フルータの場合 28
料理長は、誰もいない厨房で頭を悩ませていた。
「うちの子を前線なんかに送るなんて、やりたくないんだけど……」
前線から送られてきた手紙には、兵士達の食事を作るために、数人、調理場から人をよこして欲しいという内容の手紙を受け取っていた。
本来なら、そんな要求は突っぱねるところだが、サリルが、この厨房に入ってきた事で、それも難しくなった。
「代わりの人員ね……」
サリルは、送られてくる料理人の代わりとして送られてきていた。
サリルを下手に追い返そうものなら、その連絡は、すぐに前線の指揮官をしているサリルの父のところに届くだろう。
彼は、戦えば連戦連勝。王族からの信頼も厚い。
そもそも、この話だってサリルの父、サーファスが王族を通してやってきた連絡であった。
これを断れば、王族からの指示に逆らう事にもなるのだ。
「やっぱり強いのは、世渡りの上手い人間か……」
しみじみ思う料理長。
料理長は、料理しか知らない人間だ。年齢を重ね、カサカサになった手を見つめながら料理長が思い出す。
料理長が、今の地位についたのは、一年前だ。
腕も良く、長く勤めている事から、料理長の座に座ることができたのだ。
だが、先代の料理長は、今の料理長よりも腕は悪かった。心の底では、なぜ、こんな男が料理長になって、自分はなれないのか? などと思ったものであった。
そして、その先代が、料理長になれた理由は、しょうもない理由であるのが、後にわかったのだ。
なんという事はない。その時の王妃と肉体関係にあったというのだ。
その事が、皆にバレた時、国王は怒り、先代料理長を王宮から追放し、王妃も街に出された。
そして、空いた料理長の座が、自分のところに転がり込んできたのだ。
料理長本人としては、こんな形で料理長の座に付く事に、抵抗があったが、余計な事を考えるのはやめて、料理長の座をありがたくいただく事にしたのだ。
『こういうのが普通なんだよな……』
自分が頭に被っている帽子の事を恭しく触る料理長。フルータが置かれた状況の事を考えると、『自分と似たようなものだな……』と思い、やるせなくなってくる。
『こういうものだよ……フルータ君、君は腕にも覚えがあるみたいだし、上手くやれるかもしれないよ』
そう考え、決心を決めた料理長。料理長は、これで調理場から出ようとしたが、そこに見知った顔を見つけて足を止めた。
「わかっていただけて、ありがとうございます」
調理場の入口に立つサリルが言う。
「君みたいな人間達が出世をするようにできているんだね? この世界は……」
料理長が嫌味のつもりで言った言葉であるが、それを聞いても、調理場の入口に立つサリルは、まるで、何も言われていないような顔をして答えた。
「私が出世ができるかどうか? はわかりませんが……物事は、頭を使って上手に進めませんと……」
そう聞き、溜息を吐く料理長。その言葉は何度も聞かされてきた言葉だ。
権謀術数を駆使して生きる者達とは別次元に自分はいるのだ。
愚直に自分の料理の腕を上げ、おいしい料理を作る事に心血を注いできただけの自分が、料理長になれたのは、本当に幸運な事であったのだという事が、今この状況になってよくわかってきた。
『彼の事は不幸な者だと思うが、私も、運良く手に入れたこの地位は手放すわけにはいかないのだよ……』
そう思った料理長は、書類にサインをした。
料理長のサインが終わったのを見ると、サリルは紙をひったくり、厨房を後にしていった。




