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2月~雪の降る夜に3

 それから一度先生が残り湯の入ったケトルを取りに戻ったきり1時間が過ぎた。



(時間掛かり過ぎだよね…きっと外寒いだろうなぁ)


 小さなお鍋でお湯を沸かし、二人分のコーヒーを淹れる。



 カップを手に外に出ると給湯器を覗き込んで作業していた先生と半田さんが顔を上げた。



「あ、すみません…あの、寒いから良かったらこれ飲んで下さい」


「うゎあ、コーヒーだっ♪舞奈ちゃん天使!!」


「ちょっと待て」


 飛び付きそうな勢いの半田さんを先生が制す。



「南条、風邪引くといけないから中で世界史年表でも見てなさい」


「あ、はい…」


「昴さん、コーヒー頂きましょうよ!いやーめちゃめちゃ寒かったから生き返るわー!」


「駄目。まず給湯器直してから」


「えっ!折角のコーヒー冷えちゃいますよ!?」


「お前なんか舞奈のコーヒー飲めるだけでありがたいと思えよ」


「昴さぁぁぁんん~っ」


「やっぱり二人仲良しですね」


「どう見ても仲良しじゃないだろう…」


「舞奈ちゃーん!頑張るからねー応援しててねー!」


「はい!よろしくお願いします」


「舞奈はほら、中で待ってて。半田、早くしろよ、舞奈が冷えるから」



(先生いつの間にか名前で呼んでるし…)




 それから更に30分ばかりが経って、ようやく給湯器は復旧した。



「先生寒かったでしょう!戸棚にスープ見つけたから今作るね。ごはんにしよう」


「待ってたのか?先食べてて良かったのに」



 こんな何でもないやりとりに


(なんか新婚さんみたい!)


なんて、スープの器をかき混ぜながら思わずにやにやしてしまう。



 ふたりで囲む食卓はなんだか恥ずかしくて、でも嬉しくて。


 スープを飲みながら先生が言う。


「南条は気が利くよな。良い嫁さんになりそうだ」


「!


 それって誰の?」


「え…」



 カップを持つ先生の手が止まる。



「…俺じゃ、駄目?」


「!!」



 先生の視線に胸がきゅんと高鳴る。


(これって…プロポーズ…?)



「私も…先生が良い」



 照れて俯くと、先生の腕がこちらに伸びて肩を引き寄せられ、おでこにちゅっとキスが落ちた。



 食事の後ふたりで片付けを始めたところで、先生が言った。


「風呂入ってきなよ。またお湯止まるといけないから俺待っとくから」


「あ…うん。ありがとう。じゃそうするね」



 バスタオルとルームウェアを持ってバスルームに向かう。



(お風呂上がりに先生が待ってるとか…どうしよう!ドキドキしちゃう!)



 バスタブに浸かると冷えた手足がほわほわと解けていく。

 先生がいなかったらきっとお湯は出ないままで今頃こんな風にお風呂には入れなかったかも。



 心地よくお湯にとろけていると今日一日のことが頭の中を巡る。


 雪景色の車窓、思いがけない先生との再会、新婚さんみたいに辿る家路、それにキスの余韻も─



(あ、駄目…のぼせちゃう…)



 お風呂から上がってシャーベットカラーのふわふわのルームウェアを着る。髪を乾かしてリビングに戻ると、先生はテレビで雪のニュースを見ていた。



「あ、上がった?」


「うん、ありがとう。どう?雪」


「一応電車は動いてるみたいだな」



 ニュースに視線を向けたまま先生が立ち上がる。


「明日また来るよ」


 ダウンに袖を通しながら言う。



『各線とも徐行運転、間引き運転を行っており、大幅な遅延が…』


 雪が線路に吹き付ける映像と共にテレビが伝えている。



(大丈夫かな、先生…)



 壁に掛かる時計は既に10時を回っている。

 順調に帰れても先生が実家に着くのは12時近く。明日の朝も来ると言ってくれているけれど、そうするとどれだけ休めるだろう…?



「ちゃんと戸締まりしろよ」


 先生が靴を履く。そして玄関まで見送りに出た私の頭を優しく撫でると、背を向けてドアノブに手を掛けた。




「…先生!」



 私は先生のダウンの裾を掴む。先生が驚いたように振り返った。


 ダウンを掴む手にぎゅうっと力が入る。

 私は意を決して思いを口にする。



「せっ、先生も泊まっていったら?あっ、電車も何時に着くか分かんないし…それにあの、まだ雪も降ってるしっ!」


「……」



(先生ともっと一緒にいたいの!)



 電車が遅れてるとか、雪が降ってるとか、先生が休めないとか、そんなのは全部全部言い訳。



 一緒にいたい。


 ただそれだけ─



 震える手。泳ぐ視線。


『先生も泊まっていったら?』なんて、いくらなんでも大胆過ぎた…?


 先生はどう思ったろう…



「南条」


「…!」



 先生の声に肩がびくっと震える。



「…いいの?」


「え…」


「あ、いや、変な意味じゃなく…

 その…俺泊まってってもいいのかなぁ、って」


「!

 いいよ全然!だ、だってこんな凄い雪だもん、私も心細いし!」



 慌てて言い募る私に先生は眼を細める。



「じゃあ…お邪魔させてもらおうかな」


        *   *   *


「まだ起きてたの?早く寝ろよ。試験に響くよ」


「う、うん…」



 お風呂上がりの先生が髪を拭きながらリビングに入ってくる。濡れた栗色の髪が艶っぽくて、私は慌ててそっぽを向いた。



「先生、どこで寝る?」


「ん?俺、ソファ。南条はベッド借りな」


「狭くない?」


「平気。今日は雪と給湯器の修理で疲れたからどこでも秒速で眠れる」


「そう?」


「ほら、寒いし早く寝な」


「うん…じゃあ、おやすみなさい」



 ベッドルームのドアを閉めるとベッドに潜り込んだ。



 でも…


 隣の部屋に先生がいる。



(緊張しちゃって眠れないよ)



 枕元のスマホを開く。少しでも気を紛らわせたら眠れるかな…


 次々とページを繰る。雪のニュース、お気に入りのアーティストのインスタ、英文法の入試必勝サイト…



 ガタン…!



(あ、いけな…うつらうつらしてスマホ落としちゃった)


 床の上のスマホに手を伸ばす。



 と、その時…



「南条起きてるの?」


「!」



 ドアの向こうで先生の声。



「う…うん」


「眠れない?」


「…うん」


「明日試験だもんな、緊張するよな」


「……」



(違うよ…先生に緊張してるんだよ)



「……」


「……」


「…なぁ南条」


「っ!…はい!」


「……


 そっち、行ってもいい?」


「!!」



 胸がドキンと跳ね上がる。



「駄目?」



 早まっていく鼓動。


 何て答えたらいい?─




「…うん…いいよ」




 カチャと暗がりに音がする。

 闇の中に先生の薄手のスウェットの上に羽織った白っぽいカーディガンが浮かび上がる。



「大丈夫?」


「…うん」



 さくさくと衣擦れの音がして、先生が近付いてくる。

 先生がベッドサイドに膝を突いて私を覗き込むと、ようやく表情が見えた。



「何か話でもしようか?」


「…ううん。大丈夫」



 私は枕の横にそろりと手を置いた。先生がその手を握る。



「前にもこんなことあったな。覚えてる?」


「…うん」



 両親に進路希望が分かってもらえず家を出た日の夜。

 先生の部屋で私が眠るまで手を握り傍に居てくれた。



「…先生の手あったかい」


「こんだけ冷たくちゃ眠れないよな」


 先生がふっと笑う。



「…先生、寒い」


「ちゃんと布団入って」


「ね、先生もこっち来て」


「え…?」



 先生の唇が止まる。



「先生…」


「…駄目だよ、南条。もう寝なさい」


「…うん」


「……」



 夜の帳の中でふたり黙り込む。ただ握り合った掌だけが温かい。



 ふたりきり、こんな近くに先生がいて、こんなに静かでこんなに暗くて。


 …緊張しちゃうよ。



 でも…


 そんな緊張どうでもいいくらい、それより今はどうしようもなく欲しいものがある。


 緊張し過ぎておかしくなっちゃったのかな?私。



 でもね。


 先生が欲しいよ。

 全部私のものにしてしまいたい。誰も先生と私を引き離すことが出来ないように。

 先生と私の間を埋める空気にさえ嫉妬するくらい、もっともっと傍にいたい。いっそこのまま、溶け合ってしまいたい─



「…ね、先生」



 先生はひとつ瞬きして私を見る。



「…もっと傍に来て」


「……」


「一緒がいいの」


「……」


「こっちに来て?」



 先生が、まるで一度止まってしまった呼吸を吹き返すみたいな掠れた溜め息を吐く。



「…お前


 自分の言ってる意味、分かる?」


「……


 分かるよ。そんな子供じゃない」


「……」


「先生が欲しい、全部」


「南条…」



 先生の手にきゅっと力がこもる。

 加速する鼓動。身体中が火照っていく。



「やっぱ無理って途中で言われても、止められる自信ないぞ俺…」


「言わないよ」



 もう一方の手も添えて両手できつく手を握り締められる。

 きらりと瞳が煌めくと、想いが溢れるように熱い唇が強く重ねられた。



(先生…)



 熱い吐息。求める唇。互いが互いを欲し合う。


 先生が布団の縁をそっと捲る。



「……


 大丈夫。後悔はさせないから」



「ん…」



 先生はカーディガンを脱ぎ捨てベッドに潜り込むと、幽かに震える腕で私を抱き締めた。



「先生…」



 私は先生の背中に両腕を回す。

 髪を掻き撫でられ、強く強く、一分の隙もないほど抱き締め合う。


 先生の体温。先生の香り。


 速まった鼓動は緩まることがない。静かな部屋に重なり合ったふたりの心音が響く。



 後悔なんてするわけない─


 今ここにこうして貴方がいて、私がいる。


 それがなによりの幸福なんだから。



 幾度となく口付けを交わし、その唇が頬に首筋にと伝っていく。




「舞奈…愛してる…」




 吐息混じりの声が耳元に囁かれ、先生の指がルームウェアのボタンに掛かった。




「私も…愛してるよ、先生…」




 カーテンの隙間から漏れる雪明かりが細く私たちを照らす。


 今夜、ただこの純白の雪だけが、私たちの密事を垣間見ていた。


        *   *   *

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