〜スローライフ農家〜
トラックに轢かれ、目覚めると異世界。
目の前には広大な田園風景と木造の小屋。
女神が現れ、「念願のスローライフをプレゼント! 農家として幸せに暮らしてね!」と微笑んだ。
スローライフ! 農家! 最高! ブラック企業に疲弊していた俺にとって、土をいじり、野菜を育て、夕陽を見ながらビールを飲む生活は夢だった。
よっしゃ、トラクターで畑を耕し、楽々農業ライフを始めるぞ! ……最初は、そう思ったんだ。
転生初日。小屋裏の畑を見た俺は、異世界の現実に直面した。
「……これだけ?」
納屋には錆びた鍬と木のシャベルだけ。女神の説明書には「この世界は異世界ファンタジー♪ 機械はありません!」とデカデカと書かれていた。
「異世界ってこういうもんなのかよ!?」
仕方なく鍬を手に取る。学生時代に家庭菜園経験もある。なんとかなるだろうと、畑に足を踏み入れた。
10分後。腕が限界を迎えた。
「な、なんじゃこの土! コンクリートか!?」
異世界の土は異常に硬い。魔獣の糞が堆積し、ガチガチに固まっているらしい(説明書より)。
鍬を振り下ろすたびに「ガキン!」と跳ね返され、精神力が削られていく。昼過ぎ。やっと1平方メートル耕せた。畑の総面積は500平方メートル。
単純計算で500日かかる。スローライフどころか、人生が終わる。
「女神! せめて耕運機を!」
翌日、どうにかこうにか手持ちの僅かな金で、最低限の麦の種を買った。
硬い土を鍬で耕し、汗だくになって種を植え、毎日水をやった。魔法などない世界での農作業は、想像を絶する重労働だった。
それでも、芽が出た時の喜びは大きかった。少しずつ成長していく麦を見ていると、ささやかな希望が湧いてきた。
数ヶ月後、ようやく麦が収穫の時期を迎えた。黄金色に輝く麦畑は、苦労が報われた証のように思えた。「これでやっと、まともな食事ができる……!」
意気揚々と収穫した麦を背負い、村の穀物取引所へ向かった。受付には、いかにも貫禄のあるドワーフが座っている。
「新入りか。麦を持ってくるとは、殊勝だな」
「はい! これが初めての収穫です!」
俺は誇らしげに麦の束を差し出すと、ドワーフは ちらりとそれを一瞥した。
「ふむ、まあまあだな。で、いくらで売るつもりだ?」
「えっと……相場はいくらくらいでしょうか?」
俺は尋ねると、ドワーフはニヤリと笑った。
「相場ねぇ。あんたみたいな素人が作った麦に、そんなもんあるわけないだろうが。うちで買い取ってやってもいいが……銀貨5枚でどうだ?」
銀貨5枚。種代と、これまでの苦労を考えれば、雀の涙にもならない金額だった。
「そんな……安すぎませんか? これだけ苦労して作ったのに……」
すると、ドワーフの態度が一変した。
「なんだと? 文句があるのか? ここらじゃ、うちが一番高く買い取ってやるところだぞ! 他の店じゃ、もっと酷い値段を吹っ掛けられるのがオチだ! それに、あんたみたいな新入りが、いきなり高値で売れると思うのか? 甘ったれるな!」
周りの農民たちも、諦めたような表情で黙っている。どうやら、この取引所の言い値が絶対らしい。
「……わかりました」
俺は力なく答えるしかなかった。
結局、 労働に見合わないわずかな金を受け取り、取引所を後にした。
「スローライフどころか、この世界はどこまでもハードだ……ハードコアサバイバルだ……」
夜、小屋で干し草のベッドに寝転がりながら、俺は空を見上げた。
満天の星。美しい異世界の夜空。
「この空、本当綺麗だなぁ」
……って!そんな場合じゃない!農家の朝は早い!
もう寝なければ!!
「スローライフって……こんなはずじゃなかった……」
すると、星空から女神の声が降ってきた。
「どう、楽しんでる? 農業、順調?」
「順調なわけねぇだろ! 農業機械なし、土は硬え、搾取はされる! 現世の農家の方が100倍マシだ!」
「えー、でも異世界ってそういうものですよ? それに現世の農家も大差ないですよ♪」
「うるせぇ!もう帰らせろ!」
「ダメです! 転生は一方通行なんで! ガンバってスローライフ楽しんでね♪」
女神の声が消え、静寂が戻る。俺は心の中でこう叫んだ。
農家は甘くねぇ……全然スローライフじゃねぇ……
――完