ハロウィン☆ナイト
リクシア国には仮装の日がある。
三百年ほど昔。領土のお姫様を敵兵から守るために、農民たちがお姫様の格好をして本物のお姫様をわからないようにした。
それが仮装の日の由来。今ではお姫様の仮装だけでなく、どんな仮装をしてもいいことになっている。
授業終了のチャイムが鳴り終わらないうちに、わたしとルーチェは教室を飛び出した。向かうは更衣室。
「フランソワの家ってすっごいお金持ちなんだって。どんな豪華な食べ物が出るのか楽しみ」
「ハンバーグあるかな?」
「ノアナって、まだハンバーグが好きなわけ? お子ちゃまね。あたしを見習って、好きな食べ物はパンの耳って言いなさいよ。たいがいの人は憐れんで、食事を奢ってくれる。食費が浮くという作戦よ。ふふふ」
「ルーチェって頭いい!」
家から持ってきた服に着替え、メイクする。
わたしの仮装は魔女っ子。黒いワンピースに黒い三角帽子。表は黒、裏は紫のマントを羽織る。
ルーチェの仮装は、女海賊。黒眼帯が似合っている。
「バッチリだね。行こう」
「あ、魔女の杖を持ってくるのを忘れた。昨日の夜、紙を丸めて作ったのに」
「そこらへんに落ちている木の棒でいいんじゃない?」
しゃべりながら更衣室から出ると、黒を愛用しているユガリノス先生が廊下に立っていた。
先生はおしゃれに変身したけれど、洋服のどこかに黒があるのは健在。この人は暗黒の呪いから逃れられないらしい。
「先生、どうしたんですか?」
「帰りのホームルームをサボった生徒が二名いる。小テストを返却するから、家で復習してきなさい」
「げっ! 真面目かよ」
ルーチェはうんざりした顔で数学の小テストを受け取った。
「四十八点か。まあまあね。ノアナは?」
「五点」
「さすがは安定の一桁」
ルーチェがテスト用紙を覗こうとしたので、慌ててグシャグシャに丸める。ルーチェはきっと、点数が低いのを恥ずかしがって丸めたと思ったことだろう。
「ったく、わざわざテストを返しに来るなんて、暇なのかね? することがないなら、仮装パーティーの飾りでも作っていろっつーの」
先生の耳はルーチェのぼやきを聞き逃さない。
「ルーチェの仮装は海賊か。水のある場所が好きというわけだな。ちょうど良かった。プールの掃除係に任命しよう」
「げげっ! 超忙しいんでお断りします!! ノアナ、行こう!」
「う、うん」
「なにが水のある場所だ。海賊はプールじゃなくて、海だっつーの」
「そうか。海か。それなら夏期講習の一環として、海での遠泳三十キロ合宿に申し込んであげよう」
「うわっ、地獄耳! 最悪。ノアナ、逃げるよ!!」
ルーチェはわたしの袖口を引っ張ると、昇降口目指して走った。
わたしは先生に向かって、こっそりと手を振る。先生は手を振り返してくれなかったけれど、ほんのわずかに口角を上げた。
「あいつは、プロテニスプレイヤー並みの返球率の高さかよ。ちょっとした言葉からでも嫌味を返してくる。恐ろしい」
文句たらたらのルーチェ。
わたしも少し前までは、ルーチェみたいに反発ばかりしていた。けれど先生のお試し妻となって四ヶ月も過ぎれば、すっかり良い子。先生が嫌味を言うのは体調が良い証拠なので、微笑ましい気持ちで嫌味を受け流せるようになった。
(今日も夫の嫌味が絶好調で、安心です。ふふっ、これが妻の余裕ってヤツね)
余裕があるのには、もうひとつ理由がある。
さきほど返却された数学の小テストに、先生が書き込みをしていた。
『冷たいものを飲みすぎてお腹を壊さないように。十時頃、駅に迎えに行く』
お父さんかよ! って突っ込みたくなる。先生は過保護だ。
幼妻に対する先生の言動は、圧倒的に甘さが足りない。教師と生徒の間柄、それに十歳差ということもあって、わたしたちの関係は対等ではない。先生が甘さを加えずに世話を焼いてくれると、どうしても保護者のような雰囲気になってしまう。
(先生が積極的にラブラブなことをしてくれたらいいのに……)
先生の誕生日にキスをしたのがきっかけで、なにかというとわたしは、「先生、キスしよう」とねだるようになった。そう、キスはいつもわたしから。先生から求められることはない。それにいまだに、好きだと言われていない。
先生も好きって言ってと頼んだら、「言えるわけがない」と拒否されてしまった。
先生からのキスがほしい。好きって言われたいのにな……。
◇◇◇
フランソワの家は、想像していたとおり金持ちだった。プール付きの白亜の大豪邸に、広い庭。たくさんの使用人。
フランソワは探偵に仮装しており、フランソワの父親はワインソムリエ、母親は女王の仮装をしている。
仮装パーティーの出席者は百人を超えている。豪邸の中も外も仮装した人でいっぱい。
迷子にならないように……とルーチェの側にいたのだけれど、ルーチェは食べ物を容器に詰めるので忙しく、わたしは飽きてしまった。
プールサイドの椅子に座って月の映る水面を眺めていると、吸血鬼に声をかけられた。
「かわいらしい魔女のお嬢さん。おひとりですか? 僕とお話してみる気はありますか?」
吸血鬼の仮装をした青年は、わたしの隣の椅子に座った。
吸血鬼の話は、退屈だった。自分は名門大学の法学部の生徒で、父親はユガリノスグループの顧問弁護士。勉学の傍らモデルの仕事もしていると、得意げに話す。
「将来は父と同じ弁護士になるつもりではあるのだが、実は、天職に魔法使いもあってね。才能がありすぎて困っているんだ。だが、ひとつに絞ることはないと考えていてね。魔法使いの力を使った弁護士活動をしながら、モデルの仕事もする。将来は政治家になる考えだ。欲しいものはすべて手に入れたい主義でね」
「ふわぁー」
「今、あくびした? 僕の話に興味を示さない女を初めて見たんだけど。僕、魔法が使えるんだよ。すごくない?」
「別にすごくない」
先生だって魔法を使えるし、ユガリノスグループの御曹司だし。そう言いたいのをぐっと堪える。先生が魔法使いであることは内緒だ。
ルーチェのところに戻ろうとすると、吸血鬼に腕を掴まれた。吸血鬼の目が怪しく光る。
「女って選び放題だと思っていた。でも、君みたいな女もいるんだな。僕に選ばれたいと思っていないだろう?」
「うん。大好きな人がいるから」
「へぇ、好きな人ねぇ……。そういうのたまらなくいいな。奪いたくなる」
吸血鬼は腕を伸ばし、わたしの頬にふれた。その途端、体が硬直して動かなくなった。
吸血鬼はわたしの顔を覗き込むと、犬歯が出ている口でニヤリと笑った。
「僕の家に連れて行ってあげる。楽しいことをしよう」
唇が動かない。体も動かない。心臓は動いているのに、体の感覚が麻痺してしまったようで指一本動かせない。
(どうしようどうしよう!! 先生、助けてっ!!)
ドクンっ!!
体に電気が走った。魔法の木の棒を持っている右手が勝手に動いて、空中に円を描く。唇が勝手に声を発する。
「わたしも魔法使いなんだ! くるるんぷいぷい。悪い吸血鬼め、プールに飛び込めっ!!」
「ひぁーーっ!!」
吸血鬼の体が、勢いよく弧を描いてプールへと飛び込んだ。吸血鬼は慌てて立つと、ずぶ濡れの顔を拭った。プールの中から叫ぶ。
「なんなんだっ! 硬直魔法をかけたのに。まさか、僕の魔法を破った……?」
わたしの体はどうしちゃったの⁉︎ 意志とはまったく違う動きをする。勝手に腕組みすると胸を逸らし、頭にも心にもない言葉を吸血鬼に投げつける。
「魔法使いにもレベルってものがあるのよね。あんたはへなちょこ魔法使い。その程度で私に選ばれると思っているわけ? 百億年早い。家に帰ってミルクでも飲んでろ。二度と私に関わるな。くるるんぷいぷい。家に帰れー!」
魔法の杖がまたまた勝手に動いて、空中に円を描く。
吸血鬼の青年は、見えない巨人の手に引っ張り上げられたかのようにプールから飛び出ると、叫び声とともに夜空を飛んでいった。
あっという間の出来事だった。
「なにが起こったの……」
ようやく自分の言葉で話せるようになった。体も勝手に動くことをしなくなった。
フランソワの家に来る前に道端で拾った木の棒をジッと見る。
「まさかこの木の棒……本物の魔法の杖っ⁉︎」
◇◇◇
十時。仮装の夜に最適な満月が、夜空に浮かんでいる。
駅まで迎えに来てくれた先生に興奮して話す。
「あのねあのね! すごいのっ!! わたし、本物の魔法の杖を手に入れたんだよ!」
先生は黙って聞いてくれた。
「でね、悪い吸血鬼は空を飛んでいって消えたんだ。ルーチェに話したら、夢を見たんじゃない? って信じてもらえなかったけれど、夢じゃない。わたしね、本物の魔女っ子になったんだよ!」
先生の腕に絡みつく。反対の手で魔法の杖をくるくる振っていると、いいことを思いついた。
「そうだ! ミラクルミラクル、魔法の杖よ。くるるんぷいぷい。先生がわたしのことを好きだって言って、キスする魔法よ。かかれー!」
「…………」
「変だな、かからない。おかしいね。もう一回。くるるんぷいぷい。先生がわたしのことを好きだと言って、キスする魔法よ。かかれー!!」
「…………」
「なんで? これ、魔法の杖じゃないのかな? もしかしてあの魔法、先生がかけたの?」
先生は盛大なため息をついた。
「私ではない……」
「じゃあなんで、魔法の杖を振っても魔法がかからないの? 呪文は合っているのに」
「……ノアナ」
先生はわたしの顎をクイっと持ち上げると、端正な顔を近づけた。
「好きだ」
強引に唇を塞がれる。
荒っぽい動作。でも、好きだと紡いだ声音には甘さが溶けている。
そのギャップに脳がクラクラする。
先生はビターチョコレートみたい。ビターだけれど、甘い。
「はわわわわーっ! せ、先生っ、最高。もう一回!!」
キスされたときに緩んだ手から落ちた、魔法の杖。満月の光に照らされた足元で、パキッと枝が折れる音がする。
「きゃあーっ!! 間違って踏んじゃったぁーーーっ!!」
「ハハッ! うっかり屋のノアナらしい」
「やだやだぁ。もう一回、好きって言ってキスしてもらいたい!」
先生の背中に飛び乗って、耳に呪文を吹き込む。
「わたしは魔女っ子ノアナ。杖がなくても魔法をかけられるのだ。くるるんぷいぷい。先生がわたしのことを好きって言って、キスする魔法よ。かかれぇーーっ!!」
「ノアナ」
「うん!」
「帰ったら、今日返却した小テストの見直しをしなさい。三点取ったといっても、それはマルバツ問題。適当に書いて当たっただけだ。正しい答えを書いて、明日提出してくれ」
「ふみゃあ!」
先生はわたしをおんぶしたまま、別荘へと歩いた。わたしは先生の背中で、「もっとキスしてよ。先生とキスするの大好き。キスしてキスして。え〜ん!」と泣き真似をしたのだった。
その日の夜遅く。
パーティーの興奮が抜けなくて、寝付けなかった。ゴロゴロと寝返りを打っていると、先生が寝室に入ってきた。慌てて目をつぶる。
すると先生の手がブランケットを掴み、全身にかけてくれた。
「……好きだ。誰よりも、なによりも、ノアナが好きだ……」
唇に、やさしいキスが降ってきた。
先生が寝室を出て行ってから、飛び起きる。
「時間差で、キスする魔法がかかっちゃった!」
でも本当は……あの木の棒は魔法の杖じゃないよね。先生が魔法を使って、悪い吸血鬼から守ってくれたんだよね。
先生、ありがとう。大好き。
先生は姫様を守ってくれる、とびっきりに最高の騎士だ。
✢✢✢おわり✢✢✢




