表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隠れ里 第二部  作者: 葦原観月
9/11

さらなる神隠し

(二十一)


 何もかもがつまらない――


 遠く海の向こうを見つめながら智次は思い、腰を上げた。

白くけぶるは島神様の験か。かつて、あれほどまでに憧れた白が、今はくだらないものに見える。


どんなに憧れても、居王様に会えはしない――


一度は大きく膨らんだ興奮が冷めた後、智次の心は、急激に島から離れていった。

 ハンスと一緒に、異国へと行きたかった。智次の〝隠れ里〟は、きっとそこにある。知らない物に溢れ、知らない人が多く行きかう里に、智次の知りたい物がたくさんある。


決められた場所での、決められた暮らし……島には何一つ変化がない。智次が不在であった一年の間に、智次の目に変化として見えたものは、父ちゃんと母ちゃんが一回り小さくなったことくらいだ。

 それが己のせいだと思えば、本当にすまんことをしたと、胸が痛む。心配など、しなくてもよかったのだ。智次は毎日を元気に過ごしていた。出島たる異国人の住む不思議な里で。


 ハンスが居王様ではないと理解した時は、随分とがっかりとしたものだが、出島での暮らしは実に変化に富んでいて、楽しかった。

 琉球の子、石坊の冒険話の数々、本土の人であるはずの啓作がすらすらと話す異国の言葉、ハンスの異国語に混ざる琉球の言葉……なにもかもが珍しい。極め付けはシーボルト先生が見せてくれた〝剥製〟で、死んでいる鳥が生きているかのように見えた。異国人は死んだものを生き返らせる技を持っているのかと、大いに魂消たものだ。


「もっと珍しいものが一杯ある」

シーボルト先生について見学に行きたかったが、出島内にいること自体、秘密となっている智次が、役人の目を誤魔化して外へ出るは至難の業だ。

「サムライに斬られる」

ハンスの反対には、逆らう気にはなれなかった。がたがたと震えるハンスは、余程サムライが嫌いらしい。


 決して他の人たちに見つからないように――

 隠れ住む暮らしは、智次には〝隠れん坊〟のようで面白い。盗み見る異国人の暮らしは、とても興味深く、ついついちょっかいを出して、ハンスには随分と叩かれた。

サムライに斬られるぞ――


「聞かせて欲しい」と頼まれた、居王様と黒御子様の話に、島が恋しくなって涙ぐむと、「やっけーむんやっさー」ハンスが故郷の絵を描いて見せてくれた。

実物を見ていないから、上手いのかどうかは、わからない。それでも島とは違う建物や景色に智次は目を見張った。

 中でも智次が興味を抱いたのが川だ。まるで海のように広い川は、この出島の海と繋がっているのだと、わかりにくい琉球語で説明した。智次には信じられない話だ。

 船に乗って出島に着くまでにあった様々な出来事、立ち寄った国の景色、智次はハンスの絵話に夢中になった。


行ってみたい――。

 

居王様と信じた、ハンスに初めて出会った時の興奮が蘇る。「未知の物への憧れ」または「怖いもの見たさ」だろうか。重定兄が黒御子様に誘いを懸けた思いがほんの少しわかった気がした。ハンスはやはり智次にとって「居王様」だ。胸が高鳴る興奮を与えてくれる。

 あっという間の一年だった。オランダ船が出島に着き、出島は多くの異国人で溢れ返った。役人もおおわらわで、本土の商人らしき人たちも慌ただしく行き交った。

 智次にとっては祭りのような賑やかさの中、「儂も一緒に行く」と駄々を捏ねる智次に、ハンスは言ったのだ。


今度、来た時にね。四年後だ。連れて行ってやるから、待ってろ――。


             *

「四年は長いよ」


一人呟き、智次は海に背を向ける。


 ハンスと別れてまだ数か月。

居王様と小舟に乗った約束の場所で待ったところで、居王様が漂う白の中から悠然と現れる奇跡はありえない。ハンスは本物の居王様じゃない。


戻った智次に、誰もが色々と訊ねるが、「出島にいたことは誰にも話してはいけない」と散々に念を押されているからには、何も言えない。きっと、真相がばれれば「サムライに斬られる」のだろうとハンスを思い出して考える。

 言わずに越したことはない。島人はどうやら、智次が神隠しに遭ったと思っているようで、だったら「なにもわからない」で通したほうが楽だ。

それでも智次としては、実に珍しい体験をしたのであるから、誰かに話したくはなる。そのたびに「サムライに斬られる」ハンスの言葉が蘇り、口を閉ざすの繰り返しだ。


 また、覚えようと毎日、繰り返したオランダ語が時に口をついて出ることもあり、怪訝な顔をされたりもする。

 段々と億劫になって、人を避けるようになった。近頃では智次を気味悪がる人が多くなった。

神隠しから戻った子供――


以前と変わらぬ人の姿に、ひとり、浦島さんになった気分となる。智次はいい加減うんざりしている。


唯一、話せそうな兄ちゃん、平佐田せんせは、一人だけ残った先生として、毎日が忙しい。先日、滋子と無事に夫婦となった事実は、智次としては嬉しい限りだが、大事な兄ちゃんがサムライに斬られてはかなわない。


 一年の〝隠れん坊〟が、智次をどんどんと島から遠ざけて行った。

   




「だから、智次坊に聞きたいだけじゃ。御子様はお達者でおられるかどうか。隠れ里に行ったんじゃろ。御子様は、いつ戻られる。儂は……」まただ……

うつうつとまどろんでいた智次の耳に、近頃しつこく纏わりつく声が届く。顔を顰めて起き上がれば、こっ、こっと鶏の鳴く声が庭から聞こえ、ぼんやりと目を移した先に、柿の木が見えた。


「おぅ、智次坊、起きたか? 鶏の餌はどこじゃ?」

 兄ちゃんが振り向いて言った気がして、智次は飛び起きる。

 全部すっかり、話してしまいたい。兄ちゃんになら話せる。聞いてもらえる……。

 ところが、兄ちゃんはいない。一年の間に智次にとって、唯一の様変わりが口惜しい。


 腫れ物に触るように――

家中の者が智次に気を遣い、智次は、それがまた淋しい。皆が心配しているのだ。わかるが、智次には逆に辛いばかり。

「何があったんじゃ。どこにいたんじゃ。心配かけよって」

言ってくれれば、全部をぶちまけたかもしれない。が、誰もがそっとしておいてくれれば、智次は〝秘密〟を守らねばならなくなる。

滋子と夫婦となった「平佐田せんせ」は今、お館家で住み込みのせんせとして暮らし、空き部屋となった場所で、智次が寝起きをしている。

 贅沢なこと、この上ない。いっそ、以前のまま、両親と同じ部屋でうるさい鼾の中に戻っていれば、そのまま以前の生活に戻れたのかもしれないが。


「智次は神隠しになんぞ、遭うておらん。有盛さん、すまんが、帰ってくれ。智次は病じゃ。宗爺も、そう言うとる。隣島におったんかもしれん。お役人も隣島に人を送って……」

 母ちゃんが必死に言い返す声を聞きながら、智次は庭に下りた。如何にも、いづらい。

 間を通る智次に、鶏たちの動きが止まる、以前は智次を見れば、「餌をくれる」と寄ってきた鶏たちですら、冷ややかな目を送っているようで、智次はさっさと外に出た。


特に行くあてはない。だが、どこにいても同じ。以前のように親しげに声を掛けてくれる人はいないし、智次自身も、話すつもりはない。親しかった人は特に遠ざけている。

 余計なことは、言ってはならない。大好きな兄、時頼すらも遠ざけている訳は、言わずもがなだ。

 ふらり、と山道を進んだ理由は、人を見かけても隠れ場所がたくさんあるからだ。隠れん坊は得意になった。生い茂る木々があれば、造作もない。

かつては決して踏みいれなかった聖域も、〝居王様事件〟ですっかり馴染みの場所となった。見晴しもよく、とてもいい場所だ。

 智次はすっかり気に入って、近頃では一日中、ここにいることもある。家にいれば家族の心配そうな顔に耐え切れなくなり、外に出れば奇異の目で見られる。ひとりきりの居場所は心地良い。


ぱたり、と身を横たえれば、草花がほんのりと香る。見上げる空は、どこまでも突き抜けるように青い。

 ただ、じっと空を見上げている智次に、かさり、と小さな足音が聞こえた。

 起き上がった智次の真正面、大きな木に寄り添う山吹が、ひらひらと風に揺れている。

(山吹? 季節はずれな……)

不審に思った智次が近づこうとして、山吹が振り返った。


「わぁ」「おぅ」


互いに声を上げる。

 まさか山吹が人だとは思わなかった智次は、大きく見開かれた黒い瞳から目が離せずにいた。


「驚いた。あんさん、どなたはん?」

先に口を開いたのは娘のほうだった。智次は合点して、にかっ、と久しぶりに笑った。

「儂や、智次。久しぶり、時ちゃん」

「ええっ、智次はん? うそ……」

 信じられない、という体で、時子は智次を見上げる。

「ほんまどすぇ。言わはったら、信じる?」

 智次の言葉に時子は目を細め、「ほんまや……」と笑った。


 久々の再会に、二人は座り込んで屈託のない話で盛り上がった。

何せ、同じ島にいながら、会ったのは数年ぶり。時子は体が弱く、外に出ることを母親から禁じられ、友人と呼べる子供もいない。年の離れた姉の滋子が、唯一の遊び相手だった。

 それでも、父親のない時子の家では、姉も母を手伝って仕事をしなくてはならない。そこで滋子は、同い年の智次を時折は家に呼び、遊び相手をさせたのだ。滋子がわざわざ智次を選んだわけは……


「言葉、直どしたのね」

「うん。父ちゃんが、うるそうて。島男は、なよなよしとっちゃあいかん、ってな。別に儂は、構わん思うが。儂は好きよ、京訛り」

 智次は時子を見てにこり、と笑う。智次もまた守女であったのだ。


 といっても、男の場合は呼び方が違う。京訛りを持った男子は生まれ変わりと呼ばれ、御子様に仕える武者の生まれ変わりだと言われている。

 すっかりと影を潜めた生まれ変わりだったが、智次が言葉を話し出して仰天した父親が、躍起になって言葉を改めさせたわけだ。よって、島でも事実を知る者は限られている。


 同じ言い伝えの子である滋子は、いずれどこからか聞き調べて来たに違いない。病弱な時子の遊び相手が、時子の言葉を嫌うようでは不憫と思い、智次に白羽の矢を当てたわけだ。

 それでも男の子である智次がいつまでも女子遊びに付き合っていられるはずもなく、大きくなるに従って時子の家に寄ることもなくなった。当然の成り行きでもある。


「大きくならはったのね」「女子らしうならはったね」


 互いに言って、ちょっと照れる。二人とも、そろそろお年頃だ。それでも、幼い頃から知っている間柄に変な遠慮はなく、久しぶりに智次は心置きなく話ができた。時子もまた、久々の幼馴染に楽しそうだ。

 夕暮れが近づき、智次は時子を送って山を下りた。

 その後、度々二人が会った理由は、互いに居場所がなくなっていたからだ。智次には、平佐田と滋子の縁組は嬉しい限りだったが、時子には事情が違うようだ。

「ええお人や。ねーさんの尻に敷かれとる。心底、優しゅうて。だからこそ……」

 自分が荷物になる、と時子は堪えていた涙を零した。

「今はお館様の元でせんせをしたはる平佐田せんせは、元々が本土のお人。いずれおいぬことになる。その時、お母ちゃんと病の妹をどないしはるか。病人を抱えての暮らしは難儀です。そやさかい言うて、ねーさんを残して義にーさんはしとりで本土へはいねへん。うちだけいなければ、姉夫婦はお母ちゃんを連れて本土へ戻れへんやろし、もしもお母ちゃんしとりやけ残っても、お母ちゃんには縁談が結構おます。婿はん持てば、島での暮らしもなんも問題へんやろう……」と、しゃくりあげた。智次は幼馴染の肩を抱き寄せる。さらに。

「ここは聖域。うちは、神様がうちを迎えてくれへんかと、ここで待っとる。けどな、ちぃとも来はらへん。うちは神様にも相手にされへんのやろか」

 幾分か体調のいい日にここへ来る習慣は、智次が足遠くなってから続いていると言う。智次は居たたまれなくなって、

「ほな、儂が神隠ししちゃる」

 時子の目を覗き込んだ。                   

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ