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12月~「先生私のこと、好きですか…?」1

 土曜日、私は塾に数学クラスの申し込みに行き、直ぐ翌週から早速授業が始まることになった。


 これから週に一度、塾のある日は先生に逢いに行けなくなる。

 それが一番の不満。


 でも今は我慢しかない。今はただ受験を成功させることを最優先にする。



 自分のためにも、そして応援してくれる先生のためにも─



 放課後、私は学校を出る前、普段より早い時間に一応英語準備室を覗く。

 けれど案の定他の先生がいて、先生とは話せなかった。



「先生、バイバイ」


と手を振ると、


「またな」


と、デスクからちらっと顔をあげて返してくれたのが今日唯一の会話。



(もっと一緒にいたいのに…)


 仕方なく学校を後にし、塾へと向かう。



 冬のはじめの早々に暮れる空。

 電車で二駅のいつも乗り換える駅で降り、少し歩く。



 授業の始まる15分程前に着くと、教室には既にぱらぱらと生徒が着席していた。

 私は真ん中より少し後ろの空いた席を選んで座る。


 それからテキストを何となく開いたまま、ぼんやりと教室のドアを出入りする人々を見るともなく眺めていた。


 クラスの多くは近隣の県立高校の子達で、私と同じ学校の人はいないようだった。

 そのほとんどはいかにも受験生らしい落ち着いた雰囲気の子ばかりで、一人か、せいぜい2、3人の少人数で教室に来て、席で静かにテキストを読んだりしていた。



 席が半分ばかり埋まり開始まであと数分ほどという時、


「きゃははははー!」


と女の子の華やかな笑い声と共に教室のドアが開いた。



 紺色のブレザー姿の男の子と女の子数人ずつ。


 明るい髪色とピアス、女の子達の際どいミニスカートが眼を引く中、取り分け目立つのが先頭に立つ背の高い男の子のアッサムティーのような紅い髪。



「あたしもユウトと一緒のクラスが良かったぁ~」


 紅茶色の髪の男の子の腕に絡み付いた女の子が言うと、


「じゃもっと勉強しろよ」


と彼はからかうような口調で返す。



「えー無理ぃ」


「ユウト、帰りまた迎えに来るねー」


「また後でな、ユウト」


 華やかな一団は口々に言うと更に先の教室に向かうらしくお喋りしながら廊下を進んで行き、ユウトと呼ばれた紅茶色の髪の男の子だけが残されて教室に入ってきた。


 そして彼は教室の後方に向かい、後ろの方でどさりとバッグを置く音がした。



(なんか派手な子もいるんだ)



 何となくそんなことを思った時、再びドアが開き、眼鏡を掛けた痩せた男性が入ってきた。先生のようだ。


 先生が教壇に立つと少しばかりの雑談をして、直ぐに授業が始まった。



「与えられた等式の左辺を虚数単位iについて整理すると─」


 コツコツと黒板に向かいチョークを走らせていた先生がこちらを振り返る。


「ここはどうなるか?今日は誰か聞いてみようか?」


 そう言った先生と不意に眼が合う。



「そのセーラー服、菊花女学院?」


 訊ねられ、私はこくりと頷く。



「ここの塾に菊花の子が来てるの珍しいね。じゃあこれ、君に聞こうか。えーと、君、名前は?」


「南条です」


「じゃ南条、ここに当てはまる式は?」


「はい。え、と…x+4y=-2と…2x+3y=1」


「正解。ここで重要なのは係数が実数であって初めて相当条件が成立することで─」



 急にあたると思わなかったからびっくりした…


 けれど特に何ということもなく、初めての授業は淡々と終わった。



 終わると直ぐに先生は教室を出ていき、生徒たちも銘々動き出す。


 私もペンケースを片付け、テキストとノートを重ねてバッグにしまっていた。

 すると不意に眼の前が陰った。



(?)



 私の机の脇に人影が立っている。


 見上げるとそれは先程の紅茶色の髪の男の子だった。



「…?」


 言葉も出ずぱちくりと瞬きして、男の子の顔を見上げたまま沈黙する。


(何…?)



「お前さ、」


 それを破ったのは彼だった。



「東小出身じゃね?」


「え…」


「東小の南条舞奈」


「!!」



 なんで私のこと知ってるの?

 名前に、出身小学校まで…



 疑問を口にしようとしたが、それを遮るように先に彼が訊ねた。



「俺、誰か分かる?」



 紅茶色の髪の背の高い男の子─


 着崩した紺色のブレザーとゆるっと締めた臙脂のストライプのネクタイはおそらく県立西高校のもの。

 切れ長の眼、薄い唇、鼻筋の通った大人っぽくシャープな印象の顔立ち。



「…ごめんなさい」



 多分会ったことない…と思うのだけど…



「分かんないの?」


「……」



 分かんないも何も初めて会った、はず…



 応えに窮して口籠っていると


「はぁ…」


 彼は不機嫌に溜め息を吐いた。



清瀬優翔きよせゆうと。小学校、ずっと一緒のクラスだったんだけど?」


「…ごめんなさい」


 今度は名前を聞いても思い出せない失礼を詫びた。



「ユウトぉ!」


 その時、先程の華やかな一団が教室に入ってきた。



「帰ろうよー」


「なぁ、マック寄ってくだろ?」


 彼等が清瀬くんを取り囲む。



「あー悪ぃ、先行ってて」


「えっ?なんで?」


「俺コイツと話あるし」


清瀬くんが親指で私を指した。



「!?」



 彼等が一斉に私を見る。


「誰?」



「6年ぶりの幼馴染み。


 で俺、コイツの初めての男」



「はぁっ!?」



 驚く私に相反して、一団はどっと笑った。



「うゎ。ユウト、サイテー!」


「ガキの頃からマジヤバいんだけどぉ」


「女遊びも大概にしとけよー」



 彼等はころころと笑いながら


「じゃーねーユウト」


「頑張れよ!」


等と言いながら教室を出て行く。



 私は清瀬くんに詰め寄った。


「ちょっと、どういうことよ!適当なこと言わないで!!」


「あー間違えた」


「はっ!?」


「俺お前の初めての『男友達』の間違えだった」


「なっ…!?」



 さらりと適当なことを言う清瀬くんに苛つかせられる。


 が、当の清瀬くんは涼しい顔をしている。



「なぁ。次の授業始まるけど?ここ出た方がいいんじゃないの?」


 そう言って清瀬くんは私の腕を掴んで椅子から引き立てた。



「いっ!言われなくても帰ります!」


 清瀬くんの手を振り払うと、コートを羽織りながらドアに向かう。


 その後ろを清瀬くんが付いてくる。



「まだ何か?」


「いや、俺も帰るから」


「……」



 私はぐっと歯噛みして清瀬くんを睨むと、廊下を小走りで抜けた。




「ねぇ!どこまで付いてくるの!」


 塾を出て、駅までの道を足早に歩く。



 私の隣には、清瀬くん。



「だから帰んだって。同小だって言ったろ?俺んち、お前んちと同じ方だから」


「友達とマック行くんじゃないの!?」


「別に。いつもの馬鹿話だから。行かなくても変わんねーし。

 ていうか、そんな怒んなよ。幼馴染みとの久々の再会を喜べねーの?」


「あなたと幼馴染みなんかじゃありません!」


「つれねーな。マジで覚えてねぇの?」


「覚えてません!」


「小1とかそんくらいん時お前男苦手だったろ?んで最初に友達になってやったの俺なんだけど?」



 確かに小さい頃私は男の子が苦手だったけど、最初の男の子の友達が清瀬くんかどうかは覚えていない。


 無意識のうちにどんどん足が早まって行く。



「舞奈、待てよ」



 清瀬くんが私の肩を掴み、反射的に足が止まる。


 私は清瀬くんの眼を見てきっぱり言った。



「覚えてません。ごめんなさい」



 でも清瀬くんも退くことなく、負けじと私の顔を覗き込み畳み掛ける。



「お前、俺のこと振ったんだけど、それも?」



「えっ!?」



「6年の時。お前俺のこと、そりゃあ手酷く振ったんだけど、覚えてねーの?」



 清瀬くんを振った…?


 そんなことがあれば流石に覚えているはず…



「そんなこと…なかったけど」


「あった」


「人違いじゃない?」


「んなわけねぇだろ。


 初恋の人を間違える馬鹿がどこの世界にいんの?」


「……」



 初恋の人─


 清瀬くんの言葉についどきりとする。



「なぁ舞奈」



 清瀬くんが私の名前を呼ぶ。

 その声に思わずびくっと緊張が走る。



「運命の再会ついでに俺と付き合っちゃわね?」



「!?」



 唐突に何を言い出すんだろう!


 悪い冗談?何にせよそんなの受け入れるわけない。



 だって私は



(先生のこと、好きなんだから…)



 私はくるくると首を振る。



「なんで?彼氏いんの?」



 私はもう一度、今度は小さく首を振った。



「じゃあいいじゃん」


「無理。清瀬くんこそ彼女いるでしょ!」


「俺?いねぇよ?」


「さっきの子は?」


「あー、あれ友達。彼女とは一昨日別れたし」


「一昨日…」


「いいじゃん。

 1週間でいい。1週間お試し。よくあんじゃん?会員登録とかで」


「お試しって…」


「ん?俺いつも告ってくる子とそうしてるけど?試せてお得じゃん?な、いいだろ?」


「…無理」



 清瀬くんは私の肩を放すと今度は腕を取る。



「やめて」


「どうせ同じ方に帰んじゃん」


「…分かったから。一緒に帰るからその手はやめて」



 清瀬くんは私から手を放した。

 それから微妙な距離を取りながらふたり駅に向かって歩き出す。


 電車に乗り、自宅最寄りの駅で降りるまで清瀬くんも私もそれ以上話すことなく押し黙っていた。


 改札を抜けて私はようやく口を開く。



「ここまででいいから。そんな遠くないし」


「どうせ俺んちお前んちの向こう」


「……」



 結局また清瀬くんの隣を歩く。

 私は落ち着かない気持ちで清瀬くんをちらりと見上げた。


 街灯が清瀬くんの瞳と明るい髪を照らして煌めかせている。

 それは存外に綺麗で、きっと学校でも女の子に人気があるだろうな、と思った。



「なぁ舞奈」


清瀬くんが私を呼ぶ。



「覚えてない?6年の夏の天体観測会のこと」


「天体観測会?」


「お前に告白した」


「!!」


「気になる?」



 そう言うと清瀬くんは通りがかった児童公園に入って行く。

 私もそれを追い、ブランコに腰掛けた清瀬くんに倣って隣のブランコに座った。



「まぁ何てことない話だよ。流星群が来ててさ、めっちゃ綺麗で思わず勢いでお前に告って。

 で、あっさり撃沈、って話」



 清瀬くんはこちらに向かってはにかむように微笑む。

 その表情は大人っぽい顔立ちが少し幼く見えた。



 清瀬くんのどこか切なげな微笑みは、記憶にないこととは言え、それは私のせいなのだと思うと申し訳なくなる。



「なぁ舞奈、やっぱ俺と付き合ってよ」


「……」


 無意識に奥歯を噛み締める。



「…無理」


「なんで?俺そんなに嫌われるタイプじゃないと思ってるけど?」


「…好きな人がいるの」


「片想い、てこと?」



 私が小さく頷くと清瀬くんがブランコから立ち上がった。

 ブランコがキシキシと鎖を鳴らして揺れる。


 そして清瀬くんは私の後ろに回り込むと私を背中から抱き締めた。



「!!」



 引き離そうとするけれど、清瀬くんはびくともしない。



「清瀬くんっ!」



「ソイツ、お前のこと好きなの?」



「!…そんなの分かんないよ!」



『先生私のこと、好きですか?』─



 ほんの少し期待して訊いてみたかった台詞。

 でも訊けなかった台詞。


 先生が私のことを好きだなんて、そんな夢みたいなこときっとない。

 でも本当のところの先生の気持ちがつまびらかになることは決してない。



 だって─



「ソイツ、お前のこと好きって言えんの?」


「!!」



 だって…


 もしも、もしも万に一つでも先生が私を特別に思ってくれていたとしても、きっとそれは声に出すことは出来ないことで。許されないことで。


 だからそれを私が聞くことは絶対にないから─



 私は清瀬くんに何と返していいか分からずに迷って、視線が泳ぐ。



「俺なら舞奈のこと幸せにできる自信あるけど?」



 清瀬くんが囁く。



 その言葉の裏の意味は?


『先生を好きでも幸せになれない』ってこと?



 街灯の灯りが滲んで見える。



「…幸せじゃなくて、いいの。


 ただ好きでいたいの…先生のこと」



「先生?」



 清瀬くんが訝しげに聞き返す。



「だったら尚のこと。止めとけよ、お前のこと好きだって言えない奴なんて」



 清瀬くんの言葉に力がこもる。



「俺にしとけよ」


「…無理だよ」


「2度も俺を傷付ける?」


「……」


「ごめん。でも、本気だから」



 清瀬くんがそっと私から離れる。


 そして今度は私の脇にしゃがみ込み、ブランコの鎖を握る私の手に彼の手を重ねて俯く私を覗き込んだ。


 清瀬くんのチャラい第一印象から一転、真剣な瞳に戸惑ってしまう。



「そんな顔すんな」


「……」



 清瀬くんは溜め息を吐く。

 それから私から視線を離すと、私の手の甲に重ねた掌の力をきゅっと強めて、少しの間何か考えるように遠くを見つめていた。


 やがて掌をそっと離して立ち上がる。



「一週間。俺と付き合ってよ?好きな奴のこと、忘れさせてやる。


 俺、本気だよ?だから、考えといて」



清瀬くんが私に手を差し出す。


「行こう」



 私は清瀬くんの手は取らず立ち上がる。


 清瀬くんはそれ以上何も言わず家の前まで送ってくれた。




 私は家に帰るとクローゼットの奥から1冊のアルバムを探し出す。



 小学校の卒業アルバム。


 私と同じページに「清瀬優翔」くんがいた。



 小学生にしては少し大人っぽい甘いマスクの彼。


 そう言えば友達の中にも清瀬くんが好きだと言う子が何人もいた。

 ようやく幽かな記憶が蘇る。


 昔から長身で、バスケやサッカーが得意で、女の子にモテて、男の子からも人気があって。


 でも私はあんまり話したこともなかった彼。



 そう言えば天体観測会の夜、



「舞奈、俺とずっと一緒に…星見てねぇ?」



と言われた気がする。


 遠い記憶。数少ない彼との会話。


 もしかしてあれが告白、だったのかな?



 きっと子供の私は気付かずに


「無理。家帰んなきゃだから」


なんて返したんだろう。



「…無理だよ」



 私はまたアルバムをクローゼットの奥にしまい込んだ。


       *   *   *

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