第十四話 懲罰の北
ミレナが去った後、石畳に沈黙が残った。
夕暮れの風だけが流れている。
セリスが先に口を開いた。
「受けるべきではありません」
レインは歩き出しながら言った。
「理由は」
「私情が強すぎる依頼です。しかも十年前の事件。証拠が残っている保証もない」
「そうだな」
「加えて、相手は懲罰兵です」
セリスは静かな口調で続けた。
「警邏隊士官が深入りするには、危うい案件です」
レインは少し考えた。
「警邏の仕事には事件調査も含まれる」
「今回は現行犯ではありません」
「だが北東区画の現状を調べている最中だ。過去の奴隷取引と繋がる可能性はある」
セリスは黙った。
「それに」
レインは北の空を見た。
「バルドがなぜ第七駐屯地にいたのか、俺も知りたい」
セリスが少しだけ目を細める。
「情ですか」
「そうかもしれない」
「士官としては危険です」
「現場は、そういう理由で動く人間の方が多かった」
セリスはしばらく何も言わなかった。
やがて小さく息を吐く。
「……面倒な人だ」
否定ではなかった。
——
翌朝。
ラーゴス警邏隊本部。
古い地図。
積み上がった報告書。
暖炉の灰。
吸い殻でいっぱいになった灰皿。
北方の猛者らしい、隊長の部屋だった。
北方警邏隊隊長、グレイン・ヴァレスは机に肘をつきながら、二人を見上げた。
「……冒険者ギルドに行ったそうだな」
「はい」
レインは頷いた。
「北東区画の視察後、冒険者のガルクという男に案内されました」
「で、何を聞いた」
「警邏の仕事を一部、冒険者へ回してほしいと」
グレインの眉がわずかに動いた。
「理由は」
「新人や高齢の冒険者には、魔物討伐や遺跡探索だけでは食べていけないからです。見回りや荷運び、簡易護衛でも回せれば、下層の冒険者が潰れにくくなると」
隊長は黙って聞いていた。
レインは続ける。
「実際、北東区画は警邏人数が足りていません。土地勘のある冒険者を補助に使えれば、こちらの負担も減ります」
「……合理的ではあるな」
グレインは腕を組んだ。
「だが冒険者は統率が難しい。問題も多い」
「承知しています。試験運用から始めるべきかと」
しばらく沈黙が落ちた。
「人手不足は事実だ」
グレインは低く息を吐いた。
「新人や高齢の冒険者を遊ばせておくよりはいい。分かった。許可する」
紙へ何かを書き込みながら続ける。
「上へは俺から回しておく。通るかは知らんがな」
「お願いします」
グレインは椅子へ深く座り直した。
「他には」
レインは少し間を置いた。
「十年前の商人切り付け事件について、記録閲覧を願います」
部屋の空気が少し変わった。
セリスが横目でレインを見る。
グレインは表情を変えなかった。
「理由は」
「第七駐屯地に送られた元冒険者、バルドが罪に問われた理由と奴隷商の罪が不問であることを調べるためです」
「……誰から聞いた」
「冒険者ギルドです」
グレインはしばらく黙った。
やがて机の上を指で軽く叩く。
「懲罰送りの記録は簡単には出せん」
「ですが警邏の仕事に事件調査は含まれます」
レインは静かに言った。
「当時の処理に問題がなかったか確認したい」
セリスが小さく息を吐いた。
グレインはレインを見ていた。
「……面倒事に首を突っ込む性格か」
「現場に違和感があるなら確認します」
「その闇が深くてもか」
「確認します」
沈黙。
グレインは腕を組んで空を仰ぐ。
胸ポケットから煙草を取り出し火をつけ煙を大きく吐き出した。
引き出しから紙束を取り出し、机へ置いた。
「許可する。閲覧室を使え」
「ありがとうございます」
「ただし公にはするな。記録の持ち出しも禁止だ」
「承知しました」
話は終わりだった。
レインが一礼し、セリスと共に部屋を出ようとした時だった。
「……セリス、お前は外で待て」
セリスの足が止まった。
「隊長?」
「レインに話がある」
一瞬だけ、セリスの表情が硬くなった。
だがすぐに平静へ戻る。
「承知しました」
静かに一礼し、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
「第七駐屯地について、どこまで知ってる」
「北方最前線の駐屯地です」
「それだけじゃない」
グレインは静かに言った。
「あそこは懲罰部隊でもある」
レインの目が僅かに動いた。
「問題を起こした兵士。政治的に邪魔になった士官。消耗させたい人間。そういう連中が送られる」
グレインがまっすぐにレインを見つめる。
「補給が後回しなのも、装備が古いのも、半分は意図的だ。死んでも困らん人間を集めている」
第七駐屯地の光景が脳裏をよぎる。
酒浸りの古参兵。
壊れた目をした兵士。
補給の来ない防壁。
誰も長く残らない場所。
「……だから生還率が低い」
「最前線だからだけじゃない」
グレインはレインを見た。
「お前がいた場所は、“戻って来ないことを期待される場所”だ」
「……バルドもですか」
「ああ」
グレインは頷いた。
「元は冒険者だ。優秀だったらしい。だが商人の手首を切り落とした」
レインは思い出す。
ギルドで聞いた話。
そしてミレナの顔。
「当時の記録では“暴行事件”になっている。だが裏には貴族が絡んでいたという噂もある」
「噂」
「証拠は消えた」
グレインはレインを見た。
「だから深入りするな、と言いたいところだが……お前は止めても調べるんだろうな」
レインは否定しなかった。
グレインは小さく煙草の煙を吐く。
「もう一つだ」
少し間を置いて続けた。
「ついでに言っておく」
「何をですか」
「お前の副官だ」
レインは黙って聞いた。
「セリスは貴族の妾腹だ。本家に居場所がなかった」
レインは目を瞬かせた。
「分権派貴族主義の貴族と辺境貴族の五女の間に生まれた。正式な家には入れず、姓だけ与えられた」
グレインの声は淡々としていた。
「家柄を気にする貴族主義のご貴族様だ。分家の使用人として扱ったが体裁を気にして軍へと入れた」
レインは少しだけ目を細めた。
「しかも士官ではなく、下士官として。どこかで存在が消えることを願われたんだろう」
「だから北方へ?」
「中央に置くには扱いづらい」
グレイブは淡々と言う。
「優秀だが、血が半端だ。表に出せば本家が嫌がる。だから北へ回された」
レインは昨日のセリスを思い出した。
静かな目。
感情を抑えた口調。
北東区画で子供への施しを止めた時の、妙に現実的な言葉。
あれは、綺麗事だけでは生きられなかった人間の目だった。
「奴には踏み込みすぎるな」
グレインは二本目の煙草に火をつけながら言葉を続ける。
「腐っても貴族の家系だ。どこの息がかかってるともわからん」
レインは静かに頷く。
「北方に寄こされたのは、お目付け役かもしれんしな」
「……分かりました」
「それと」
グレインは最後に付け加えた。
「北方は王都より複雑だ。表の顔と裏の顔が違う。気を付けろ」
レインは一礼した。
「はい」
隊長室を出る。
廊下ではセリスが窓際に立っていた。
外の曇った空を見ている。
「終わりましたか」
「ああ」
セリスはそれ以上聞かなかった。
レインも言わなかった。
二人は並んで廊下を歩く。
窓の外では、灰色の空の下を荷馬車が進んでいた。
ラーゴスの街は今日も動いている。
表も。
裏も。




