ミリのとんでも熱演
私は自分の大きなくしゃみで目を覚ました。
「べっくしょい!!…はぁ、寒いぃ」
体を起こすと薄着で床に転がったままだった。
「はれ…?なんで私こんな所で…」
寝ぼける頭で立ち上がると、鏡の中の自分と目があった。
「あ、あぁ!!この鏡!!」
一瞬で眠気が吹っ飛ぶと私は勢いよく壁まで下がった。
だらだら冷や汗を流しながら鏡を見ていたが、そこに映るのは間抜けな格好で壁に張り付いている自分だ。
「…目が、光ってない。勝手に喋ったりもしてない…。昨日のは何だったの…」
びくびくしながら警戒していたが、特に何か起こりそうな気配はない。
窓の外を見れば既に夜明けを知らせている。
「もう、朝だし、お化けは出ないよね…?うぅ。レイぃ、やっぱり早く帰ってきてぇ」
私は手を組んでぎくりとした。
左手の黒い模様に、昨日お化けが言った言葉を思い出す。
「う、うぎゃあぁぁ!!やだやだ!!あと二日で私あんなのになっちゃうの!?は、早く何とかしないと!!」
慌てて手近にあったタオルを引き寄せると私は左手にぐるぐる巻いた。
「レイ…!!」
もう大人しく待ってなんていられない。
私は薄着なのも髪を切るのも忘れて部屋を飛び出した。
「えと!!確かこっちから来たはずだから…、大きな壺!!大きな壺!!」
ばたばたと廊下を走り行くも壺なんてどこにあったのか実は全く覚えてない。
「壺ってどんな壺!?花が入ってるんじゃないの!?もう王宮なんてどこの国でも馬鹿広いんだから本当迷惑!!」
壺は分からないけど左手に階段が見えてきた。
「登るのよね!?あってるよね!?」
道には迷っているが、迷ってる暇はない。
私はとりあえずその階段を登り始めた。
「はぁ、はぁ。レイ…レイどこにいるの…」
もう右も左も分からない。
まだ薄明るいだけの廊下をひたすら走っていたが、ふと誰かの声が聞こえてきた。
「レイ!?」
冷静に考えるとそんなはずはないが、この時の私は早くレイに会わなきゃという思いしかなかった。
一心不乱に声を追いかけていたが、近くまで来ると怪しげな気配に気付き足を止めた。
何だか話し声と共に聞き覚えのあるうなり声がする。
「れ、レイ…?」
廊下の曲がり角からそっと声のする方を覗く。
そこには大きくモゴモゴと動くお菓子袋を抱えた男と、身なりのいい騎士がいた。
「あ…あのお菓子の袋は…!!」
魔物に取り憑かれた男の人を詰め込んだやつだ。
うそっ。
あの人あのままずっと袋に閉じ込められたままだったってこと!?
いくらなんでも酷くない!?
私は聞こえてきた会話に耳をそばだてた。
「全く、厄介なものを持ち込んだものだな」
「ソラン様。この者は何処で始末いたしますか」
え…。
始末??
身なりのいい騎士は低い声で言った。
「この国ではさすがに無理だな。このまま先に荷馬車に放り込んで次の国へ着けば、その辺の森で見つからぬように始末すればいい」
「はっ」
や、やっぱり始末って言った!!
なんで!?
助けるってヤドカリだって言い放ってたじゃないか!!
私は壁から飛び出すと男たちの前に立ち塞がった。
「…今の、どういうことですか!?」
「何だ。誰だお前は」
「始末って何ですか!?その人、助けること出来るんでしょう!?」
身なりのいいソランとかいう男は私を押しのけてまた歩き出した。
「いたっ。ちょっと待ってください!!人々の前ではあんなこと言ったのに酷い!!みんなを騙すんですか!!」
「黙れ」
「いいえ黙りません!!これはオルフェ王子の指示なのですか!?表ではいい言葉を並べておいて裏ではこんなことをするなんて、これが王族や貴族のやり方なの!?」
ソランは舌打ちをするとの私の目の前に立ち冷たい目で見下ろした。
「仕方がないのだ。何も知らぬくせに口出しをするな」
「…じゃあ納得できる説明をしてください。そうじゃないと私このことルーナ国の人たちに全部言いますからね」
ソランの横では大きなお菓子袋を抱えた男が顔をしかめながらじっと待っている。
袋から聞こえる不気味なうめき声だけが廊下に響いた。
ソランは面倒そうな顔を隠しもしなかったが、ため息とともに話し始めた。
「この取り憑かれた者を救うには、白聖女の力がいる」
「はくせいじょ…?」
「この世の闇を浄化できるという、黒魔女と対極にいる女のことだ」
私は黒魔女という言葉に一瞬固まった。
だってまさかこんなところで自分のことが出てくるなんて露ほども思わないじゃないか。
ソランは淡々と続けた。
「白聖女はベルモンティアという二つ先の国にしかいない。だがベルモンティアはオルフェ様の進路通り行けば辿り着くのはまだまだ先だ。この男はどっちにしろ身が持たずに、死ぬ」
「二つ先なんでしょう!?そっちに寄って行けばいいじゃない!!」
ソランは私の素人意見にわざとらしく眉を寄せた。
「この魔物男のために、何百人といるこの行列の進路を簡単に変更できると思うか。これはただの行列ではない。進路には姫君たちの国の権力も考慮されているのだ」
「じ、じゃあ騎士団の誰かがこの人をベルモンティアに運んだらいいんじゃないの!?」
「たとえ運んだとしてもこの男は王族はおろか貴族でもない。白聖女に目どおりを許されるまで待たされ、結局死ぬ」
「そんな…」
王族や貴族ならすぐにでも見てもらえるのに、一般人なら駄目だなんて…。
世の中不公平だ。
ソランはやっと黙った私に冷たく言った。
「これで分かったか。この男の運命はもう決まっている。それならば秘密裏にさっさと始末してやるのがいっそ親切だろう」
「…親切、ですって?」
何それ。
そんな親切、あってたまるかっ。
「…もし、取り憑かれたのが王子や姫だったら進路は即変更されるんですよね…?」
「当たり前だ」
「…」
そうかいそうかい。
よく分かったよ世の中の仕組みが。
私はキッとソランを睨みあげるとお菓子袋を指差した。
「いいですか、今日中に進路は必ず変わります!!ですからその男の人は絶対にまだ殺さないでください!!」
言い捨てるとさっさと踵を返す。
私は通ってきた廊下を急いで駆け戻った。
王子がどう考えているのかなんて知らない。
どう訴えればいいのかなんて分からない。
でも何としてでも進路を変えてもらうんだから!!
「えぇと、確かこっちから来たはずだから、ええと、ええと…」
迷っていると廊下の遥か向こうでざわざわと人の気配がした。
私はとりあえず人の声に向かって走った。
壁に張り付き覗いてみると、オルフェ王子の側室の姫君たちが侍女を従え朝食の間に移動しているのが見えた。
「姫たちはこの辺の部屋に泊まってたのか…」
姫たちについて行けばオルフェ王子がいる。
でもそんな中でどうやって説得すれば…。
私はふと自分の身なりを見下ろした。
服さえろくに着ていないし頭もぼさぼさ。
どっちにしてもこの格好じゃ王子の前には…。
私は左手をぐるぐる巻いたタオルを見てはっとした。
「そ、そうよ…。これならきっと!!」
大きな声が出そうになり慌てて口を塞ぐ。
私は姫たちが去ったのを確認してから、一番手前にある部屋にこっそりと侵入した。
ーーーーーーー
レイは空っぽの部屋に激怒していた。
「あのガキがっ…。何故大人しく待ってられんのかっ」
悪態をつくとすぐに探しに走る。
こうやってミリを探すのはもう何回目だろうか。
こんなに世話がかかる相手は初めてだ。
レイはしばらくあちこちを探し回った後、時間を確認してから方向を定めた。
もしかしたら先にベッツィたちと合流して朝食の間にでも向かった可能性もある。
一応その辺りに転がっていないか見ながら、レイは一階の奥を目指して走った。
朝食の間は晩餐の時のように巨大なホールで用意されていた。
ルーナ国王もご苦労なことだと半ば呆れながら、とりあえずミリの姿を探す。
背の高いベッツィはすぐに見つけたが、その隣にはビオルダしかいない。
「一緒じゃないのか」
リヤ・カリド侯爵もヒューロッド卿の姿もここにある。
「呼び出されたわけではなさそうだな。…どこかで迷子にでもなってるのか?」
レイは痛む頭を押さえながらオルフェ王子に近付いた。
「王子、お食事中に失礼します」
「レオナルドか」
王子は背後から近付いたレイに微動だにせず口だけで応えた。
「何かあったか」
「ミリの姿が見当たりません。連れ出された形跡もないので王子に何か心当たりはないかと思い…」
「ミリが?」
王子はナイフとフォークを皿に置いた。
「俺の所には現れなかったぞ」
首を傾げていると姫たちの席からどよめきが起こった。
王子とレイはそっちに視線をくれるとそこで揃って完全に固まった。
「これは…」
「…なっ。あいつ、何考えて…」
朝食の間に現れたのは、真っ黒なドレスを着た、真っ黒な長い髪の揺れるイザベラ姫だった。
イザベラ姫は騒ぐ姫たちのそばを通り過ぎると、オルフェ王子の元まで真っ直ぐに歩いて来た。
レイはミリが何を考えているのかさっぱり分からずに反応できないでいる。
王子は席を立つとイザベラ姫と向かい合った。
「オルフェ王子…」
イザベラ姫は王子を見上げたかと思うと、急に顔に手を当てておいおいと泣き出した。
「みっ…ミリ…」
さすがに王子も反応に困っている。
イザベラ姫は割と大きな声で嘆き出した。
「遅ればせながらもやっと王子と皆様の御一行に辿り着きました。あぁ王子、どれほどお会いしたかったことか!!」
レイは明らかに嘘臭いミリの嘆きに引きつった。
イザベラ姫は顔を上げるとこれまたくっと悲劇を装った顔になった。
「それなのに…それなのにわたくし…。もう王子の前から消えねばなりません」
よよよと泣くミリに王子は本気で戸惑った。
「お、おいミ…イザベラ姫。一体これは何事か」
イザベラ姫は目を光らせると高らかにタオルを巻いた左手を突き上げた。
「この旅の途中で、わたくしはもう…消えゆく運命を背負わされたのです!!」
はらりと解かれたタオルの下からは、黒いまだら模様がくっきりと残る左手が現れた。
誰がどう見ても魔物の傷。
和やかだった朝食の間は、一気に悲鳴の嵐に襲われることになった。




