第116話 敬いの心
「……また龍神様と手合わせしてたッスよ。」
「ニーチェ!貴様……またその様な嘘を……嘘を吐くな!
日も跨がずに二度も龍神様の前で眠りこけるとは……この大バカ者が!!」
南の国の兵士詰め所で目を覚ましたニーチェは
上司である竜人から叱責を受ける。
日に二度。数時間と経たないうちに……。
「だから〜。それは龍神様が強かったんスよ!
あっしの桂花陳酒でもビクともしないンスからから。
でもあっし凄い気分いいんですよすよ。」
ガンガン怒鳴られたニーチェの顔色は
健康的な赤みを帯びていた。
間違っても演技の類ではない。
話は終わったとばかりに
ニーチェは踵を返し扉に手をかけた。
「何処へ行く!?まだ話しは終わってないぞ!」
「……あっしの家に戻るンスよ。
龍神様待たせてるんで。」
「……その必要はない。
龍神様には別の世話役をつけた。貴様は減給だ!」
ニーチェの顔色が変わる。徐々に熱を帯び
頬が緩み口角が上がりきる。
「……嘘ッスよね?この任を終えたら特別休暇……
もう貰えちゃうんすか!?
今から申請してきますます!
申請書〜何処だったッスかね〜!
今度は何処に旅行行こっかな〜〜。」
足速に詰め所奥へ行こうとしたニーチェを
兵士長が回り込み眉間にシワを寄せ。
「今の時期なら北方しかないッスかね〜。
もうすぐ冬だから……その前にもう一度……なんスか?」
「ニーチェ……お前ヴァイス王国の酒を
飲んだんじゃないだろうな?」
兵士長の脇を潜ろうとしたニーチェの足が
ピタリと止まる。同時に喜々とした表情はなりを潜め
「……なに言ってんスか?証拠はあるんスか?
あっしにも竜人としてのプライドがあるんス。
人間がつくった酒なんて好き好んで飲みません。
何処のガセネタ掴まされたッスか?
勘違いじゃ済まされませんよ。」
詰め所を覆う殺気。
息を吸う事すらも許されぬ程の重苦しい気配。
一般兵達は身構え、隊長は頭を掻きながら
「寝ているお前の部屋からヴァイス王国産の酒が
見つかった。…………龍神様の私物の可能性もある。
こんな事で龍神様に確認を取る訳にはいかん。
私達もニーチェを信じてい……。信じたい。
私達の勘違いでいいんだな?」
「……そ…それは…初耳……ッスね。
こ…今回は……勘違いで済ますッスけどけど、
あっしが龍神様に確認をとって来ますんで
待っててくださいさい。
あっし以外だと龍神様怒るから……絶対……絶っっ対!
あっしが確認しますのでので!」
ニーチェは兵士長を押しのけ詰め所を後にした。
ヤベーっス!ヤベーっスよー!
これで特別休暇取り消しとかなったら
絶対この仕事辞めてやるッス!
クソっ!退職手当……もう少しで増額……ムゥ〜!
あっしを縛る楔めー!
と。心の中で慌てふためくニーチェ。
………………
………………………………
ニーチェの吐瀉物の染み込んだベッドごと変えられ
龍神は再び客室へと戻っていた。
隣には凛と跪く初老の竜人。
「龍神様……先程はニーチェが御無礼を働き
申し訳ありません。
引き継ぎとして私ジャムが龍神様のお世話を
させて頂きます。」
龍神は男を一瞥し鼻で嘲笑う。
「無礼ときたカ……なる程。
確かに吐瀉娘は我に対し無礼だったであろウ。
奴からは我に対してなんの敬意も感じなかっタ。」
事は思った以上に深刻。
どうにかニーチェが汚した竜人の汚名を
返上しなければならない。
ジャムは意気込み僅かに顔を……
「…………。」上げる事が出来ない。
龍神を信仰すればするほど、
遠すぎる存在を瞳に納めることは
愚行だと理解してしまう。
紅い髪の小さな龍神が立ち上がり
ジャムの目の前に佇む。
「……今の貴様が我にとって
どれ程の無礼か弁えているのカ?」
「……申し訳ありません。」
ジャムは震えている。身体は小刻みに。
細胞の1つ1つが震えている。
仮に身の回りの世話をする者が恐怖に慄き
挙動1つで汗を流す者を礼儀正しいと言えるだろうか?
礼は逸していない。
しかし、到底満足出来るレベルではない。
その態度。感情。息遣い。
全てが龍神の逆鱗に触れている。
「脆弱な存在が生きる術……
確かにそのように震え怯えておる限り、
我は貴様の様な矮小な者を殺しはせン。
価値すらないと思わせるには十分ダ。
貴様は魂が生きておらヌ。
器と肉体が存在しているだけダ。
それは生命とは呼ばン。」
重苦しい空気がジャムにのしかかる。
圧迫され圧縮された空間。
払い除ける事も振り払う事も不可能。
ただ龍の重圧をその身に受けるだけ。
龍神がベッドに腰掛け瞳を落とす。
浅い眠りに入るように。
ジャムはその姿を顔を伏せる事でしかわからない。
…………
「龍神様〜。ココッスか〜?」
ノックすらされずに遠慮なく開かれた扉。
ニーチェが龍神を確認すると
スタスタと部屋へ足を踏み入れた。
龍神は眉を動かしその人物を見据える。
「寝てましたか?後で言いますんでどうぞどうぞ!
寝ててくださいさい。
ちょっと緊急だったンスけどけど。」
「構わン。申してみヨ。」
では……と。扉を閉め小さく息を吸い
「……ヴァイス王国の酒を飲んでるの。バレました。
まぁ当然ですよね。
空瓶散らかったまま兵士が入ってきたんスよね?
現行犯ッス!ですのでので……」
ニーチェは龍神の隣り。ベッドの下に腰掛け、
上目遣いでモジモジしながら
「龍神様が一人で飲んだ事にしましょう。
事実隠蔽ですです。
あっしも飲んでる事がバレたらヤバイです!
もはや減給する程給料もないので、
来年の休暇まで取り消し食らいそうですです!
来年は太陽の島観光が控えてるんで
絶対に揉み消したいんですです!」
「自業自得ダ。馬車馬の如く働き死んでこイ。」
興味無さそうに目を背ける龍神。
「…………あっしの酒……まだあるッスよ。」
ニーチェが邪悪な言葉を口から吐く。
龍神の閉じられた瞼が微かに動く。
更なるひと押しをニーチェは紡ぐ
「北方の蛮族の酒。あっしにはキツいんすけど
……龍神様ならさぞかし上手に…………」
「ニーチェ!!なんの話しをしている!
まさか貴様……龍神様を買収しようとしているのか!
この場で叩き切ってくれるわ!」
我慢ならず声を荒げ自らの爪を伸ばすジャム。
その声に驚き後退るニーチェ。
「うわっ!……ジャムおじ!いつから聞いてたッスか?……『上手に…………』あたりからだと嬉しいッス!」
「そんな訳があるか!最初から聞いておったわ!」
アワアワと狼狽しながらも後ろの小さな少女。
龍神の存在に気付く。龍神は我感せず。
されどあと一声。それを待ち望んでいるかのような。
ニーチェは奥歯を噛みしめ最後の手札を切る。
断腸の思い。本来ならばチビチビと長い月日をかけて飲む筈だった。龍神と飲めば間違い無く一晩で殻になる。
手に入れるのにどれ程の労力を費やしたか……
どれ程の休暇と金銭を支払い手に入れたか……
しかし変えられぬ物がある。
「あっしは……負けないッス!」




