスっ!」
正に絶句、という表現が適切であるほど二人は言葉を失っていた。
彼が空中に浮いて、しゃちほこなるポーズをとっていたのだ。
先程、熊を仕留めた二匹の蜂に足を支えてもらいながら。
○○○
「ここ、は……?」
燎平たち三人が今いる場所は、学校の吹き抜けと言える場所だった。普段は生徒たちの休憩や食事場所となっているのだが、そんな雰囲気は今のこの場所には欠片も見当たらない。
何故か濃い霧がかかっているため、近くにあるものしかはっきりとは認識できないが、それだけでも異常な状態なのが見てとれる。
真っ二つに割れたベンチに、根元からひっくり返された木々。そして真ん中に位置していたはずの装飾の凝った噴水は、燎平の足元に石塊となって転がっていた。
「……どうしたってんだ、一体」
「……何で、こんなことに……」
ぜぇぜぇと肩で息をしながらも目が慣れ、徐々に周囲の状況を把握していく燎平と来飛。
流石に一キロ近くもほぼ全力で走れば息も絶え絶えになる…はずなのだが、彼らと比べて相対的に薫は足の長さが短いにも関わらず、ほとんど息切れしていなかった。
そしてその顔には、疲労ではなく呆れを催した半笑いが浮かんでいた。
「あー…やーっちまったぁ………さっき花蓮ちゃんたちとも通信できなかったのはこの霧が原因ってわけ?……こいつらが薫レーダーに引っかからなかったのも、ね」
「え……何スか?こいつら…って……」
言葉が最後まで続かなかったのは明白。燎平たちの瞳に映るのはまさしく絶望、といった形容が正しいと思える光景だった。
確認できるだけで十数体。一目でこの世の生物ではないと分かる怪物たちが燎平達の周りを取り囲んでいた。
植物のように地面から生えた茎のような胴体の先端に、実よろしく大きな一つの眼球のみが生っているモノ。ゲル状の異臭を放つ身体を持ち、水面に映る虚像を彷彿とさせるような蠢きをみせる俗にいうスライムといったモノ。
緑色の毛皮を被った四本腕の熊のような生物をはじめとした数々の獣達の奥には、一回り体躯の大きなネコ科のような巨大獣が君臨していた。
「………ッぁ、」
呼吸が止まる。動揺という名の不測事態が眼球の動きを無意識に乱れさせ、焦点が定まらなくさせる。視界全体が淡い白色へと染まっていくのを脳が認識する頃には、身体の手足は冷めきっていた。
日常生活で大きなミスをし、やらかしたと気づいた時、サーッと悪寒が全身を駆け巡る事が多々あるが、今回の事態はそんなレベルを遥かに超えている。
正しく『死』を確信、『死』そのものに直面したような感覚。体内のあらゆる生命活動がその場で停止してしまっていてもおかしくはないと感じる程の恐怖を燎平達は味わっていた。
ただ一人を除いて。
「にひっ、なんて顔してんのさ二人とも!この薫様がいること、忘れてないかな?」
その声は暖かい日差しで固まった雪を溶かすように、朝顔の花弁を開かせるように、硬直していた二人の体に染み渡った。
二人の肩に置かれた彼女の小さな手の振動が、冷めた血潮に諦めるなと喝を入れる。
「さッ、じゃあチャチャッと終わらせちゃいますかね!この量は流石に薫もチョッと本気を出さないといけないかな!」
二人は下がっててね、と言い残し死地としか考えられない場所へと小さい歩幅で距離を縮めていく薫。その途中で彼女は背中のギターケースから彼女にしか扱えない武器を取り出す。
それは、只のギターと呼称するにはいささか問題があるモノだった。
平均的なエレキギターよりもやや小さいのは彼女の身体に合わせてのことだろうが、問題はその形だ。
本来つるりと緩やかなカーブを描いている側面には、鋸のようなギザギザした鋼色が半透明な保護カバーの中で爛々と光っており、その裏には金管楽器のベルの部分のみを潰して拡大し、取り付けてあるように見える。
そしてよく目を凝らすと、持ち手の部分であるネックにはピアノ宜しくいくつもの鍵盤を模したものが存在し、極めつけに先端部分のヘッドにはペグの代わりに銃口と思われるものが並んでいる。
「さぁさぁ薫ファンの怪物共!本日はこのクソッタレな霧の中、私の『死の調べ』にご来場いただき誠に有難うございます!精一杯演奏するので、是非大きな歓声で盛り上げて下さいね!」
お客と化したこの世ならざる怪物達を前に、彼女は恐怖どころか嬉々として両手を広げる。その清々しい程の笑顔の裏にあるのは、禍々しい程の殺意だった。
「おおっとその前にまずは下準備を」
刹那、ビィィイン!と薫が弦の一つを弾くと同時に、彼女と一番距離が近い目玉型の怪物が爆散した。
もはや身体の三割程しか残されてない怪物だったモノは、キィイイィ、と断末魔とも言えぬ力ない叫びと共に瞬く間に絶命する。
しかし、殺戮者は薄い小さな笑みを左右に伸ばすと共に呟く。
「その音、いただくね」
『共鳴調律』、と彼女は言葉を続けた。
それから起きた出来事はあまりに簡潔と言っていいほど浅ましく、あまりに悲惨と言っていいほど厭わしい状況を表していた。
全滅。
薫が再び弦に指をかけた直後、数倍にも増強され辺り一面に響き渡った先程の悲鳴が、彼女の前方にいた同族である数十体いた目玉型の怪物、その全員の命を刈り取ったのだ。
怪物たちの中で四割を占めていた目玉型怪物は、たった一瞬で、彼女のほんの少しの指の動きだけで、あの世へと送りだされたのだ。
あんなにも恐ろしかった未知の怪物たちが白目をむき、地面に次々と伏していく。そんな幻想のような現実を目の当たりにした燎平と来飛は、ただただ口をと目を開けている事しかできないでいた。
「ランクⅠの雑魚共はこれで十分っ!では、大変お待たせしました!聞いてください一曲目、『地獄門の施錠音』」
旋律が、走る。
ギターの音色が木霊する。本格的な演奏が、始まった。
○○○
この状況から分析できることは二つ。
一つ目は、この蜂達は確かに自分たちを助けてくれたということ。
もし初めからこちらを敵を認識していたと仮定するならば、どのタイミングでもいくらでも自分たちを始末できたはずだ。そもそも敵ならば生きながらえさせるメリットがない。
あれだけの殺傷能力を有しながら何もしなかったというのは、こちらに敵意がない、と十分にくみ取れる状況証拠と成りうるだろう。そしてあの時こちらに攻撃せずに自分たちを襲おうとした(未遂ではあるが)熊(?)を仕留めてくれたのだ。
彼ら独自の生態系への関連性を考慮すればまた話は違ってくるであろうが、現状ではこの未知の状況の中で自分たちにはプラスの存在だ、とそう捉えるしかない。
そして二つ目。その予測を口に出した才鉢と名乗る人物への信憑性の有無。
その人物は証拠はないがこの学校の生徒会のメンバーであると自称している。いくら暁といえど、完全記憶能力があるわけではない。道ですれ違う生徒の顔などいちいち覚えてはいないが、生徒会のメンバーだけは入学式での挨拶の際に少しだけ関わったので顔は覚えている。
が、暁がすぐに真に迫れなかったのは理由があったからだ。
「ほっ、意外と、バランスが……うぉっ!?」
盛大にバランスを崩し、床へダイビングヘッドしそうになる彼の足を蜂達が懸命に抑えている。
その時、ようやく顔を覆い隠していたつばの大きな麦わら帽子が床に落ちた。
「よっ、と。危ない危ない」
あっ、と美紋も声を漏らす。実はこの学校の生徒会のメンバー数は全校生徒数に対しそこまで多くはない。彼を含め、両手の指で数えられる程しか人数がいないのだから。
そして、帽子のせいで丸い輪郭しか見えなかったが、素顔が明らかになって数秒経ち始めて、二人は確信した。
後頭部の下半分が刈り上げられ、上半分はハーフアップのように結っている髪は黒から深い緑色に。
丸い輪郭より特徴的なこれまた翡翠色をした大きい瞳。声や話し方は二人は知らなかったため、目元や髪型が隠れていては誰これ状態だったのである。
「おお、やっと信頼してくれたかなぁ?えっと……君、挨拶してた確か…あか…垢?」
「暁暁です、才鉢芯一先輩」
落ちていた麦わら帽子を被りなおした芯一は、微笑みと共に改めて名乗りをあげた。
「覚えててくれて嬉しいよ、暁君。これで僕が生徒会会計の才鉢芯一であることが無事証明できたわけだね!Q.E.D.!」
よほど二人が思い出したことが嬉しかったのか、にこにこと人懐こい笑みを浮かべる芯一。この時、不覚にも美紋は人生で初めて男性を可愛いと思った瞬間かもしれないと密かに胸を押えた。
「えっと、ところでそっちの女の子は……」
「あ、すいません、自己紹介が遅れました。月ヶ谷美紋です。暁君とは中学からの同級生でして」
ほうほう、と芯一は美紋をじっと見つめる。
突然視線を投げかけられ、美紋が数秒固まっていると今度は暁の方をじろじろと見つめてきた。
「ふむ……、君たち。つかぬことをお聞きするけど、もしかして付き合ってる?」
「ぶふっ!?」
藪から棒、とはまさにこの事。美紋は盛大にむせ、暁はやや引きつった苦笑を浮かべる。むむむ!その反応は!と芯一のくりくりした目が輝きだした。
「いやぁ、初めて見たときから思ってたんだよねぇ!正しく美男美女!お似合いですよぉお二人さん!コイツらからもいい雰囲気だって聞いてるしさ!」
「ち、ちょっとッ!勝手に決めつけないで下さいよ才鉢先輩!私と暁君はたまたまここに一緒にいたというか、腐れ縁っていうか、というかいつもは四人のグループでいますし!それにこんな超絶毒舌イケメンなんて色々な意味で願い下げです!」
頬を赤らめながら唾を飛ばす美紋に対し、まぁまぁと彼女をなだめつつも心中ではほほう、この取り乱しようは…?と口角が上がる芯一。対して、全力で振られた暁の方は半笑いのような何とも複雑な表情をしていた。
我が道を思うがまま進んでいく彼の思いこみの激しさは少しどうかとは思うが、悪い人ではなさそうだなと今のやり取りで暁は胸を撫で下ろす。
と同時に、普段は燎平の影に隠れてはいるが、やはり美紋にも潜在的にいじられ体質を持っているのでは、と推測を立てる。と、その時暁は一つの共通項に気づいた。
もしかしなくても、美紋をいじるとその場の空気が和みやすい傾向があるのでは?と。
そもそも、よく雰囲気よくいじられる人には『リアクションがいいこと』や『自分のマイナスな面や過去を人に指摘されても、怒ったり落ち込んだりせず笑ってごまかせたり突っ込んだりできる許容力があること』という部分がよく当てはまりやすい。仕掛けた側が求める温度の高い返しをうまくしてくれればいじられ属性があると見込めるだろう。
その点美紋は、未知の状況下では誰もが心の中で巣くう不安や恐怖よりも、普段通りの会話の中で発生する自身の感情の方が割合として大きいと見える。
直情的というか、裏表の差が少ないというか、自分が思った感情を優先することが多々あることが中学時代からの付き合いより分かる。
そう考えるとおそらく燎平では美紋のようには場を和ませることが出来ないだろう。彼は根がチキンなので、簡単に恐怖や不安に飲み込まれあたふたしてしまうに違いない。
彼の事をよく知る暁であればクールダウンさせつつマインドコントロールをし、普段の時と変わらないリアクションを取らせることは可能ではある。だが美紋の場合その過程を必要とせず、素の状態で普段と変わらない行動が取りやすい。
要は、美紋は一度そう思えばすぐに発言したり行動しやすい性格ということだ。別の言葉で言うならピュアで素直。
その特性が、今回はプラスに働いたおかげで今の状況があるといえよう。もし美紋が取り乱し、自分の抑えが効かなかった場合、蜂に攻撃されてしまっていた可能性だって十分にあり得るのだから。
そう暁が一人で考察していたところ、
「あの、そういえば、その虫?達は一体何なんです?」
「ああ、こいつらは僕の使い魔でねぇ。『厄虫類』って種類なんだけど知らないよね、あっはは」
「…そもそも、ここはどこ…といいますか、この場所はどうなってしまったんですか?いきなり僕たち以外の人が消失し、見たこともない生物がいる…まるで別の世界にでも迷い込んでしまったような」
暁の呟きに芯一はニヤリと口端をつりあげる。
「中々いい線いってるよ、暁君。流石は学年主席、と称えるべきだろうねぇ。まぁ詳しく話せば長くなるけど、細かいところを省けばだいだい君の言った通り。世界が丸ごと変わっている状態らしいよ。ここは。元々いた世界とは極めて似て非なる場所だよねぇ」
「やはりそうか…」
「自分たちの常識をはるかに超えた世界……そりゃ、想像もしないような生き物がいたり出来事が起こるわけよね……でも何でいきなりこんなことに…」
「…、意外と冷静にすんなり受け入れるよね君たち……」
状況適応能力が高いことは良い事だけどそれはそれとして、と彼は言葉をつなげる。
「そう、何故こんなことが起こったのかは今僕たち生徒会が調査中さ。だいたいこの世界が現れるには条件がいくつか揃って初めて、って事だからだいたい予想はつくけどね。あともう少しこの世界…通称『裏側』について付け加えておくと、『裏側』は…そうだね、『異元』という『特別な力のもとになるモノ』を持っていなければそもそも存在できなんだ。もちろん詳細は時間がないから省くけど、周りの人間が消えたのはそのせいだね。で、その『特別な力』が僕の場合この『厄虫類』たちなのさ」
謎解きの答え合わせのように自慢げにぺらぺらと語る芯一だが、二人の様子を見て八ッと気づく。
「あ、ごめんねぇ、いきなりこんな変な事言われても分かんないよね…戸惑っちゃうよね、うん。まぁその辺は後でゆっくり時間をかけて慣らしていけばいいかr」
「…なるほど。そういう事ですか……。そのほかの人たちにはない『異元』というものが僕たちにあるからこの現実と鏡合わせのような世界、『裏側』に来てしまったわけですね。となると、その謎の生物も才蜂さんの『特別な力』が元となっており、当然才蜂先輩も『異元』とやらを持っている、と」
「え、じゃあ私たちもその『特別な力』があるってこと?……なんか、変な感じね…」
「…………………その、『特別な力』は通称『異跡』って呼称されてるけどね」
君たち顔がよくて適応力も理解力もあってさらに肝っ玉も据わってるときたもんだ…。俺先輩風吹かせていいのかなぁ、これ……とだんだん渋い顔になっていく芯一。
二人がやたら高度なディスカッションをしている時、丁度暁と美紋を守ってくれた二匹の蜂が芯一に近づく。
「ん?…………なるほどね、了解了解」
「…え、何です?」
「ん?いやぁ、もうすぐおっかない化け物達がこっち来るってさ。ここじゃお迎えしづらいから、とりあえず逃げるよ」
そう言ってからの彼の行動は素早く、二人が二回ほど瞬きした頃にはもう彼らの身体は空にあった。
~練習風景~
芯一「いいかい君たち、僕が今からジャンプするから、ちゃんと(足を)掴んで空中に固定するんだよ」
蜂たち「(無言で頷く)」
芯一「じゃあいくよ!せーのっ……ほっ!」
蜂たち「!!(胴体をわしづかむ)」
芯一「ん!?ちょい待ったお前ら足!胴体じゃなくて足だってああああああ!!ケツ!ケツが!!ケツに!!!お前!!刺さってああああああああああああアッ――!」




