ミリの奥の手
お城を訪れた私はアリス姫に会うまで三十分程待たされた。
まぁアポなしで来たんだから文句は言えない。
ネイカと客間で待っていると、私だけ呼び出されアリス姫の部屋に通された。
「アリス姫…。おはようこざいます」
緊張しながら扉を開くと、窓辺に立っていたアリス姫がゆっくりと振り返った。
「わたくしに用があると伺いましたが、何か」
やっぱりアリス姫の顔はいつものように冷たい。
私は部屋に入り扉を閉めた。
アリス姫の周りに侍女は見当たらず、部屋には二人きりだ。
「アリス姫。昨日は急に帰られてしまって驚きました」
とりあえず話のとっかかりをと思ったが、アリス姫は無表情に言った。
「勝手に帰ったことは申し訳ないと思っております」
「いえ。私こそ無理にアリス姫を連れ出してすみませんでした。アリス姫も長旅で疲れてますのに」
「…」
「あの…。ニヴタンディは素敵な国ですね!私ゾウさん見たとき本当にびっくりしました」
「…」
私は当たり障りのないことをしばらく話しかけたが、アリス姫の反応は薄くなるばかりだ。
だめだ。
全然会話が続かん。
ここはもう本題に入るか。
「あの…実はクロアさんのことでお話しがあるのですが」
アリス姫は僅かに目線を上げた。
「わたくしには話などありません。要件がそれだけならばお引き取りください」
素っ気なく言い放ち、私に背を向けると窓の外を眺める。
その背中は私を完全に拒否していた。
こりゃ取りつく島もないな。
でもまだ諦めないぞ。
私には奥の手もあるんだ。
「クロアさんに貴女のことをお聞きしました。二人は幼い頃からずっと一緒だったのですね」
「…」
「クロアさんはアリス姫がとても大切だと言っていましたよ」
アリス姫は不機嫌そうにカーテンの裾を握った。
「それが何か?そんなこと、わたくしにはどうでもよい事です」
「アリス姫…」
「大体クロアはただのわたくしの従者の一人です。それ以上でも以下でもありません」
…うそだ。
絶対そんなはずない。
「アリス姫、でも…」
「もうお引き取りください。クロアが何を言ったのか存じませんが、迷惑です」
「アリス姫…!」
「帰りなさい」
「聞いてください!!」
「聞きたくなどありません!!」
私は初めて声を荒げたアリス姫に驚いた。
アリス姫自身も驚いたのか窓に寄りかかりながら胸を押さえている。
それでもその目は頑なに私を拒んでいた。
だめだ。
このままじゃ話すら出来ない。
仕方ないな。
私は部屋を見回すとカウンターテーブルに置かれた果物籠に手を伸ばした。
取り出したのは果物ナイフだ。
「イザベラ姫?一体何を…」
アリス姫はナイフを手に持ち近付いてきた私に目を見開いた。
「このままでは、話を聞いてもらえなさそうなので」
「や…やめなさい」
私は刃先を自分に向けた。
「イザベラ姫!?」
アリス姫は真っ青になり叫んだが、それと同時にざくりと音を立てて私の長い黒髪が宙を舞った。
「何を!?」
「アリス姫、見てください。この顔に…僕に見覚えはありませんか?」
アリス姫は愕然としながら私の顔を凝視した。
化粧を施していないからか、まだ全くぴんとこないようだ。
私は低い声で言った。
「後宮では僕とサクラを助けて頂いてありがとうございました。…って、やっとアリス姫本人にちゃんとお礼が言えました」
アリス姫は唖然としていたが、後宮とサクラの名が僅かに引っかかったようだ。
しばらくの間固まっていたが、その目はみるみる大きくなった。
「あ…、ま、まさか」
「あの時頂いた泣くほど美味しかったスープの味はまだはっきり覚えてます」
「フィスタンブレア様!?」
私は笑顔で頷いた。
アリス姫はひどく動揺した。
「あ、アルゼラの民がイザベラ姫…?一体どういう事ですの…?」
「驚かせてすみません。ちょっと色々事情がありまして」
私は短髪には恐ろしく不似合いな黒いドレスを摘んだ。
ここまで思い切ったことが出来たのは、さっきクロアの前でフィズの正体を暴露した時にレイが何も言わなかったからだ。
というかレイが話の流れをそう持って行ってたもんな。
それならばアリス姫にも話して大丈夫だと私は判断していた。
そしてこの姿は絶大な効果を発揮した。
さっきまで冷たく拒否していたアリス姫の顔が一変したのだ。
「フィスタンブレア様が…イザベラ姫…」
「はい」
「…本当の貴女は、誰なのです?」
「すみません、詳しくは言えないんです。ただ、王子は私のことをミリと呼びます」
「ミリ…」
「はい」
私は今にも倒れそうなアリス姫に手を伸ばし、長椅子に座らせた。
「…く、クロアは、知っているの?」
「はい、ついさっき話しました。クロアさんがサトさんだと聞いたのもその時です」
「…クロアが明かしたのですか?」
「いえ、その場にいたレイに聞きました」
「レイが!?」
私はすぐに反応したアリス姫に首を傾げた。
クロアは二年前にしごかれた後は会っていない口ぶりだったのに、アリス姫はそうではなさそうだ。
「あの、アリス姫はレイのことよくご存知なのですか?」
「…いえ、それ程では。ただオルフェ様と連絡を取り合うときには必ずレイが間に入りましたので…」
「連絡、ですか」
「…」
その物言いに何だか違和感を覚える。
アリス姫とオルフェ王子はただの側室という関係ではないのだろうか。
「アリスひ…」
もう少し突っ込んで聞こうとした私は手を掴まれてはっとした。
アリス姫は小さく震えながら涙を落としていたのだ。
「アリス姫…?」
「…す、か」
「え?」
アリス姫は顔を上げると押し殺した声を出した。
「…私の話を、聞いてくれますか」
私はすぐに頷いた。
それから姫が腰掛ける長椅子に一緒に座った。
アリス姫は声を出そうとしたがそれは直ぐに小さな嗚咽に変わる。
それすら堪えようとする姿は何だか痛々しいほどだった。
…この人、一体今まで一人でどれくらい抱え込んできたのだろう。
私は震えるアリス姫が何だか可哀想で、何度もその背中を撫で続けていた。




