得たものと消えたもの
もう一体どれくらい時間が経ったのだろうか。
アリス姫は私の手を握りながら震える声で話し続けていた。
「…馬鹿でしょう?わたくしなんかの為にクロアはあんなことを…」
「クロアさん…。そこまで思いつめてたんですね」
「オルフェ様とクロアがその後どのようなやり取りをしたのかは分かりません。ただ寛大な処置をして頂いたことは間違いありません」
私はうーんと唸った。
「なんかオルフェ王子がものすっごく良い人化されてる気もするけど…」
「オルフェ様は…わたくしにとってはとてもお優しい方です」
ん?
なんかアリス姫の言い方に含みを感じるぞ。
アリス姫は指先で涙の跡を拭った。
「どこでどうなったのか、次にわたくしの部屋に現れたのはオルフェ様と共にいた小さい侍女とサトの姿になったクロアでした」
こんな時だが私は想像して吹きそうになった。
慌ててそれを飲み込むと咳払いでごまかす。
「ご、ごめんなさい。その、さぞかしアリス姫はびっくりしただろうなと思いまして」
アリス姫はつられて少し微笑んだ。
「はい。従者ではなく侍女として側にいることになったと言われた時は正気を疑いましたわ」
「それって、すんなり受け入れられたんですか?」
「いえ、それなりの月日はかかりました。それでも人間とは不思議なものですね。いつしか慣れてしまって…」
慣れか。
うん、分かる。
私だってイザベラ姫にすっかり慣れてきたもんな。
それにしても…すごい話だな。
「あ、もしかしてクロアに侍女をさせるのが王子なりの罰だったとか!?」
私が思いついて言うと今度はアリス姫が緩みそうな口元を押さえた。
「いえ、あれは本当にわたくしの側に居るための苦肉の策だったらしいです」
「そ、そっか。そんなおかしな罰なんかないか」
私はなははと笑った。
バカな発言ばかりしてたらまたレイにでもどつかれそうだ。
というか、クロアに侍女として側にいさせるとかいうドS提案はきっとレイがしたに違いないな、うん。
アリス姫は背中を伸ばすともう一度私の手を握りなおした。
「オルフェ様は、クロアを見逃してくださる代わりにわたくしにある要求をしました」
「要求…?」
なんだと。
私の目は自然と険しくなったがアリス姫は静かに微笑んだ。
「わたくしに後宮のトップとして君臨して欲しいとおっしゃいました」
アリス姫はその時のことを淡々と話した。
その頃の後宮は派閥争いでギスギスしていたらしい。
裏で対立する女たちを王子がうまく立ち回ることで抑えてきたが、このままでは王子不在の時に何かあれば大きな揉め事が起こる可能性があった。
アリス姫ならばあのフリンナ姫やウアラ姫に対抗できる身分がある。
オルフェ王子は争いを抑える抑止力になるように、アリス姫に求めたのだ。
「よ、よく引き受けましたねそんな難儀なこと…」
「上手くまとめようと考えるから、難しいのですわ」
「へ…?」
「わたくしがしたことは誰とも馴れ合わず、ただ高圧的な振る舞いをしていただけです。厄介な敵が一人現れれば、その周りは勝手にまとまりますでしょう?」
オルフェ王子はアリス姫の振る舞いを理解すると、すかさずアリス姫を一番の寵姫として立てた。
こうすることでアリス姫の身分、更には美しさも相まって側室の姫たちは完全に手が出せなくなった。
結果、内心では疎ましく思っているだけに姫たちは見事にまとまった。
表面上はしおらしく従いご機嫌をとるが、裏ではこぞってアリス姫をこきおろしていたというわけだ。
私はアリス姫に招待されたお茶会のことを思い出した。
そういえばフリンナ姫たちは初めは私にあたりがきつかったのに、アリス姫が現れた後は急に親身な言葉をかけてきた。
あれはこういうことだったのか。
アリス姫は何でもないことのように言うが、威厳と品を損なわずそれをこなす事だって容易ではないはずだ。
でも、そんなことより何より…なんだかその立場はとても寂しい。
「それをアリス姫に任せて見て見ぬ振りをしてたなら、やっぱり王子は酷いですよ」
私が怒るとアリス姫は目を見張った。
「どうして?」
「だって!!周りにどんなに人がいてもそれじゃあアリス姫はずっと一人ぼっちじゃないですか!!」
「…まぁ」
アリス姫は本気で憤慨する私に何度か瞬きをすると儚げに笑った。
「オルフェ様には本当に良くしてもらっているのよ。でもありがとう、イザベラ姫。…いえ、ミリ」
私の胸はきゅうぅんと音を立てた。
う、美しい!!
なんて守ってあげたくなるのアリス姫!!
王子めっ。
酷いことしてるのに庇わるなんてやっぱり許せん。
「アリス姫」
今度は私がアリス姫の手を握りなおした。
もう我慢できない。
今言いたくて言いたくて我慢できない言葉がある。
私は感情に任せて口走った。
「わ、わわ、私でよければ、お、お、お、お友だちになってくだはい!!」
噛んだ!!
ほら、噛んだ!!
私は恥ずかしさに耐えきれずに真っ赤になりながら俯いた。
アリス姫は目を大きくしたまま私を凝視していた。
よほど予想外の言葉だったに違いない。
私は消えそうなほど小さくなった。
…分不相応なこと、言っちゃったよな、絶対。
「…ごめんなさぁいぃ」
へろへろと言うとアリス姫は私の手を離した。
それから今度は私を抱きしめた。
「どうして謝るの?」
「へ…」
「嬉しいわ、ミリ。喜んで」
アリス姫は私を離すと今まで見た中で一番綺麗な笑顔を見せた。
「わたくし、大きくなってからお友だちが出来たのは初めてだわ」
私も私も!!
こっちは人生初!!
「ありがとう…」
こちらこそ!!
私はすっかりのぼせ上がると生まれて初めてゲットした最高に綺麗な友だちを抱きしめ返した。
私が友愛に打ち震えている頃、レイに連行されたクロアはオルフェ王子の前で跪いていた。
「その姿を見るのは久しいな」
王子は声をかけると悠々と腕を組んだ。
レイは出足から容赦なく言い放った。
「王子、やはりクロアをこのまま野放しにするのは危険では?」
「レイは手厳しいな」
「どうせ二年前に王子が見逃した命です。今更切り捨てても支障ありません」
クロアの背はひやりと冷えた。
オルフェ王子は普段は見せない冷たい顔で壁にもたれかかっている。
まるでいつでも自分に襲いかかることのできるライオンの前に跪いているような恐ろしさだ。
王子は低く笑った。
「この二年、お前のおかげで上手く乗り切れたようなものだ」
「…」
「あの時身一つで警備をかいくぐり後宮まで忍び込んだお前を、俺は今でも高く評価してるぞ」
クロアは汗ばむ拳を握った。
「…オルフェ様」
顔を上げると何とか声を絞り出す。
「アリス姫が側室でなくなった今、これ以上ニヴタンディの情報は流せません」
クロアは自分の両手を見つめた。
アリス姫のそばに居続けるために、クロアはニヴタンディをオルフェ王子に売り続けていた。
家には海外にて勉強を積むと言い、怪しまれぬよう時折顔を見せてはついでに城に入り、ニヴタンディの情報を掻き集めてスアリザへ帰る。
この二年、クロアはずっとそうやって生きてきた。
レイはうなだれたクロアに冷たく言った。
「お前はメンタルの弱さが最大の弱点だな。王宮に乗り込んだり諜報活動は出来るのに一向にそこは成長しない」
「リシンダ…」
「レイだ。リシンダはもういない」
クロアは悲しそうに笑った。
「そう、ですね。そして侍女のサトも」
クロアは立ち上がると王子にきっちりと頭を下げた。
「オルフェ様。僕がこの口を滑らせることは己の身を切る行為にもなります。ですからその心配だけはありません。ただ、それでも不安があるようでしたらいつでも斬り捨ててくれてかまいません」
どうせ生きながらえても、もうアリス姫とは共に生きることなど出来ないのだから悔いはない。
スアリザの王子がアリス姫を側室に迎えたことで、アリス姫の身は結局潔白だったのだと世間は判断した。
そうなればまた、スアリザから戻ってきたアリス姫への正式な縁談がすぐに持ち上がるだろう。
「それでは、失礼します」
クロアは生きながらも死人のような顔で部屋を出て行った。
レイはその頼りない背中を呆れながら見送った。
「…このまま切り捨てたほうが親切なのでは?」
「放っておいてやれ。あれよりアリス姫だな。今はミリが乗り込みに行ってるんだろう?」
「…」
レイは難しい顔で頷いた。
「ミリは動きが予測しにくいので、今頃どうなっているのかは全くの不明です」
王子は低く笑った。
「案外上手くやっているのではないか?」
「笑い事ではありません。あのバ…ミリは問題を起こす天才ですからね」
「お前がついててやれ。こっちは今のところ静かなものだ」
「…かしこまりました」
侍女姿のレイはきちんと女型のお辞儀をすると音もなく部屋を出て行った。
オルフェ王子は一人になると椅子に腰掛けしばらくじっと窓の外の雲を眺めていた。




