第4話 反論できない
「ヴィオレット」
ユリウス様の声が、私を呼んだ。
「弁明を許す。何か、言うことはあるか」
会場が、また静まった。
数百の視線が戻ってくる。今度は先ほどまでとは違う色をしていた。憐れみに似た何かが混ざっている。無理もない。婚約者に婚約を破棄され、聖女候補に告発され、そして何ひとつ言い返さない女。
言えばいいのだ。
三月の階段は、突き落としたのではなく助けたのだと。四月の髪飾りは、悪意ではなく不器用さのせいだと。五月の渡り廊下では、私はただ微笑もうとしただけなのだと。
証人はいない。信じてもらえる見込みもない。それでも、言うだけなら言える。
言える、はずだった。
けれど。
私の喉は、まだ塞がったままだった。
・ ・ ・
言葉というのは不思議なもので、嘘をつく余地があるうちは、いくらでも滑らかに出てくる。
たとえば「わたくしは何もしておりません」と言うとする。階段のことも、髪飾りのことも、そう言い切ってしまえば済む。誤解の話だ。私の言い分の方が正しい。
けれど、その言葉は今、あの一言の後に続くことになる。
――この女は、数万を焼き殺した魔王です。
その直後に「わたくしは何もしておりません」と口にする。
……できるだろうか。
私は。
・ ・ ・
まぶたの裏に、色が滲んだ。
赤の、もっと奥にある色。
見た者にしか分からない色だと、あの娘は言った。その通りだと思う。私はあの色を、自分の手から出したことがある。
そして、あの色の後に何が来るかも知っている。
音がなくなるのだ。
燃えている間はうるさい。木が爆ぜ、石が割れ、いろいろな音がする。人の声もする。けれどそれらは全部、そう長くは続かない。やがて風の音だけになる。
その静けさを、私は何度もくぐった。
くぐって、次の街へ行った。
――やめて。
自分の記憶に向かって、私は言った。今ここで見るものではない。今は、この場を切り抜けなければ。
けれど手遅れだった。ひとたび思い出してしまえば、口は動かない。
嘘を、つけない。
・ ・ ・
「……答えぬか」
ユリウス様の声が、硬くなった。
「答えられぬ、ということだな」
ざわめきが変わった。
憐れみの色が引いて、代わりに冷たいものが混じり始める。沈黙は雄弁だ。とりわけ、何を言われても言い返さない女の沈黙は。
「やはり」
「あの方は、認めておいでなのだわ」
「恐ろしい」
そうか、と私は思った。
こういう仕組みになっているのか。
私は自分の前世の罪について何ひとつ言えないでいるだけなのに、この場の人々には、階段と髪飾りと渡り廊下を認めたように見えている。
罪が、罪の代わりになっている。
奇妙に公平な気もした。私は罰を受けるべき人間だ。理由が違うだけで、結論は間違っていない。
・ ・ ・
「殿下」
進み出たのは、白い法衣の男だった。
聖教会から遣わされた司祭だ。この国では、王家の行事に必ず教会の目が入る。私も幼い頃から見慣れた光景だった。
「聖女候補が受けた仕打ちは、教会への侮辱にも等しいものです」
「うむ……」
「公爵家のご令嬢であられることは承知しております。しかし、だからこそ示しをつけねばなりません。あるいは――」
司祭は言葉を切って、私を見た。
その目に、憎しみはなかった。私怨も、正義感すらもなかった。
もっと事務的な何かだった。手駒を一つ動かす程度の。
「あるいは、ノクスハイム公爵家そのものについても、審議が必要かと」
会場が凍りついた。
私の背筋が、初めてこの夜、ぴんと伸びた。
・ ・ ・
父の顔が浮かんだ。
私が七歳のとき、侍女の腕を折ってしまったあの日。父は青ざめる侍女に頭を下げ、それから私を膝に乗せて、こう言った。
「加減を覚えような。おまえは強すぎるだけで、悪くはないのだから」
母の顔も浮かんだ。
ティーカップを砕くたび、母は同じものを黙って買い足した。十年で何客になったか、私は数えていない。母もきっと数えていない。
あの二人は、何も知らない。
娘が前世で何をした存在なのか、知らないままここまで育てた。知らないまま、これからも生きていくはずだった。
――だめだ。
それだけは。
「……お待ちください」
声が出た。ようやく出た。
「わたくしの処遇については、いかようにも。ですが、父と母は関係が――」
「関係がない、と?」
司祭が静かに遮った。
「あなたを育てたのは、そのご両親でしょう」
言葉が、また喉で止まった。
そうだ。
その通りだ。
私は、あの二人の娘として育った。優しくされて、甘やかされて、恋愛小説を読ませてもらって、令嬢になろうと努力させてもらった。
その私が、こういうものなのだ。
ユリウス様が、額を押さえて長く息を吐いた。
「……ヴィオレット・ノクスハイムの処遇については、追って裁定を下す。身柄は、それまで拘束とする」
拘束。裁定。おそらくは国外追放、あるいは。
構わなかった。
私はもともと、二度目の生を与えられただけの存在だ。十七年ぶん、おまけをもらった。恋愛小説に憧れて、微笑む練習をして、それなりに幸せだった。
十分すぎるほど、もらった。
そうだ。
私は、赦されてはいけない存在だった。
だから、と目を伏せかけたそのとき。
会場の扉が――
吹き飛んだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
ヴィオレットはようやく言葉を取り戻しましたが、守ろうとしたのは自分ではなく、大切な家族でした。
そして、すべてを受け入れようとした、その瞬間――というところで物語は次回へ続きます。
察しの良い皆様なら、次回の展開はもうお分かりですよね。
そう、ヴィオレットの運命の相手、登場回となります。
そしてそこから、この断罪劇そのものが揺らぐことになるのです。
次のお話は書いていてものすごく楽しくて、爽快でした!
是非、皆様もその様子を見に来てくださいね。
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それでは、第5話でお会いしましょう♪




