43. 現世へ──残されたのは、ただ一つの記憶
神戸市 サンキタ通り 占いの館 ふわりとマム
——ふーっ。
まるで夢から目覚めるような感覚だった。
ゆうはゆっくりとまぶたを開ける。
ぼんやりとした視界の中に、淡いオレンジの光が灯る落ち着いた空間が映る。
隣には、のぞみ。
のぞみもまた、ゆうの方を向いて、穏やかな笑みを浮かべていた。
つないでいた手の温もりが、確かに現実に戻ってきたことを教えてくれる。
二人の前に座るのは、一人の女性。
20歳くらいの、可愛らしくも神秘的な雰囲気を纏った占い師。
彼女の名札には「ふわり」と書かれている。
ふわりは、小さなスマホを指で軽やかに操作しながら、二人を見て微笑んだ。
「わぁ……すごい。もう、すっごく素敵な相性ね!」
のぞみが嬉しそうに身を乗り出す。
「ほ、ほんとですか?」
「ええ!二人の未来、これ以上なく明るいわよ!」
ふわりは、楽しそうに画面をスクロールしながら、テンポよく話を続ける。
「まず、のぞみさん!あなた、すごく愛情深くて、でもちょっと不安になりやすいところがあるの。でもね、ゆう君はそんなあなたを絶対に手放さない。ゆう君って、一途で誠実で、のぞみさんを誰よりも大切にする人なのよ!」
のぞみは、嬉しさが抑えきれず、手をぎゅっと握りしめた。
「それにね、二人ともお互いがいないとダメなの。もう、運命レベルで結ばれてるってことよ!」
「運命レベル……」
ゆうは少し照れくさそうに呟く。
「ええ!しかもね、二人が一緒にいると、どんどん運気が上がるのよ!これってすごいことなのよ?普通、カップルってどちらかが支える側に回ることが多いんだけど、二人は違うの。お互いに影響を与え合って、一緒に成長していく運命なのよ!」
のぞみはますます嬉しそうに微笑む。
「ゆう君、すごいね!」
「いや……のぞみさんのおかげだよ」
そんな二人を見て、ふわりは満足げに頷く。
「ふふっ、こんな素敵なカップル、そうそういないわよ。羨ましくなっちゃう!」
ふわりの言葉に心が温まりながら、ゆうはふと机の上に置かれた一冊のアルバムに目を留めた。
何気なく開いてみると、占い師たちの写真が並んでいる。
「ふわり」
「ヒーダ」
「……(空欄)」
「へーラー」
「ヘルメス」
一つだけ、名前がないページがある。
ゆうは気になって、ふわりに尋ねた。
「この空欄のページ……ここにいた人は?」
ふわりは一瞬だけ表情を曇らせ、それから軽く肩をすくめる。
「あぁ。つい最近辞めちゃったのよ」
「名前は?」
ふわりは、ゆうを見て、少し意味ありげに微笑む。
「似蛭命っていうの」
ゆうは、ドキッとした。
似蛭……ニヒル……!?
思わずのぞみの方を見るが、のぞみは特に反応を示さない。
(まさか……)
「もしかして……長身の、40歳くらいの男性ですか?」
ふわりはきょとんとした顔をした。
「いえ? 初老の女性だったわよ」
「……!」
ゆうは、ふっと肩の力を抜いた。
よかった……まさか、あのニヒルが現世に戻ってきたわけないか……。
占いを終えた二人は、ふわりの部屋を後にした。
「ありがとうございました!」
「またいつでもいらしてね!」
受付のマントの女性がにこやかに二人を見送る。
ゆうは、ふと違和感を覚えた。
——どこか、覚えのある香水の匂いがする……。
一瞬、胸がざわつく。
でも、振り返る勇気はなかった。
二人が見えなくなるまで、受付の女性とふわりは微笑みながら見送る。
その後、ふわりはゆっくりと奥へと歩きながら、軽く手を挙げる。
「マム、おいで」
静かに微笑みながら、店の奥へと消えていった。
——
帰り道
夜の神戸の街を歩きながら、のぞみは上機嫌だった。
「ゆう君、良かったね! とっても良いこと言われたし!」
「う、うん……。のぞみさんが喜んでくれたから、僕も嬉しいよ」
のぞみは、嬉しそうにゆうの腕にしがみつく。
「えへへっ」
その笑顔を見て、ゆうは胸がいっぱいになった。
(……やっぱり、のぞみさんが好きで仕方ない)
そんな時、ゆうはポケットの中に違和感を覚えた。
「ん? 何だこれ……?」
取り出してみると、小さな瓶が二つ。
一つは、底の方に透明なトロッとした蜜が入っている。
もう一つの瓶には、口紅のような跡がついていた。
(何だ……これ……?)
どこかで見たことがある気がする。でも、思い出せない。
「……ま、いいか」
気にせずポケットに戻した。
——
電車がホームに入ってくる。
ヘッドライトが暗闇を照らし、ドアが開く。
二人は自然と並んで乗り込む。
この電車は——二人が高校生の頃、出会った通学の時の電車。
あの頃と同じように、二人を乗せて、静かに走り出す。
神戸の夜景が、窓の外に流れていく。
未来へと続く光の中へ——。




