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戦争捕虜の少女たちが労働施設でロックバンド  作者:
みんな傷つけザラザラ山猫
62/64

四人の音マス

 変質した。

 そんな感覚があった。きっかけは桜で、彼女がちょこちょことドラムスのテンポを変えたところからやや引っ張られるようだった。

【お尻を拭いてもらうことに慣れすぎちゃった子犬ちゃん。餌が天から降ってくる】

 私はそれに負けじと叫んだ。叫んで叫んで叫びまくった。そして、私の上昇に負けじと雲のギターが追い縋ってきた。私たちはどこまでも高いところで飛んでいる気がした。

 でも急に呼ばれたんだ。

 こっちだよって。

 チョコのパイプオルガンは彼女らしからぬ優しい音色で、私たちの楽曲の着地点を先回りする。それをちょっとずつちょっとずつずらして、いつのまにかみんなの中にいるみたいに。

【可愛いね。大好きだよ。私を神と崇めて集ってくれてどうもありがと】

 あっという間に二曲目が終わる。

 あと一曲でネクタリオ=ハックツァーの心変わりを起こさせないといけないだなんて、そもそも計画がどうかしている。

 周りを見渡す。後ろの方からは相変わらず怒号が飛ぶし、前方はまだまだ冷めている。でも、その前方からチョコが加わった。

「最後の曲の前にメンバー紹介を。まずこのバンドを立ち上げた功労者、近づいてはならないその人。御久遠寺雲!」

 雲が超絶技巧のソロを掻き鳴らす。たったそれだけのことで後ろの雑音は消えてしまう。雲は最初からそうだった。彼女はいつだって特別で、みんなが彼女の一挙手一投足に支配されていた。でも少なくとも、もう音マスの中では特別じゃない。だって同じくらい特別な人が他に二人いたら、それって特別じゃないでしょ。

「人のために傷つくことができる音マスの女神。祭野桜!」

 観客の注目が集まるタイミングを見計らって、一度大きくバスドラムを鳴らす。地鳴りのようなそれは客席全体に浸透し、それからタム、スネア、クラッシュシンバルの細かなドラミングでみんなの心を掴んだ。いつも自分以外の誰かのことを考えている。そんな仲間が、ここにいる。

「冒涜的テクニシャン。いままでどこいってたんだよ。仲間だろーが。チョコ=ヴィッテ!」

 こんな土壇場で戻ってくるなんて、本当に狂ってる。だってチョコはムオン人で、ムオンの偉い人の前で敵国の奴隷に混じって楽器を鳴らすんだから。あとで殺されるんじゃない? チョコが打鍵するたびに神々しいパイプオルガンの音。それはきっとバンドを助ける音だ。そういえば、そうだった。懲罰房に閉じ込められたときも助けてくれた。最後に助けてくれるのは、いつもチョコだ。

 一人で都会に出て、必死に戦ってきた。あるいは田舎にいるときから孤独ではあったわけだけど。そして敗戦国の奴隷になって、一年耐えた。そうしたら、最高の仲間が三人できた。

「最後に私は山田山猫」

 タイミングを逃したのか、私が名乗っても観客からの暴言は飛んでこない。

「いつも一人で頑張ってきたと思ってきたけれど、いまこの場で、こんなにすごい仲間と出会えて驚いています。短いけれど最後の曲を。『箱の中の捨て猫』」

 Amから始まるやや切ないアルペジオのコード進行。

 整然として、かなりきっちりとした癖のないギターを、これまたなんの乱れのない桜のパーカッションに乗せて。

 そのメロディに合わせ体をゆするだけでなんだか心地よくて、きっとこの会場の人がみんなもそう思ってるに違いなかった。

 だから、それは申し訳なくもある。

 だって邪魔でしょ。

 私のベースは。私の声は。私はいつだって、邪魔ものだったんだ。

 べん。べべん。

 余計なタイミングでぶつける私のベースは、素敵な旋律の上で本当にこざかしい。

【みんな敵だったんだ】

 優しめに言葉を差し込む。すると、それをフォローするようにチョコのオルガンが追従した。滑らかで優しいレガート。強弱のつけづらいオルガンで、どうやればそんな旋律が紡げるのだろう。

【私を閉じ込めようとするから】

 規律の取れた、優しい音楽のフレーム。久々に揃った四人の音マスの演奏は幾重にも重なって、温かいお湯に浸かっているような心地よさがある。体の力が抜けて、私は空間に揺蕩っていた。

【荒屋の寝床から歩ける距離だけの世界で窒息しそうになるんだよ】

 ベースを叩きながら、刺々しい歌詞を叫ぶ。自分の声が聞こえない。どんどん自分という存在が曖昧になる。私は私じゃない。もっと大きな生き物の一部だ。その大きな動物っていうのはきっと音マスだ。おり重なる音が一つになっている。

【みんな敵だったんだ】

 何これ。

【私を傷つけようとするから】

 私は必死に声を振り絞ってるのに。

【みんなが群れて大きな一つな塊となって私に落っこちてきたんだ】

 どうして観客は歓声をあげているのだろう。

 さっきまでは違ったじゃん。みんな罵声をあげて、その音で私を引き摺り下ろそうとしていたのに。それがいつの間にか拳をあげさえすれど、味方みたいに声をあげて。

【嫌い嫌い嫌いだからこそ限界がきた】

 そっか。そういうことか。

 いまここにいるのは山田山猫じゃない。

 音マスだから。大きな音マスっていう動物だから。そしてひょっとしたら、音マスっていうのは四人じゃなくて、もっと輪郭が曖昧で、巨大で、温かで。

 この教会の中にいるみんながいま、音マスになろうとしてるみたいに。

 声を張ろうとしなくてもしなくても声がでる。何も考えなくたって、勝手に手がピッキングする。委ねるだけで体が動き、それは心地よい音楽になる。

 なにこれ。

 こんな感覚は初めてだ。

【だから閉じ込め返したんだ。そうしたら自由になれたよ】

 そこにいるのは死ぬのと同じだと思って実家を出た。

【だから叩き割ったんだ。そうしたら仲間ができたよ】

 みんなとぶつかって、雲にだって文句を言った。

【昨日と違う今日を送れよ手段は問わないとにかく全力であればさ】

 一歩ずつ一歩ずつ、できることをやった。

 幸運もあったし、頼りにできる仲間もできた。

【新しい光景の青写真を描けよ自分だけのために】

 自由になりたかったんだ。

 そのために我儘を貫いた。だから、いくら仲間ができたとしても本質的にはずっと一人だと思っていた。だって行動は自分のためだし、私のせいで傷つく人がいることだってわかっているから。

 そりゃ、同じ方向を見てみんなで進めればこれ以上はないよ。でもそうじゃないじゃん。

 人生だから。

【自分が傷ついたって。誰を傷つけたって】

 それなのにさ。

【欲しいものがあるからまっすぐに走れ】

 どうして。

 どうしてどうして。こんなに気持ちが良いのだろう。しかもそれは私だけじゃなくて。

 雲も。

 桜も。チョコも。

 観客までも。

 わかるんだよ。いまこの瞬間は、みんなで同じ快感に浸っていたんだ。

 私のベースとボーカルと。

 雲のギターが、桜のドラムスが、チョコのパイプオルガンが。

 観客の歓声が。

 すべてが一つになって、いままで到達し得なかったところに立っているんだ。

【振り返ると、友達がいるよ】

 最後の一説を歌い終える。

 余韻を作り出すみんなのアウトロが、体の心を震わせる。私だけじゃない。観客のみんなの感動が手に取るようにわかった。だって私たちは一つの動物だから。

 バンドって、すごい。歌って、すごい。

 もうこの場で死んじゃってもいいくらい、いまが人生の最高潮だ。

 でも。

 まだ先がある。

 このときのためにバンドを作った。彼のために、歌を歌った。

 私は目の前で座っている何を考えているかわからない男を見て、訊ねた。

「本日はご観覧ありがとうございました。何か感想をいただけますか?」

 歌より雄弁な言葉なんてないから、私のできることなんてもう確かめることだけ。

 男はまっすぐ私を見つめた。

 彼は何の表情も作らないまま、優しげに答えた。

「よかったよ。とっても興奮した」

 ぜんぜんそんな姿を見せてはくれなかったけれど、その一言に安堵を覚える。

「今日はいいものを見れたよ。ところで君は、もし名誉ムオン人になれると言われたら、ニッポニアを裏切ることはできるかい?」

「…………え?」

 逃げ場のないステージで、彼は私を逃げられない視線で見つめながらそんなことを言った。彼が一言喋っただけで、さっきまでの熱狂が嘘みたいに教会は水を打ったように静かになった。

 ターニングポイントなんだ。

 私は彼の考えを変えるために歌を歌った。それがどこまで彼に浸透したかはわからないけど、私は気に入られたのかもしれない。

 もしその言葉に頷けば、私はもう一歩先へ進める。きっと頷いたら、またたくさんの仲間を傷つけるよそりゃ。桜や、他の捕虜のみんな、あるいは雲だって。でもここで私が頷けば、その後の希望に繋がるんだ。いずれ私がみんなを助けるための一筋の希望に。

 大丈夫だよ。

 得意なんだ。

 人を傷つけるのは。

 人から嫌われるのは。

 それなのに。

「できません」

 口から出たのは、思ってもみない言葉だった。あれ、どうしてこんな言葉を言ったんだろう。早く否定しなくちゃ。違う言葉を言わなくちゃ。

 いまいっときみんなを裏切ったとしても、それが最後には助けることに繋がるんだから。

 でも、私の言葉は喉元で空回りするばかりで、先に彼が話し始めてしまった。

「あはは、冗談だよ冗談。さあ、もう帰ろうか!」

 言って、共産党員たちは教会から出て行った。


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