第55話 欲望との付き合い方
アーロン君の言葉に、僕は自分の迷宮証憑に載っていた称号名を思い出す。
「〝声無き者の声を聞き、見えざる者の姿を見る者〟」
五年前のことを思い出した日に、部屋のタンスに突っ込んでしまいっぱなしにしていた迷宮証憑を確認したのだ。
スキルはだいたいミナトが言った通りだったけど、こんな名前の称号だったのかって驚いた。
「長ぇな」
「ね」
ミノ太郎さんなんて潔く〝性豪〟なのにね。
「まあでも、お前がミナトを見てることは、俺も含めてなんとなくみんな把握してたぞ」
称号スキルについても話すと、サンドイッチを食べ終わったアーロン君は手に付いたパンくずを叩いて払いながらそう言った。
「最初はやべえと思ったけど、ミナトから聞いたっつう情報はやたらと正確だし、他人の能力を測れる深紅の恩讐がお前に目をかけてたからな。うちの金庫番のとこに一人で行って、話して帰ってくるなんざ普通なら無理だし」
普通に案内されてラン・ティエンと話していた僕が不思議に思って首を傾げると、アーロン君は苦笑した。
「お前がいつも使ってる入り口は招かれざる客のための入り口で、そこから入ったら迷うようになってる。俺らは別の入り口を使う。お前のじいさんみたいに、業者にも専用の入り口がある。あのダミーの入り口に、案内なんてもんはいない」
でも、案内は確かにいたよ。
銀髪の黒スーツの男が……と、そこまで思い出して首を振った。
そっか、銀髪か。
「だからみんな……俺やミナトの家族や、たぶんセタガヤのじいさんも、なんかの理由でお前には本当にミナトが見えてるんだろうと思ってた」
なんで言ってくれなかったのと一瞬思ったけれど、口には出せなかった。
〝なんかの理由〟が、スキルじゃなくて僕の頭の具合とか、心の調子とか、減った魔力量の影響だったりした場合を考えたら、たぶん僕も怖くてつつけなかっただろう。
せっかく生きて帰ったのに、自分の指摘のせいで本気の不具合を起こしたらと思うと責任持てないよね。
「ところで、明日は暇か? 俺の知り合いに最近遺産を相続したやつがいるんだが、そいつが、死んだばあさんは受け取った遺産の倍の資産を持ってたはずだって言っててな。ばあさんがどっかに隠したか、弟がくすねたんじゃねえかっつって不満に思ってる」
「え、なんで急にそんなこと言い出したの」
膝の上からずり落ちそうになった紙袋を手で押さえ、僕は身を乗り出すアーロン君へ視線を向けた。
「お前なら、その死んだばあさんと話せるだろ。遺産の多寡が本当かどうか確かめて、隠した分があるならいただこうかと思って」
もちろんちょろまかすつもりはない。知り合いに渡して、その中から少しだけ手間賃をいただくつもりだ。と、アーロン君が手で口元を隠しながらホホホと笑って言った。
似合わないお上品なしぐさに胡散臭さが倍増している。
「わりと傷心の幼馴染みをがっつり働かせようとするじゃないの」
「そらァ、俺が〝破壊〟スキルでいろんなもんバンバン壊して精神的にまいってたちっせえ頃に、店の常連客から預かった開かずの金庫を破壊させて手数料もらってたお前を手本にしてるからな」
「あー……来し方が跳ね返ってきてるう」
そんなこともあったね。
開かずの金庫だけじゃなく、壊したくても壊せなくて困るものって結構あって、そういうものをアーロン君に粉砕してもらって小金を稼いでいた子供時代を思い出した。
あの頃からじゃないかな、アーロン君の目が死んだの。え、じゃあ僕のせい?
「俺はそれで気が楽になった。クソガキだったお前が言ってた通り、力なんざ使いようだ」
「……そうだね」
僕は紙袋を破ってサンドイッチを取り出した。
少し冷めてしまったサンドイッチの具は卵焼き。白くてふわふわな食パンに、ミリムちゃんの幸せそうな笑顔が重なった。
卵焼きは厚焼きで、ほわっと甘くて優しい味がする。
子供の幸せのためだけを想って作られた卵焼き、毎日精一杯生きていることを労う白いパン。
一ヶ月慎ましく働いて、その日だけ親子でほんの少しの贅沢を味わうごほうびイッチ。
一緒に食べたかったけれど、僕よりクレアさんのほうがもっと一緒に食べたかったはずだ。
それを僕に作って持ってきてくれた、その想いを考える。
ミリムちゃんがいないからって、こんなに優しくておいしいサンドイッチを、もう作らないなんて思わないでほしいな。
クレアさんのこの先の人生で、このごほうびイッチを作って食べたいと思う日がたくさん訪れるといいと思った。
ミリムちゃんは食べられないのに……っていう僕が今感じているような罪悪感を覚えても、けれどやっぱり自分の幸せのために作って、食べてほしい。
僕の願いは強欲かな。だけど願いと欲は紙一重なんだ。
僕の欲のおかげでスキルの結果に悩む小さなアーロン君の心がちょっとでも楽になったなら、今のこの強欲な願いも、もしかしたらそんなに罪深いものでもないのかもしれない。
ため息をついて視線を通りに向けると、緑色の巨大スライムがぶるんぶるんと震えながら通っていった。
透き通った体の中には、なぜか二体のダブルヘッドラットがアヘ顔をして浮かんでいる。
「……」
というかさ、ボアダムに住んでいて、欲深いもなにもあったもんじゃないよね。
勇者たちを見てみなよ。
初代勇者の作ったプリンから始まって、欲望のままやりたい放題した結果が僕らの毎日を作ってる。勇者の従魔だったオッタヴィアーノさんなんて、性欲と性癖を大開陳して歩いているのに超ご機嫌だったよ。
そんな勇者たちが魔改造した世界で生きる僕らが、欲望について……なんてごちゃごちゃ悩むなんて馬鹿みたいじゃないか。
幸せになればいいんだよ。
それを望むことの何が悪いの。
「よし」
僕はごほうびイッチを食べきって、紙袋をくしゃくしゃに丸めながら伸びをした。タライの水から足を出して、サンダルをつっかける。
ご機嫌に黒いヒゲを揺らして眠るハクを抱っこして魔導ケースからどかそうとして、リッチキングの大鎌より素早い猫パンチを食らう。
黒猫がぷんすかと怒って飛び降りていった魔導ケースを持ち上げて、僕は店先に出た。後ろからのっそりとアーロン君がついてくる。
このケース持ってくれない?
だめ?
スキルは安売りしない主義?
あっそ。
そんな会話をしながら店先の商品を整理して、魔導ケースを設置する。
店の奥に戻って飴型ポーションの在庫からピンクの色がついた渦巻きをいくつか取り出し、ケースの中に入れっぱなしだった粘土に突き刺した。
首を傾げるアーロン君を置いて、僕は道に出てケースを眺める。
ケースの中でピンク色の飴型ポーションが粘土に刺さって直立に並んでいるさまは、子供が描く花の絵みたいで、なかなかいいんじゃないのと僕は思った。
屈強な冒険者たちや闇ギルドの人間だって慎重に歩いていく闇なべ通り商店街のこの道に、ほんの少しだけ違う空気が流れる感じ。
まるでミリムちゃんがチラシの裏に書いていた、鏡文字の『あ』みたいな。
魔石狩りという非日常のお祭り騒ぎが終わっても、迷宮都市ボアダムは変わらない。冒険者ギルドもテラも混沌街も、闇なべ通り商店街も、全部が変わらずそこにある。
首を傾げるアーロン君の目はいつも通り死んでるし、本当に死んでいるミナトはふらりと僕の前に現れる。
僕も相変わらずテラのことは大嫌いだ。自分が持っていたものや、今まで見ていたものの正体に気がついただけで、僕自身は本当はなんにも変わってない。
ひっくり返った『あ』には違和感を抱くけれど、誰かが書いた文字であることに変わりがないみたいに。
それなら変わらずここにある暗黙の了解にも、ちゃんと従うべきだろう。
ここは闇なべ通り商店街。
自分の皿によそった具が食べられないタワシでも、腹を括って飲み込んで、ごちそうさまでしたって自分の血肉にするのがルール。
「明日はゼノビア・ジェーンに呼ばれてるから忙しいけど、明後日なら空いてるよ」
「お、じゃあ報酬は山分けな」
嘘でしょ。スキルを使うのは僕だし、見ず知らずの幽霊が見えるかどうかわからないのに、無駄足覚悟で行くんだよ。
確かに銀髪の黒スーツは見えてたみたいだけど、それが本当に幽霊かなんてわからないし。もしかしたら本当に銀髪が地毛の人で、こっそり僕に親切にしてくれただけの生きた黒スーツなのかもしれないじゃん。
だからせめてそこは八対二じゃない?
僕が左の手のひらに右の指を三本当てると、アーロン君は黙って首を振った。でっかい手がパーに開いている。全然譲る気ないね、アーロン君。
「……仕方ない。初回だからね。お試しってことで、今回だけ半々ね」
僕が折れると、アーロン君は満腹の野良犬みたいな笑みでうなずいた。僕も謎の満足感を覚えて、アーロン君と開いた手のひらをハイタッチ。
軽い音がパチンと鳴って空へ飛んでいった一瞬あとに、ひやりと冷たい感触がした。
それがほんのちょっとだけ、僕の胸を刺した。
End
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