37 もっと大事にして
家に着くとお風呂でゆるくシャワーを当てて、泥を落とす。
痛い。
こんな痛みは久しぶりだ。
でもこの傷は以前のものとは全然違う。心は何も痛くない。
むしろ、ほっとしてる。
ハナちゃん が生きていて、大ケガしてなくてよかったと安堵している。
タオルでそうっと拭く。血が付いて汚れてもいいように柄物のタオルで。
ふとその手が止 まる。ここに来て、もう二カ月経ったんだ。
お母さんは今頃どうしてるんだろう・・
「まなみちゃん、傷のところ出してこっちに来てね。消毒して、薬を塗るから」
ユウくんの声にはっと我に返り、頭を振ってその人影を消した。
「はいっ、今行きます!」
慌ててパジャマは上だけ着て、ズボンは手に持って、
ユウくんの待ってる寝室の襖を開ける。
「うわっ! ま、まなみちゃん、ズボンは履いてっ!」
目を丸くしたユウくんを見て、私も慌てて襖に隠れた。
「あ、ご、ごめんなさい!」
足の傷はだいぶ上の方にあるから、ズボンはない方が手当しやすいと思ったんだけど。
よく考えたらなんて恥ずかしいことをしちゃったんだろう・・!
改めて、ズボンを履いてぐいっとケガのところまでまくってお布団の上に座る。
顔を上げるのは恥ずかしいので、お願いします、とお辞儀した。
ユウくんは救急箱を開けて、準備をした。
「まなみちゃん、僕も男なんだから、気をつけなきゃ駄目だよ」
「う、うん」 頷いたものの、私の頭はハテナでいっぱいだ。
ユウくんが男の子なのはもちろん分かってる。
けど、何をどう気をつけろと言っているのかよく分からない。
ユウくんはそっと私の手を取る。
「痛かったら言ってね」
そっとそっとやってくれているけど消毒はしみる。
薬を塗るのも痛い。でも、我慢我慢。 手の擦り傷の次は足。もう少しの辛抱だ。
ユウくんは手際よく足の傷にくるくると巻いていく。
「痛くない?」
「あ、大丈夫だよ」聞かれて私は即答した。
「そうじゃなくて。大丈夫じゃなくて。痛いか痛くないか、聞いてるんだけど」
「え・・? 痛い、よ?」
どうしてそんなことを聞くのかと顔を上げた時、ユウくんの両腕が私を包んだ。
「・・・よかった。まなみちゃん、ずっと平然としてるから、痛いって感覚、あるのかなってちょっと思っちゃったよ」
「え?」
「じゃあずーっと我慢してるんだ。
でも、どうして? ハナちゃんの前では痛くないって言うの分かるけど、僕と二人の時までそんな我慢することないのに」
ユウくんの顔は見えないけど、すごく優しい声が頭の上から降ってくる。
「勇次郎から聞いたよ。ダーって崖を降りてったって。
少し横を行ったところには階段もあったのに。
滑り降りるなんて危険だって思わなかった?」
「あ、私、もう夢中で・・」
「まなみちゃんは、自分が傷つくのを何とも思わないとこがあるよね。
自分より他人を優先して、無茶する。前にジローを助けた時もそうだった」
肩にかかるユウくんの手がきゅっと強くなる。
「まなみちゃん。痛いって感じることって、大事なことだよ。
痛いのを我慢せずに、痛いことは嫌なことだって思わないと。
危険を回避しようとする人間の本能だからね。それを無視しちゃ駄目だよ。
もう、ホントに・・・あんまり心配させないで」
ユウくんの頭が私の肩に乗っかって、髪が頬に触れた。
「ご、ごめんね? ユウく・・」
「崖から落ちたって聞いて、心臓が止まるかと思った。
そばにいなかったこと、すごく後悔したよ。
一緒にいれば僕が助けられたのにって」
どきん、どきんと音が聞こえる。これは、私の心臓の音だろうか。
私の不注意な行動でユウくんにこんな嫌な思いをさせていたなんて。
「ごめんなさ・・」 ぐいっと体の向きを変えられ、ユウくんと向かい合う。
「ごめんなさいはいいって、いつも言ってるよね?
僕が言いたいのは、もっと自分を大事にしてほしいってことだよ。
まなみちゃんの体も心も全部、もっともっと大事にして」
真っすぐに見つめてくるユウくんから視線を逸らすことなんてできなくて、私はただ、こくこくと頷きながらユウくんの目を見ていた。
長く伸びた前髪が私の視界を黒く隠すと、ユウくんの指がそっと髪をすくう。
「約束して。もう一人で無茶しないって。
自分だけで何とかしようとしないで、周りに助けを求めること。
・・もっと僕を頼ってよ」
最後はつぶやくようにそう言ってユウくんはぐっと唇をかみしめた。
いつもにこにこほほ笑んでくれているユウくんのこんな表情は初めてで、私はどう答えていいかわからなくて、頭の中は真っ白になった。
喉はカラカラで、口からは何の言葉も出てこない。
何か、何か言わなきゃと思うのに。
ふっと、ユウくんはいつものように笑って、私から顔を離した。
「まなみちゃんが呼べばどこにだって飛んで駆けつけるよ。
スーパーレンジャーのマントブルーみたいにさ。びゅーんとひとっ飛び!
・・あれ? 知ってるでしょ? いつも勇次郎が見てるスーパーレンジャーだよ。
ほら、マントブルーは空を飛べるんだ」
手を広げて飛ぶ真似をするユウくん。私は思わずぷっと吹き出してしまった。
「勇次郎くん、リーダーレッドだって言ってた。私はハートピンクだって。
心を読むこと ができるんだって一生懸命説明してくれたの。
ユウくんはマントブルーなんだ」
「あいつ、みんなに割り振ってるからなあ。
ちなみに銀太は力持ちのハイパワーグリーン。
ゆっこは瞬間移動するワープパープル、ハナはアイドルのスマイルイエロー。
結構的確な配役だよね。今度ミニ演劇でもやろうか」
あはは、と楽しそうに笑うユウくんには、さっきの曇った表情はもうどこにもなかった。




