あなたじゃない
音楽室に響き渡る桜のフィルイン。
タムやクラッシュシンバルを叩くことも様になってきており、すでに付け焼き刃から離れつつある巧みなグルーヴ。
きっと労働中だって彼女の頭はドラムスのことでいっぱいだ。そうじゃなかったらこんなにすぐ上手くなるはずがない。私のベースと雲のギターがぶつかり合って、その仲裁にチョコのキーボードが奔走する。
そして叫ばれる桜の声。声。声。
その声は楽器のすべてを優しく包み込んで、全体で一つのハーモニーとなる見事なヴォーカルだった。
間違いなく、良い。
そしてそれは、私が余計なことを言わなければより良い。少しの間私が抜けただけで、私たちの曲はこれだけの自己修復力を見せてしまった。
アウトロを弾き終え、曲が終わる。楽器の余韻が消え、部屋には桜の吐息だけが残る。
桜は不安そうにこちらを見ている。
「……どうかな」
「いや、めっちゃいいでしょ」
チョコが続ける。
「やっぱりあんたの指摘がなければ良くなるよ。そりゃ、計画が上手くいくように頑張ってるのはわかる。でも気負いすぎだよ。みんなをもっと、信頼してさ——」
チョコの言いたいこともわかる。
でもわかってしまう。この方向性で突き詰めた先の、私たちの音楽の到達点。そこではきっと、私は全く満足できそうもない。
私は真っ直ぐに、桜を見て言った。
「桜、ヴォーカルを、降りて」
「…………え?」
何を言ったのかわからないというように、桜は口をぽかんと開けた。そしてその口は徐々にパクパクし出して、何か喋ろうとしているのだが言葉にならないようだった。
「おい、何言ってんだ。桜の何が気に入らないんだ!」
「ううん、桜は好きだよ。でも、もっと別の音楽がやりたい。やりたい音楽があるんだ」
「桜は一生懸命練習してるし、どう考えたって一番いいだろ。誰がヴォーカルをやるんだよ」
「私がやるよ」
「はぁ?」
チョコが首をかしげる。チョコは私が歌っているのを、見たことがないし、本当に何を言っているのかわからないんだ。
「いいわね! それってとっても素敵!」
「雲まで、何を——。だいたい山猫なんて、歌えるわけないだろ。そんな汚い声で」
「——やめて!」
強く、桜が割って入る。桜はいま傷つけられているのに、私が傷つけられようとするのを止める。桜はそんな子で、私はこれから彼女のそんな性格を利用するんだ。
「チョコちゃん、言っていいことと悪いことがある。酷いこと言おうとするなら、ウチが許さないから」
「でもこいつは、おまえをヴォーカルから外そうと」
「それが必要なら仕方ない」
「目的があるんだろ! 絶対に桜がヴォーカルをやった方がいいって! おまえだって、ヴォーカルやりたいんじゃないのか」
「やりたいに決まってんじゃん! たくさん練習してきてさ、みんなが期待してくれて! 今更降りられないよ! だけど……だけど……」
桜は歯を食いしばって泣いていた。
「ごめん、やっぱりちょっと無理かも」
桜はスティックを置いて、ふらふらと音楽室を出て行った。追うようにチョコがそれに続き、ドアを強く閉めた。
音楽室が静まり返る。
こんなにも簡単に、私たちなんて崩壊する。その廃墟は、とても静かだ。
「さっそく壊しちゃったわね〜」
「まぁ……ね」
「じゃあ、やろうか」
「うん」
言うと、雲は細かなアルペジオのバッキングを弾き始め、廃墟に少しずつ花が咲き始める。
私はそれに、ささやかな声を乗せる。
「一人だけ幸せそうで」
細かくて綺麗な、粉雪のようなギターリフ。それに支えられるのは、私の毒々しい呪詛。それなのに、一言発するだけでそれが自分のことだとわかってしまう。
「一人だけ楽しそうで」
雲が勝手に録音した私の恨み言。大っ嫌いな声の、刺々しい言葉。でもそれが雲のギターに包まれるだけで、どういうわけか大好きになる。この世界の主役になる。
でも今の主役はそれだけじゃない。私はベースを弾けるから。この耳障りな声に、この打楽器をぶつけられる。ああ、なんて楽しいんだろう。
ぶつけながら、叫ぶ。
「一人だけ何でもできるじゃないですか」
こんなふうにバンドをぶち壊したばかりなのに、本当にそう思ってしまうんだ。
何でもできるじゃないですか。
だって、音マスを動かせるのは私だから。




