11.部屋から現れた従者ーー連れられた訳とは
深夜の城内潜入——ジロームの部屋を目指して
深夜、パール城の別館。晩餐会を終え、ゆうは静かに部屋を抜け出した。月明かりが窓から差し込み、廊下に長い影を作る。目指すは西棟の最上階、中央の赤い扉——裁判長ジロームの部屋。
カオリから聞いた情報によると、ジロームの従者に”マム”らしき人物がいる。もしそれが本当なら、ジロームに接触することでマムの正体を確かめることができるかもしれない。そして何より、マムの力を借りなければ、のぞみを取り戻すことは不可能だ。
ゆうは足音を殺し、廊下の影を縫うように進んでいく。
階段を上がり、西棟の廊下へと続く扉を開けた瞬間だった。
カンッ……カンッ……!
重い金属の響きが、静寂の中にこだまする。
「……!」
ゆうは即座に扉の影に身を隠した。遠くの曲がり角から、鉄の鎧に身を包んだ見張りが現れる。鋼鉄の肩鎧、胸当て、膝甲。堂々たる体格で、手には鋭い槍を持っている。その視線がこちらを向く。
(……まずい)
この場で捕まれば、即座に牢獄行き。最悪、命を落とすこともあり得る。見張りがこちらへ歩いてくる。距離が縮まる。ゆうは息を殺し、壁に背を預けた。
(動くなら……今だ)
見張りの視線が一瞬それた瞬間、ゆうは影を利用し、床を這うように反対側の柱の裏へと滑り込んだ。
カンッ……カンッ……
騎士は立ち止まり、周囲を見回す。
「…………」
長い沈黙。額に汗が滲む。
「……異常なし」
低い声とともに、騎士は再び歩き出した。その背中が遠ざかるのを確認し、ゆうは静かに息をついた。
(危なかった……)
しかし、まだ先は長い。気を引き締め、ゆうは再び歩き出した。
西棟へ続く通路の途中、ゆうは道を誤った。暗闇の中、足元を確かめながら進んでいたが、気づけば全く見覚えのない部屋へと迷い込んでいた。
「……ここは?」
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ……!
「……!?」
壁から水が噴き出した。いや、壁そのものが開き、滝のように水が流れ込んでくる。床が一瞬で水に覆われ、ゆうは足を取られた。
「くそっ……!」
必死に体勢を立て直そうとするが、水の勢いは止まらない。あっという間に膝まで浸かる。さらに……
ガシャン!
入口の扉が閉まり、完全に密室となった。
(このままだと……!)
天井には小さな排水口があるが、とても水の勢いに追いつくものではない。ゆうは必死に出口を探す。壁を叩き、床を探る。何か仕掛けがあるはずだ……!
胸まで水が迫る。呼吸が苦しくなる。
(どこかに……どこかに……!)
そのとき、足元に小さな突起を見つけた。石のように見えるが、よく見ると微妙に浮いている。
(……これか!?)
力いっぱい押し込んだ。
ガコン!
仕掛けが作動し、壁の一部が開いた。水が一気に流れ出し、足元の水位が下がる。ゆうは素早く出口へと飛び出し、びしょ濡れになりながら廊下に転がり出た。
「はぁ……はぁ……助かった……」
背中を壁に預け、荒い息をつく。
(……この城、仕掛けが多すぎる)
震える手で髪を掻き上げ、再び立ち上がる。
ゆうが次にたどり着いたのは、屋根裏のような通路だった。壁は木造で、ところどころ穴が開いている。風が吹き込み、不吉な軋みを立てる。
(こんな場所、カオリは言ってなかった……)
しかし、引き返すわけにはいかない。慎重に足を進める。
ミシッ……!
突然、足元の板が砕けた。
「……!!」
ゆうの体が傾ぐ。視線の先、暗闇の底が見えた。もし落ちれば……助かる可能性はゼロだ。
必死に体勢を立て直し、近くの梁にしがみつく。
「ぐっ……!」
腕に痛みが走る。しかし、ここで手を離せば終わりだ。歯を食いしばり、体を引き上げる。
ギシ……ギシ……
床が不気味に軋む。慎重に……慎重に……。
ドンッ!
突然の突風。バランスを崩しかける。
(やめろ……風なんかに負けるか……!)
最後の力を振り絞り、ゆうは崖の道を渡り切った。
(……もう二度と通りたくない)
息を整え、前を向く。
そこに——
赤い扉 があった。
ジロームの部屋。
ついに辿り着いたのだ。
ゆうはゆっくりと息を整え、慎重に扉へと近づいた——。
(……あれが、ジロームの部屋)
ゆうは、扉が見える位置に身を潜めていた。今にも心臓が跳ね出しそうな鼓動を必死に抑えながら、廊下の奥を見つめる。
——ガチャッ。
突然、扉が開いた。
ゆうは反射的に息を殺す。
ゆっくりと現れたのは、長いマントを纏った小柄な女性だった。
(……マム、か?)
顔はフードに隠れているが、その雰囲気は、どこか既視感があった。
女性は静かに廊下を歩き出す。
ゆうの潜む場所に向かって——。
(……やばい!)
鼓動が一気に跳ね上がる。見つかれば終わりだ。もし彼女がマムでなければ、即座に通報され始末されるかもしれない。
(どうする……?動くな……とにかく、息を殺せ……)
女性はゆうのすぐ近くまで来た。
すれ違う瞬間、わずかに立ち止まる。
ゆうの全身がこわばる。
(……バレたか!?)
しかし、女性はそのまま何も言わずに歩き去った。
(……助かった……?)
安堵しかけた、その時——。
ふわりと漂う香り。
(この匂い……!)
あの占いの館「ふわりとマム」の中で、マムがつけていた香水と、まったく同じ香り——。
「……マム!」
ゆうは、思わず声を出していた。
女性の足が止まる。
だが、振り向かない。
緊張が最高潮に達する。
「マムなんだろ?」
再び声をかける。
ゆっくりと、女性が振り向いた。
暗がりの中、フードの奥から覗く端正な横顔——間違いない。
「……来てしまったのですね」
マムの声は、静かに、そして少しだけ寂しそうに響いた。
「……話がある。ここに隠れて」
ゆうは、自分が潜んでいた少し凹んだスペースを示した。
マムは何も言わず、音も立てずにゆうの隣へと身を潜めた。
「……聞かせてくれ。僕は、なぜアデン国に連れてこられたんだ?」
ゆうは低く押し殺した声で言った。
「僕とのぞみさんは、ただ占いの館ふわりとマムに行っただけだ。それなのに……どうして?」
マムは一瞬だけ目を伏せた。そして、淡々とした口調で答え始める。
「……店主のふわり様、ニヒル様、そして私——私たちは、もともとアデン国の人間です」
ゆうは息をのむ。
「占いの館は、仮の姿にすぎません。私たちは、あなた方を迎え入れるために、そこにいたのです」
「……!」
驚きが、頭の奥で炸裂する。
「ふわりさんも、ここにいるのか?」
マムはゆっくりと頷いた。
「はい。しかし、今どこにいらっしゃるのかは……お答えできません」
「……どうして僕たちをここに?」
「アデン国の王族は——存続の危機に瀕しております」
その言葉に、ゆうは戸惑いを隠せなかった。
「王族の……危機?」
「はい」
マムの声には、わずかに重みがあった。
「王族の直系の男性の子を宿せる女性が、この時代には存在しないのです。そして……子孫を残せる直系の男性は、もはやニヒル様ただ一人」
ゆうは、嫌な予感がした。
(……いや、まさか……)
「ふわり様が占いました。そして——たった一人だけ、王族の血を受け継ぐ能力を持つ女性がいることがわかったのです」
ゆうの指先が冷えていく。
「ただし、その人物は、このアデン国の時代にはいませんでした」
マムは静かに続ける。
「未来に、ただ一人」
ゆうの額に、冷たい汗が滲む。
「……その女性とは——」
マムは、はっきりと告げた。
「のぞみ様なのです」
——ガンッ!!!
まるで巨大なハンマーで頭を殴られたような衝撃が、ゆうの全身を貫いた。
「……っ!」
声が出ない。手が震える。
脳が、心が、この事実を拒絶しようとする。
(のぞみさんが……この国の……?)
のぞみさんが求められた理由が——これなのか!?
ゆうの背中に脂汗が滴っていた




