(3)
⒊
自分でも驚く程の加速だった。
「っ……⁉」
何の警戒もしていなかったとは言え、ぶつかった衝撃は司を背後の壁際まで下がらせる。
「……嘘みたいに身体が軽い」
「何なんだ一体……」
僕を睨み付ける司に、クラリッサが答える。
「彼は祖母のような天才でこそ無かったけれど、純正の魔術回路自体はその身に宿っていたからね。吸血種の持つ力との相性は悪くないんだよ」
「お前……俺に殺されないためにバケモンにしてもらったのか……? いくらなんでも馬鹿過ぎんだろ」
その目には、こちらの正気を疑っているような、蔑むような感情が見て取れる。
無理矢理人体実験のような形で吸血種の因子を植え付けられ、吸血衝動を抑えられない苦しみを知っているからこその言葉だった。
けれど、僕の身体に起きた変化は司が考えているそれとは異なるものだ。
「彼はキミみたいな吸血狂いにはならないよ」
「……?」
「吸血衝動の暴走というのはね、不死性を含む吸血種特有の魔術因子が活性化し過ぎることで引き起こされる。あの立川と言う魔術師は私の肉片から魔術因子を抽出してキミや自身の肉体に組み込むことに成功したけようだけれど、吸血種の魔術因子を制御するためには吸血種の命そのものが持つ力が必要なんだ。工房の資料を見た限り静もそれを医療魔術の研究に応用できないか調べた形跡があったけれど、そこのところが解決できなくて断念したみたいだね」
「……なら昇は俺や立川と何が違う」
クラリッサは僕の方をチラリと見たあと、少し悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「純正の吸血種が吸血行動をする理由は基本的に二つだけさ。自分の力を高めるために手駒の屍人を作り出す時と……生涯で一度きり、自分の命を分け与え、永遠を共に生きる吸血種の伴侶を作る時だ」
「…………何か、口に出されるとむず痒いんだけど」
「う、うるさいな。私だって実際なってみたら結構恥ずかしいんだぞ、これでも……」
「……ふざけてんのか!」
司の瞳の奥の冷たい光が強さを増した。
さっきのお返しとばかりに突っ込んで来る司の突進を、寸でのところで受け止める。
「くう……!」
全力で踏ん張っているにもかかわらず、少しずつ後ろに押されて行く。
吸血種の身体になったとは言え、さっきまでただの駆け出し魔術師だった僕と立川に数々の魔術的な肉体改造をされていた司では地力に差があるのか。
「俺の人生メタクソにした大元の原因になったお前らがこの辛さを味わうことが無くて、俺だけずっとやりたくもない人殺しをせずにいられない身体で生きていくのかよ!」
「つ……かさ……!」
司のそれは、僕やクラリッサに向けられたものと言うよりも、自身の身の上に向けられた憤りのようだった。
「出自は選べない。キミも、昇クンもね。私だって好きで吸血種に生まれたわけじゃあない」
「じゃあ俺に他の生き方があったのかよ! アイツに身体いじくられて、人殺しにさせられて……!」
「……すまないが、私はキミの人生をつぶさに眺めて来たわけじゃあないからね。キミが人でなくなる前にあの男と縁を切るチャンスはあったかもしれないし、本当になかったかもしれない。私も散々命を狙われた結果、生き延びるために沢山殺した。大切だった友達とも戦う羽目になった。ままならない事と言うものは世界中に吐いて捨てるほどある。私達化け物の世界に限らずね」
「……」
「ただまあ、これは私見だけれど――キミは途中で『選択すること』を放棄してしまったように思える。彼の元から逃げ出したキミの母親のように、逃げることを選択することはできたんじゃあないかな。けれどもキミはそれをしなかった。おそらくは―ー」
「……るっせえんだよ……!」
司が僕を振り払おうと力を増す。
「い……行かせるか……!」
婆ちゃんやララと対立していた頃のような力の無い今のクラリッサを狙わせるわけにはいかないのだ。
「……昇クンの祖母が生きていれば、何かキミを救う手立てを見つけてくれたかもしれないが……残念ながら彼女はもう居ない。私達にしてやれるのは、せめてキミが人殺しを忌むべきものだと感じていられるうちに終わらせてやることくらいだよ」
「うるせえ……うるせえうるせえうるせえ……! お前が決めんな……! 俺の生き死には……俺が決める……!」
クラリッサは一度深く息を吐き、眼前にかざした手の前にいくつもの細い氷柱を出現させた。
「……そうかい。ならその選択を尊重する。全力で抗いなさい。かつての私がそうしたように」




