58『トラブル』
朝から森で狩りをするテオドールとイジを見送り、出掛ける支度を始めた。
クラン本部のテオドールの部屋に間借りさしてもらっているアンナリーナは、普段は足首までのロングワンピースを着ているが、今日は久々にチュニックとレギンスを着込み、ブーツを履く。
クリーム色の、襟から前立て、裾に至る一回りを薄い緑の蔦の模様の刺繍を施したローブに袖を通した。
街中では武器を持たないのでベルトはしない。
「じゃあ、お留守番頼むね〜」
セトとアマルにそう言って、テントに向かう扉を開けた。
ちなみにアラーニェは、新たに増設したアトリエで布を織っている。
先日からずっと織り続けていて、今はそういう気分らしい。
今着ているチュニックも彼女の作品だ。
らんらんと聞こえてきそうなご機嫌のアンナリーナが階段を降りてくる。
最近、すっかり馴染になったその光景に、クランのものはもう何も言わない。
「いってきまーす」
いつもより多いポーションを渡しながら、ドミニクスとは雑談を交わす。
それはもう間近に迫った魔法学院の受験に対するものである。
「試験のお勉強は進んでいますか?」
一般常識と国語と計算。
アンナリーナの弱点は歴史だが、ナビがいる。
参考書を何冊か、王都から取り寄せて、ナビとともにすべて覚えたつもりだ。
「多分大丈夫。
それから、王都に慣れたいので少し早めに立つつもり」
「寂しくなりますね……」
ドミニクスが力なく笑う。
「ちょくちょく、戻ってくるつもりでいるし?
ポーションやお薬も【疾風の凶刃】経由で届けてもらうように、話をつけときましたから」
嘘も方便である。
テントの扉を増やして、ツリーハウスとともにテオドールの部屋とも繋ぐつもりでいる。
そうでなければ、とてもテオドールを説得出来なかっただろう。
彼の心配する様子は、アンナリーナから見ると異常に思えるほどだ。
「とにかく、まずは無事合格を祈っていますよ。
まあ……心配するだけ無駄だとはわかっているのですけどね」
「うふふ、ありがとう」
出発までにもう一度納品できるだろう。今日からの代金はすべてギルドカードに納金してもらう事にして、鑑定室から出てきた。
そこに。
「あのっ……」
冒険者ギルドには不釣り合いな女の子が走り寄ってきて、アンナリーナのローブを掴む。
「ん? なに?」
見たところ10才ぐらいだろうか。
アンナリーナの身長が低めなので、さほど小さくは見えない。
「あんたは薬師なんでしょう?
うちのお母さんを助けて!」
ぞんざいな口のききかたは家庭環境によるものかもしれないが、なぜここで自分に言ってくるのか、アンナリーナには理解出来ない。
困惑しながらも口を開いた。
「助けて……って、診てみないとどんな病気かわからないわ。
ねえ、お家はどこ?」
ローブを握りしめられたままなので、迷惑そうなアンナリーナだが、薬師らしく聞いてみる。
すると見るからに狼狽した女の子がローブから手を離して後退った。
「いいの、家に来なくてもいいの!」
「そんなこと言っても、様子を診て症状に合ったお薬を出さなきゃ、効かないのよ」
「そんなのどうでもいいのよ。
ポーションならどんな病気も治るって!」
「ポーションで病気は治らないわよ?
第一、最低ランクのポーションでも金貨3枚するのよ。
あなたに払えるの?」
「そんなお金なんてあるわけないでしょう?
早くポーションをちょうだいよ!」
アンナリーナはカチンときた。
「薬師なんだから、それくらいくれたらいいじゃないの!」
「ちょっと待って。
あなた、薬を買うつもりじゃないの?」
「ここに来たのは、薬師が来るって話を聞いたから。
早くポーションをちょうだい」
呆れ果てて言葉も出ない。
「話にならないわね。
あっちに行って」
さすがに腹を立てたアンナリーナが突き放すように言うと、踵を返す。
そこに口を挟んできたのは、ある意味予想できた人物だった。
「そんなこと言わないで、ポーションくらいやったらいいじゃないの。
たっぷり稼いでいるくせにケチね」
カウンターの向こうでミルシュカがこちらを睨んでいる。




