32 黒衣の聖職者
もう日が暮れようとしているので、窓から差し込んでくる光は、徐々にオレンジから薄紫に変わってきている。
通りかかる人も多い大聖堂へと向かうための廊下を駆け抜けていく私とお供のコンラッドを、誰もが振り向いてくる。
そんな人々を避けながら、日頃の運動不足のせいで息が切れながらも右後ろをついてくるコンラッドに話しかけた。
「ありがとう、コンラッド。あなたのおかげで今日中にエドガーの居場所を突き止められたわ。」
エドガーみたいな有名人はすぐに見つかるだろうと思っていたら、これがなかなかどうして、誰もエドガーが今どこで何をしているのか知らないものが多かった。
大主教に聞こうにも、運悪く、彼は今は地方に出張中とのことだった。
「ついさっき、大聖堂に向かっているところを目撃した人がいるのよね。よく情報をつかんでくれたわ。」
「元々諜報部志望でしたので。実は今でも情報機関の人間とはつてがございます。」
「そうだったのね!それは初めて聞いたわ。」
「中には女王陛下を見守る会の仲間もおります。皆仕事の合間を縫って、お見守りを交代で行っているのです。」
「そっかあ……。」
後半部分の情報は、今後私が生きていくうえで全く必要のない情報だった。
というか、むしろ知りたくなかった。
かなり本格的でプロフェッショナルなストーカー集団のようだ。
もうこれ以上はこの話は広げまいと口をつぐんでいたら、目の前の人々の動きが止まった。
その中で唯一動きを止めずにこちらにゆっくりと歩いてくる人物がいる。
女王陛下の夫であるワディンガム公と、その腕に抱えられているのは息子である第一王子のハロルド王子だった。
ワディンガム公はこちらに気付くと、にこにこと優しく微笑みながら歩み寄って来た。
もし街中で見かけたらとても王配という地位にいる人物には見えないほど、とても普通の、例えば、町はずれの古本屋の店員なんかでもしていそうな、そんな人物なのだが、一体どうしてあの女王陛下と結婚しているのかはいまだに謎である。
「やあ、どうしたんだい?キャンディス姫。こんな時間に急いで。急な仕事でも入ったのかな?ごくろうさま。」
ワディンガム公が話しかけてくると、まだ2歳のハロルド王子も、こちらに手をのばしながら、きゃんでぃっ!、と声をかけてきてくれた。
「ワディンガム公。それに殿下も。」
あわてて礼をすると、ワディンガム公は困ったように笑った後、少しいたずら気に言った。
「固いなあ、公はやめてほしいと言ったじゃないか。フレディお兄ちゃん、って、いい加減呼んでほしいなあ。」
「人の目もありますので、それはちょっと……。」
「僕は男だらけの7人兄弟だったから、妹ができてうれしいんだ。」
にこにこと邪気のない笑顔で言われると、断りにくい。
「ま、まあ、それはおいおい……。それよりも、この辺りでエドガーを、神父のエドガー・フォブリーズを見かけませんでしたか?」
「フォブリーズ神父を?いや、見なかったなあ。どうかしたのかい?」
「ちょっと探していまして。大聖堂の方へ向かうのを見た者がいるとの情報がありましたから。」
「そうだったのか。ごめんね、力になれなくて。」
「いいえ!とんでもない。今から大聖堂に行ってみます。」
「そうかい。おっと、ハロルド、君はついてはいけないよ。」
ハロルド王子がワディンガム公の腕から抜け出して、こちらに身を乗り出しているのを、しっかりと抱きかかえられていた。
「これからは夜になる。大人の時間だ。子供が夜更かししたら、悪魔に連れ去られてしまうよ。さあ、天使は眠る時間だ。」
王子はそれでもグネグネと体をねじって、なんとか腕の中から抜け出そうともがいている。
「あの、それでは私はこれで失礼します。」
「ああ。大丈夫だよ、神父はきっと見つかるはずだ。」
そう言うと、ワディンガム公は軽くウインクしてきた。
それに頭を下げてから、また大聖堂に向かって歩き出す。
さっきまではつい気が焦って走ってしまっていたが、今は人の目も多い。
気を取り直して、焦らず、でも少しだけ早足で進んでいった。
☆☆☆☆☆☆☆☆
大聖堂に着いたときには、さっきよりもずいぶんと薄暗くなっていた。
まだ夕方だというのに物音が全くしなくて、なんだか初めてきた場所のような気になる。
階段をのぼって、大きな扉をゆっくりと開く。
大聖堂の中は外よりもさらに暗い。
この時間ならばロウソクの明かりが灯されているはずなのにそれもない。
人気もないし、大聖堂にエドガーが向かったというのは間違いだったのかもしれない。
がっかりすると、急に肩の力が抜けてため息が出てしまった。
すると、祭壇の前で、黒い人影がいつのまにか現れていた。
怪しい。
よく見ると、全身真っ黒だ。
どう見ても神父ではない。
それに背格好からしても、修道女ではない。
はじめは大聖堂の掃除に来たシスター・ゴルゴかとも思ったけれど、シスターはもっとたくましく、がっちりとしているのでその可能性は無い。
背の高い男性のように思える。
不審者だろうか。
でも、どこから侵入したんだろう?
向こうはこちらには気づいていないようなので、あの滑るほどにつるつるの床を、音を立てないように慎重に歩いて、その人物のそばに近寄ってみることにした。
あちらはまったくこちらに気付くことはなく、祭壇の上あたりを熱心に見ているようだった。
黒いロングコートに、黒い手袋、黒いズボンに黒い靴。
怪しさしかない。
ふとその不審者らしき男が首を傾けた瞬間、きらりと光るものがあった。
眼鏡だった。
そのきらりと光るものは紛れもなく眼鏡だし、それも、よく見たことがあるものだった。
「エドガー?」
思わず呼びかけると、その男は今こちらに気が付いた様子で、こちらを向いて目を見開いてみせた。
「おや、姫ではないですか。こんな時間にどうされたのですか?」
「どうされたのですかって……。いや、それよりも……エドガー?ほんとにエドガーなの?」
「なぜそのようなことを言われるのですか?まさか、婚約者の顔でも忘れてしまわれたのですか?」
いつものあきれたような口調ではなく、なんだかとげとげしい、冷たい言い方だったので、すこしひるんでしまった。
「忘れるわけないでしょ、その眼鏡の光り方。」
「眼鏡の光り方で人を判別しないでください。まったく。」
「だって、薄暗いからよく顔が見えないんだもの。」
どこかよそよそしいエドガーの態度に、思わず拗ねたような言い方になってしまった。
エドガーは、はあ、と疲れたように息を吐くと、祭壇に右肘をついてこちらをじっと見つめてきた。
聖職者にしては、いや、そうでなくてもあまりにも不遜な行為に驚いてしまって言葉が出なかった。
「それで、姫はここになんの御用ですか?」
「私は、その……あなたを探しに来たのよ。」
「おや、そうでしたか。」
そっけない返事に、ついムッとしてしまった。
こちらは会いたかったのに、どこにいるのかも、何をしているのかも教えてくれないままだったくせに。
「おや、そうでしたかって……。あんまりじゃない?私がどれだけ……それ、何を持ってるのよ。」
エドガーは右手に白いハンカチでくるまれた、見覚えのある瓶をつかんでいた。
「ああ、これはどこかの不届きものが祭壇に置いていた、メロンソーダあずき味メロン控えめ、などという名のふざけた飲料水ですよ。大方、くだらないいたずらでしょうが、神はあずきの入ったサイダーを何よりも憎んでらっしゃいます。聖書には、こうもあります。あずきサイダーを捧げた者に呪いあれ、と。」
「そうなの!!!???」
「まあ、姫はいつも朝の礼拝をぐっすりと眠ってらっしゃいましたので、ご存じないのも無理もありません。」
「いや、寝てはいないんだけ……。」
エドガーの眼鏡がきらりと光った。
「まあ、寝てたと言えば寝てたかもしれないけれど、それくらい神様も許してくれるでしょ、きっと!だって、わたしは迷えるか弱い子羊だし!」
「いいえ、神は迷っていようが、か弱かろうがなんだろうが、そのような不届きものを決して逃しはしません。きっと、その者には近々神の怒りが降り注ぐことでしょう。ですので、そうなる前にだれが犯人なのか突き止めるために、現場検証をしていたところなのです。」
「現場検証って……。」
あれはこの前適当に置いておいた、いらないメロンソーダあずき味メロン控えめ、だ。
とてもまずいことになってしまった。
ここは適当にごまかしながら、なおかつ、おごそかにフェードアウトすべきだろう。
出直すとしよう。
エドガーには気づかれないように、そうっと後ずさるが、それを目ざとく見つけられてしまった。
「おや、まだ話をしている途中だというのに、どこへ行かれるのですか?」
「いや、もう夜になるし、私は部屋に帰ろうかと。」
「そうですか。いや、まさか、まさか、姫が置かれたということはないですよね。ありえませんものね。」
今度はにっこりと微笑んできた。
だが、目が笑っていない。
「だがしかし、犯人は現場に戻ってくるとも言います。何か心当たりのある人物はいませんか?」
「さ、さあ~~~~?」
目を合わせないように斜め下を向いたけれど、エドガーの、眼鏡越しの鋭い視線を、頬にじりじりと感じた。
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