本当の祭野桜
「ということで皆さん、お酒は一気に飲むと中毒症状を引き起こしますよ〜。ほどほどに嗜んでくださいね〜」
追加の酒を掲げながら、堂々と雲は入っていった。
「おい雲。理解できないんだが、そこの女は死んだのか?」
尋ねたのはビーツだった。雲は首を横に振る。
「寝ているだけですよ〜。でも一歩間違えれば死ぬこともあります。人によってどれくらい飲めるかも違うから、少しずつ飲むのがいいと思います!」
言うと、雲はすべてのビンの蓋を開け始め、一口分ずつコップに移し、それを全部飲み切った。少しだけほてったように彼女の皮膚に赤みが差した。
「はい、こちらも毒味は完了したので、楽しく飲んでくださいね〜! 手毬さんたちは皆さんにお酌して差し上げて! 山猫さん、私たちは桜さんを運びますよ」
いいつつ、担架もないため雲が桜を背負っていくようだった。
私たちは手毬たちを置いて納屋を出た。凍つく夜風が吹き荒ぶ中、私は雲に尋ねた。
「ど、どういうことですか? お酒に毒、混ぜられてないじゃないですか」
「そりゃ、事前に替えたからね〜。手毬さんが酒瓶を盗んだタイミングもわかってて、隠す場所だってそんなにないんだからすぐ見つけられるわ。同じ瓶のお酒と入れ替えるくらい簡単よ〜」
言われれば簡単なことではある。しかしそれをリアルタイムでなんのミスもなくこなしてしまう雲の推理力と実行力に驚嘆してしまう。
ただ、だとすればあの場の毒で誰も死なないことはわかっていたのでは?
「今日は何しに来たんですか? いえ、結果として桜を看護できそうなのでよかったんですけど」
「手毬さんが余計なことを言い出さないように見届けに来たのよ。もう大丈夫かと思ったから戻るのだけどね! 魂抜かれたようなお顔をしていたわ〜」
なんだか手毬も少しだけ気の毒な気がしてくる。
「……ひょっとして、桜も雲さんの仕込みですか?」
「知らないわ! 彼女は勝手にやっただけじゃないかしら?」
桜はなぜあんなことをしたのだろうか。毒の瓶を普通の酒に替えたことは多分雲しか知らないはずで、だとしたら桜は死ぬことをわかっていてあんなことを。
なんだか胸に苦い気持ちが広がった。
私たちは雲の宝物庫に到着し、布が敷かれたところに桜を寝かせた。
「じゃあ、私は集団房に帰るから、あとは看病をよろしくね!」
「え、帰っちゃうんですか?」
「ええ、眠いもの」
……なんという言い分だろう。はっきり言って、この宝物庫の方が集団房の棚よりもよほど寝心地がいい。しかし、朝の点呼時に集団房にいなければ鞭打ちは免れないから、眠くてさっさと戻りたいのは理解できるけれど。
雲は颯爽と宝物庫を後にした。
私は桜と二人でここに取り残された。
桜は幸せそうにすうすうと寝息を立てていた。まぁ、それならいいか。全部うまくいっちゃったんだ。ムカつくけど多分、雲のおかげで。
アルコール中毒に対する治療なんてない。
せいぜい水分をたくさん取らせるくらいだけれど、桜は寝ているのだからそれもできない。寝ている人の近くにいると眠くなってしまう。寝過ごして朝を迎えれば、ヘタをすると懲罰房行きだ。桜の様子をみてもまぁ大丈夫そうだなと思い、私は音楽室に向かった。相変わらず雑然と並べられた楽器ではあるけど埃をかぶってはいない。どれも雲がきちんとメンテナンスしているからだ。
私はドラムスの中に入り込んで、撥を握った。
ペダルを踏みながらハイハットを叩いた。ハイハットはペダルを踏むと二枚の銅鑼が閉じて、つつつという控えめな音になる。この音を安定して叩くことが音楽のリズムを作り出す。おそらくこれが最も重要だ。まず一定間隔で粒だった音を出すこと、それができなければ話にならない。つつつつと、悪くない音が並んでいる気がする。
今度は右手でそこにスネアドラムの音を足す。この、たん、という歯切れの良い音がもっともよく聞こえるドラムの音だと思う。この音は節だ。気持ちやや遅めにこの音を入れることで、まるでこぶしを聞かせるみたいなリズムになる。
その二音が気持ちよく鳴らせるようになれば、今度はそこにバスドラムの体に響く音を足してみる。私はこの低い音が好きだ。これが入ると音を体全体で感じられるようになる気がするから。
まずはこの三つの音を正確に鳴らすことだ。その先にはフィルインで様々な音の変化をつける必要があるのだけれど、それ以前にこの三つを綺麗に鳴らせなければ話にならない。
一定のリズムで。
耳心地よく。
雲のギターの邪魔をしない音を。
どれほど練習しただろうか。唐突に、控室のドアが開いた。そこには、桜が立っていた。
「……あ、桜! 元気になったんだ!」
呼びかけると、桜は困惑したような顔を浮かべていた。
「あ、あの。ごめん山猫ちゃん。ウチ、毒を飲んだつもりだったんだけど、なんか違ったのかな」
なぜか頬を赤らめている桜に説明する。
雲が毒入りの酒瓶と普通の酒瓶を入れ替えていたこと。
普通の酒を大量に飲んだ桜がアルコール中毒で倒れてしまったこと。
雲の宝物庫で看病していたこと。
いま現在、納屋ではなんの問題もない普通の宴会が行われているであろうこと。
それを説明してやると、桜はヘナヘナとへたり込んでしまった。「よかった。本当によかった」と言っている様子に嘘はなく、彼女はやはり酒瓶に毒が入っていると信じていたんだ。
私は尋ねた。
「ねぇ、死ぬのが怖くなかったの」
桜は言った。
「みんなが仲良くできないことの方が、怖いよ」
桜はそんなことを言いながらにっこりと笑った。
意味がわからなかった。どうしてそんな思考になるのか私にはまったく理解ができなかった。
確かに理解はできなかったんだ。でも私は泣きそうになっていた。その泣きそうな内心を唇を噛んで殺して、必死に平静を保っていた。
本当に理解ができない。
桜って、どんな子だっけ。
頭に浮かぶのは、何かをやらかして「ごめんなさーい」とキンキン声を上げ、監察官に小突かれている桜だ。ただしその映像には、いつだって他の誰かのミスに被せて桜が声を上げていた。あるいはそのミスが私のときもあった。
そんなことって、あるだろうか。今回の件において、おそらく桜は雲と同じくらいに頭が回っていた。手毬に先回りしてお酌の役割を勝ち取り、そして自分が傷つくことで場を収めようとしたんだ。
こんなわかりやすいことさえ私は気づくことができない。
私はなんて愚鈍なのだろう。
桜はいつだって誰かの代わりに傷つくことを買って出ていた。
つまり桜は、そういう少女なんだ。
人なんて、どうでもいいじゃん。だって一番大切なのは私でしょ?
違うの? それが普通じゃないの?
桜は、きっと人が好きなんだ。自分なんてどうなったっていいってくらいに。
『手毬さんに伝える言葉を考えるの』
不意に雲の宿題が頭をよぎった。
多分寂しがり屋で、人と一緒じゃなきゃ不安になってしまう手毬。そんな手毬に届く言葉は、たぶん人なんてどうだっていい私からは生まれない。もしそれを生み出せるとすれば、それは桜なんじゃないか。
目の前のこの善意でいっぱいの少女こそ、言葉を誰かに届けられるかもしれない。
ぼんやりしていたからか、桜は首を傾げて呟いた。
「山猫ちゃん、どうかした?」
「お願いが、あるんだ」
「ウチのできることがあるなら! なにかな」
「一緒にバンドをやろう。桜の歌を作りたい」
桜は当惑の表情を浮かべた。
でもそれは、決して嫌そうな表情ではなかった。と思う。
そういえば、ふたりで喋るときの桜の声は全然キンキンしていない。私の心にそっと寄り添う。そんな、優しい声をしていた。




