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最終話 ふたつの夢

この作品は、私が載せている別の作品『未希へ届け!』の中に出てくる作中小説です。気に入っているのですが、『未希へ届け!』は長編なので、かなり読み進めないと『幻想の森のラクラミキオアラ』まで到達しません。なので、独立した別作品としても載せておくことにしました。楽しんで頂ければ幸いです。

 ツルモ君を助ける。ラクラミキオアラはただそれだけを考えて走り続けた。どうやってツルモを助ければいいのかすら、彼女は分かっていなかった。『助ける方法なんて分からない。助けられるのかも、分からない。でも、じっとしてなんかいられない!』ただそう思って部屋を飛び出してきただけだった。ラクラミキオアラは妖精なので飛ぶことも出来るが、ひらひらと蝶のような飛び方をするので、どうしても進むのは遅くなる。走った方が速いので、ラクラミキオアラはひたすら全力で走った。ただでさえ凹凸(おうとつ)が多く危険な森の地面は、豪雨で泥濘(ぬかるみ)と水たまりしかない状態になっていた。途中でラクラミキオアラは何度も、盛り上がった木の根に(つまず)いて転んだ。腕も膝も擦りむいて、血が(にじ)んでいた。それでも彼女は走り続けた。白い花びらがメタモルフォーゼしてできたワンピースはあちこちが破れ、泥だらけになり、白い部分が全く残っていないほどだった。顔と身体を、雨は激しく打ちつけ続けた。どれくらい走り続けたのだろうか、ラクラミキオアラが体力の全てを使い果たし、走りながら気を失いそうになったとき、遠くに人影が見えた。雨と汗と涙で、その人影は(にじ)んだようにぼやけて見えていたが、ラクラミキオアラにはそれがツルモだとすぐに分かった。ツルモも彼女と同じように、泥だらけになった服で必死に走っていた。再び木の根に足をとられて前のめりに倒れそうになったラクラミキオアラの身体を、ツルモはぎりぎりのところで受け止め、抱きしめた。

「お爺さんの声が心の中に響いて、教えてくれたんだ。君が、俺を助けるために飛び出してしまったって。君はバカだ…バカだよ…なんで俺なんかのために、こんなことを…!こんな土砂降りの雨の中を駆けてくるなんて…君は少し乱暴に触っただけでも壊れてしまう…すずらんなんだぞ!」

 ツルモはラクラミキオアラを抱きかかえたまま(ひざまず)き、嗚咽しながら彼女にそう言った。ラクラミキオアラの頬にツルモの涙がひと(しずく)、落ちた。相変わらず降り続ける激しい雨の中で、ラクラミキオアラは優しく微笑んだ。

「ごめんね、ツルモ君…でも私、ツルモ君が大変な目に遭っているのに放っておくなんて、やっぱり出来ないよ…。私達、物語が大好きっていう共通点で、友達になれたんだよね。物語の主人公だって、きっと私と同じことをしたと思うよ。私には、ツルモ君を見捨てることなんて出来ないよ。今まで読んできたたくさんの物語を裏切ることなんて、出来ないよ…したくないよ…そんなこと…」

 ラクラミキオアラの呼吸は少しずつ弱くなっていった。蒼白(あおじろ)くなってなお可憐さを失っていないその顔を見てツルモは、学校の美術室で見た天使の彫像(ちょうぞう)のようだと思った。

「ツルモ君。私、ずっと、ずっと、友達が欲しかった…物語について楽しく話せる友達が…。あとね…やっぱり私も女の子だから…枯れるまでにせめて一度くらいは、恋をしてみたかった…。私のふたつの夢、叶えてくれて…ありがとう…ツルモ君…」

 か細くなった呼吸の中で、途切れ途切れにラクラミキオアラはツルモに感謝の言葉を述べた。そして彼女は静かに目を閉じた。ラクラミキオアラの白い頬を、水晶のような涙が流れ落ちた。その刹那(せつな)、彼女の呼吸は止まった。ツルモは激しく泣きながら、何度も、何度も彼女の名を叫んだ。その声は雨に覆い尽くされた深い幻想の森に、悲しく響き渡った。


 ほんの少しの体力はまだツルモの中に残っていた。どれくらい歩けるかは別として、少なくとも、もう一歩も歩けないという状態ではなかった。しかし彼はそこから一歩も動かなかった。彼はラクラミキオアラの姿を見つめた。泥だらけで、見るも無惨にあちこちが破けているワンピース。擦り傷から血が滲み出ている腕と脚。自分を助けるためにこのような姿になったラクラミキオアラをここに残して立ち去るという選択肢はツルモの中には初めから無かった。ラクラミキオアラを背負って森から出ようとも思わなかった。そんなことをしたら、ラクラミキオアラの身体は更に雨に打ちつけられることになる。ツルモは朦朧(もうろう)とする意識の中で、とにかくラクラミキオアラを雨から守りたいと思った。彼は覆いかぶさるように、ラクラミキオアラの小さな身体を優しく抱きしめた。とめどなく涙が溢れてきて、ラクラミキオアラの上に落ちた。雨はツルモの背中を激しく打ちつけたが、ラクラミキオアラには当たらなくなった。ツルモは「もう大丈夫だよ、ラクラミキオアラ。ずっと、ずっと君のそばにいるからね。どこにも行かないから、もう何も心配しなくていいよ…」と語りかけた。彼は自分の中にある全ての愛を込めて、ラクラミキオアラを抱きしめた。やがて彼は意識が遠のくのを感じた。彼は、ラクラミキオアラを抱きしめたまま気を失い、身体はぐらりと前に倒れた。


 それから十数年後、ツルモは国語の教師になっていた。

 ラクラミキオアラと初めて会い、彼女を雨の中で抱きしめたまま倒れたあの日の夜、ツルモの両親は警察に捜索願(そうさくねがい)を出した。そしてツルモは翌日の夜になってから、倒れているところを捜索隊によって発見された。そのときラクラミキオアラの姿はもう消えてなくなっていた。ツルモは発見されたときはまだ気を失っていたが、病院に運ばれ、意識を取り戻した。ラクラミキオアラのこともしっかり覚えていたが、彼はイワセザール以外の人には彼女のことを一切話さなかった。

 ツルモのために命を投げ出したラクラミキオアラの勇気と献身、深い愛情を(たた)え、「星空の神」であるアストライオスは彼女の魂を七つに分割した。そのうち六つは星として天に上げられ、新たな星座「すずらん座」となった。残りのひとつは新たな生命(いのち)として地上に生まれてくる一人の人間に与えられた。その子はラクラミキオアラと名付けられ、本が大好きな女の子になった。十歳のとき彼女の学校に、ブラン村出身の新しい先生が入ってきた。ラクラミキオアラのクラスの担任になったその先生は彼女の顔を見て、息を呑んだ。震える手で彼は、生徒の名前が並んでいる名簿のページをめくった。そこには「ラクラミキオアラ」と記されていた。彼はラクラミキオアラの顔をもう一度見た。

「先生、どうしたの?そんなに驚いた顔して。私の顔、なんかついてる?キャハハハハ!」

 懐かしい笑い声だった。ツルモはその子がラクラミキオアラの生まれ変わりだと確信した。涙が溢れてきた。ラクラミキオアラは驚いて、

「せ、先生!?どうしたの?なんで泣いてるの?大丈夫?」と訊いた。そのときツルモの心の中に、十数年ぶりに、あのお爺さんの声が響いた。

「久しぶりじゃの、ツルモ。もう分かっておると思うが、その子はすずらんの妖精、ラクラミキオアラの生まれ変わりじゃ。優しくしてあげるがよい。ホホホ…」

「…はい…!」ツルモは嗚咽しながら返事をした。ラクラミキオアラは首をかしげて、

「誰に返事をしてるの?先生、本当に大丈夫?」と訊いた。

「大丈夫だよ。なあ、ラクラミキオアラ。君が一番好きな本って、何?」

 ツルモがそう訊くと、ラクラミキオアラは満面の笑みで、こう答えた。

「う〜ん…『世界一クラブ』!」


                     〈了〉

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