(10)
⒑
ドアを開け、誰も居ない部屋の明かりをつける。
主を失った部屋は、ずっと静まり返ったままだ。
婆ちゃんが使っていた書斎は遺品の整理もまだ手付かずの状態のままになっている。
「……」
本棚に並んだ大量の本の背表紙に視線を廻らせていく。
元々読書家だった婆ちゃんの蔵書は、この部屋にある数を数えるだけでもその多さがわかる。
物置なんかもひっくり返せばおそらくまだ出てくるかもしれない。
「けど流石に魔術関係のものは置いてないんだな。……まあ、そりゃそうか」
大方の予想はついていたけれど、わざわざ自宅から離れた場所に工房なんかを隠し持っていたくらいだから、そういう部類のものはこの家には持ち込んでいないのだろう。
じゃあどうしてこんな所で魔術と関係ない本を漁っているのかと言えば理由は二つある。
ララの一件があって、婆ちゃんの事をあまり深く知らないまま見送る事になってしまったんだなと言う実感がわいたことで、本当はどんな人だったのか興味が湧いたと言うのが一つ。
もう一つは、今少々一階に居辛い理由があって、二階で時間を潰しているのである。
「風呂か……言われてみればまあ、そりゃあそうだわな……」
帰宅するなり開口一番ララが風呂に入りたいと言い出した。
まあ確かに五十年近くあの廃屋で休眠していたのだし、あの人間そっくりな外皮(?)を纏ってからも屍人との戦闘を挟みつつ一日が経過している。
急に感情が表に出てくるようになったことも、彼女の行動に何か大きな変化をもたらしているのは疑いの余地はない。
……とまあそんなわけで、ララに風呂場の使い方を教えた後は、リビングに居ても居心地の悪さのようなものを感じてしまって二階へ退避してきたと言うのが二つ目の理由なのである。
「歴史書に……各地の伝承……それに民俗学……国内外問わずあるんだな……こういうのも、間接的には魔術研究とかと関係あったりしたんだろうか……」
タイトルだけを流し見て行ってもその分野の幅の広さには舌を巻くものがあった。
……と。
その中に、背表紙にタイトルの無い厚めの本が何十冊も続いている区画があるのが目に入る。
「……?」
気になって取り出してみるが、表紙部分にもタイトルは見当たらなかった。
おもむろに開いてみると、そこには手書きの字で日付と、来客が来て云々だとか、初雪が降っただとか本文が書き連ねて――
「これ、もしかして婆ちゃんの日記なのか」
はたと気付いて、僕はその本を本棚へ戻す。
日記と言うものは、至極閉じた、書いた本人だけが関わるものだ。
例え故人であってもおいそれと見るべきではない気がしたのである。
……けれど。
「……」
今更もう話す事も出来なくなってしまった婆ちゃんが何故、魔導人形みたいな超技術の結晶を作り出す域まで修めたものを誰にも継承しなかったのか。
その反面それらを廃棄するでもなく廃墟にカモフラージュした工房に封じて残したのか。
その痕跡は工房ではなく、魔術研究から離れたここにこそ在るように思えてならなかった。
「ごめん、婆ちゃん。……少し、借りるよ」
棚に戻した一冊を再び手に取ると、僕は電気を消して書斎を出た。
「昇さん、どこですか」
階段の下からララの声が聴こえたので覗き込む。
「あ、ごめん。ちょっと上に用事あったからさ。今下に行くよ」
自室に婆ちゃんの日記を置いて一階へ戻ると、浴衣姿のララが廊下に立っていた。
「その浴衣……どうしたの?」
「昔静が着ていたものを思い出しまして。魔力で再現してみました。細部は異なるかもしれませんが」
「へぇ、あの給仕服の応用で作れちゃうのか。……やっぱり凄いな」
「あの……そんなにまじまじと見られると」
「へ?」
見ると、また何だかララの表情が少し落ち着かない様子になってしまっている。
いかん、これは思ったよりもずっと気を遣わないといけない気がしてきたぞ。
「ごめんごめん! あんまり似合ってたからその……」
慌てて少し距離をとる。
「そ……そうですか」
「……」
「…………」
まずい。
間が持たない。
鼻孔を擽る石鹸の匂いが、余計に思考を散らかしてくる。
「ええと、ご飯……ご飯、何か簡単に作っちゃうからさ」
半ば無理矢理話題を変え、リビングへ入る。
「すぐできるから、テレビでも見てて」
そう言ってリモコンを操作しテレビをつけると、
『――上無市では未だ増え続ける行方不明者の目撃情報などの収集に努めるとともに、学童の集団登下校や、夜間帯の不要不急の外出自粛等を呼び掛けており――』
「……」
画面を見るララの表情は、やはり昨日までの淡々と事実を認識すると言ったものとは変わっており、この事件に対してひどく胸を痛めているように見えた。
「解決、しよう」
「え」
「僕はその当時の婆ちゃんほどアテにはならないだろうけどさ。でも、相手だって万全じゃないんだろう? 僕だって……いつまでも自分の住んでる町が物騒なのは勘弁願いたいからね」
「……はい」
ララの表情の曇りが、心なしか少し晴れたように見えた。
「マニュアルも読み込んで、少しでも助けになれるようにするよ」
「う……運用マニュアルだけですからね! 整備マニュアルはだめです!」
「あ、はい、すみません」
……思わぬところで地雷を踏んずけてしまった僕は、またララの機嫌が直るまで四苦八苦することになったのであった。




