ミリの恋煩い
アンデルの町はまた都心とは違った活気に溢れていた。
国境沿いだけあって様々な装いの人や変わった店で溢れている。
レイは町の馬屋に馬を返すと一番大きな屋敷を目指して歩き出した。
「ちょっ、ちょっと待ってよレイ…」
馬から降りた私は身体中ががくがくして上手く歩くことさえ出来ない状態だ。
レイは振り返ると無造作に私の腕を掴んだ。
「あれしきでへばるな」
「何回も馬乗り継いで何時間も走れば誰だってへばるって…。頑張ったって褒められてもいいくらいだわ」
レイはへろへろする私からサクラを外して鎖を手に取った。
それから反対の手で私を支えながら歩き始めた。
「のんびりしている暇はないぞ。さっさと歩け」
「王子たちもうここへ来てるのかな」
「来ていない。町の様子を見ていれば分かるだろ」
「へ?」
言われて周りを見回したが私には何をどう見てレイが判断したのかがさっぱり分からない。
分かるのはサクラを見て人々が驚いた顔をしていることくらいだ。
レイは店の先を顎でしゃくった。
「…あそこにセスハ騎士団の者がちらほらといる。町に出ていたようだがハーモンド伯爵の屋敷に引き上げ始めている」
「あわわ、本当だ…」
私は見つからないようにと首をすくめたが、何せサクラがいる限り目立って仕方がない。
レイは鎖を引き寄せるとなるべくサクラが高く飛べないようにした。
「引き上げているということは出発が近い。おそらく一時間以内にオルフェ様はこの町に辿り着くはずだ」
「な、なるほど…」
説明はよく分かったが、私の足は一向に思うように前に進もうとしない。
レイはがちごちの私をその辺のベンチに座らせた。
「仕方がない。十分だけ休憩にしてやる。その後は急ぐからな」
「う…はい…」
レイはサクラの鎖を私に渡すとぷいとどこかへ行ってしまった。
十分か…。
もうちょっとくらい労ってくれよ。
「サクラも飛び続けで疲れたでしょ」
声をかけるとサクラは私の肩から膝に降り立った。
前まで懐にすっぽり収まっていたのに、今はもうちょっとした犬くらいの大きさはある。
「もう少し大きくなったら一緒には寝られなくなるね…」
サクラの頭を撫でながら話しかけていると、ふと目の前が陰った。
顔を上げると大きな人が私を見下ろしていた。
「やっぱり、フィズ。今までどこにいたんだ」
「あ…」
赤毛のその人は私が立ち上がっても見上げるほど背が高い。
「セスハ騎士団の…。えと…」
「ベッツィだ。お前の姿が見えなかったから、もうこっそり消されたのかと心配したぞ」
う…洒落にならない。
ベッツィは声をひそめると少しかがんで言った。
「あの時は助けてやれなくて悪かった。…でもお前のおかげで溜まりに溜まっていたものが本当すっきりした」
「え…」
「俺も常々あのガキどもの尻をひっぱたいてやりたいって思ってたのさ」
ベッツィはいたずらっぽく片目をつぶった。
何だか話してみると人懐こい人だな。
サクラが私の肩に止まると、ベッツィは手を伸ばした。
「お前、やっぱり本物のドラゴンなんだな」
手が触れそうになると、サクラは唸りを上げて威嚇した。
「あ、こ、こらサクラ。ごめんなさい…」
ベッツィは手を引っ込めるとぽりぽりと頭をかいた。
「残念。一度撫でてみたかったんだけど」
「最近ちょっと人に警戒心強くなってきちゃったみたいで」
「そりゃそうだな。いつまでも赤ちゃんじゃいられない」
いつまでも赤ちゃんじゃいられない…。
ベッツィの言葉は私の胸にちくりと刺さった。
「ユセ様はあっちにいるが、会いに行くか」
「え?ユセがいるの?」
「ああ」
ベッツィは騎士団の装いの若者が集う先を指差した。
「あれ以来、ユセ様の周りには人が増えた。元々ヒューロッド卿のことをよく思っていない者は何人もいたんだ。よそ者のお前が全力でユセ様をかばう姿を見て…何ていうか、皆我がふりに気付いたみたいだな」
少し遠目だが、ユセは騎士団の者たちと共に談笑しているように見えた。
「ユセ…良かった」
ほっとしていると、後ろからぐいと腕を引かれた。
「フィズ。何してる」
「あ、レイ。お帰り…」
レイは厳しい目で私とベッツィを見比べた。
「騎士団の方はすでにハーモンド伯爵の元に引き返すよう命令が出ているはずです。貴方も急いだ方がいいですよ」
口調だけは丁寧なレイにベッツィは肩をすくめた。
「じゃあな、フィズ。また後で」
「う、うん…」
去って行く大きな背中を見送っていると、隣でレイが無表情に言った。
「ミリ、騎士団の者とは極力関わるな」
「いや、私だって関わりたくて関わってるわけじゃないんだけど…」
「フィズは架空人物なんだ。その姿で知り合いが増えても後々ややこしいだけだ」
レイは冷たく言うと手にしていた水を私に渡した。
「あ…お水買いに行ってくれてたんだ」
「十分は休憩したな。それを飲んだらすぐに俺たちも行くぞ」
「はぁい…」
屋敷に着いたらオルフェ王子たちと合流する。
私はなんとなく最後に見た、部屋を訪れた王子を思い出した。
そっか。
今日は王子に会うんだ。
分かっていたはずなのにそう思うと何だか急に尻込みした。
今回のこと、怒っているだろうか。
それともまた前だけ向いて、私なんて振り向きもせず先頭を歩いて行くのだろうか。
「…ミリ」
急に黙り込んだ私にレイが振り返った。
「ちゃんと飲んだのか」
「…もぅ、いらない」
「一口しか飲んでないじゃないか。あれだけ馬に乗ったんだ。しっかり水分補給しろ」
「…」
レイは眉を寄せて顔を覗き込んできた。
「なんて顔をしている」
「…だって、恐くて」
「騎士団の元へ行くことがか」
「それも、そうだけど…」
レイは冷静に私を観察すると小声で言った。
「オルフェ様にお会いすることか」
「…」
図星を指されて黙り込んでいると、レイは無表情になった。
「お前の恋煩いになんて付き合ってられない。さっさと行くぞ」
「こっ、恋煩い!?」
何だって!?
このキャッチーな言葉はいくらピンクに程遠い私でも聞いたことがあるぞ。
私が、オルフェ王子に、こいわずらい…??
「やだなレイったら!!そんなことあるわけないじゃないの!!私はただ王子に会うのが嫌だなぁと思っただけで…」
「揺さぶられるから嫌なんじゃないのか?」
「そうそう!!もう王子ってば気まぐれでゆさゆさしてくるから!!」
「王子に心があるから揺さぶられるんじゃないのか?」
淡々と追い詰めてくるレイに、私は挙動不審になった。
「あ、あのね、これはオルフェ王子のゲームなの」
「ゲーム…?」
「王子は私を自分の思う通りにしたいだけなの」
「そんなことはないだろ」
「本当本当!私は王子に落ちたら負け。期限は一年!負けなかったら私は店を立て直して大手を振って王宮を出て行けるんだから!!」
レイははっきりと顔をしかめた。
「そんな話は聞いていない…」
「そ、そりゃそうよ!!これは王子と二人しか知らないはずなんだから!!」
何故か赤くなる顔をごまかすために私は腕を組んでぷんと顔を背けた。
レイはしばらく考え込んでいたが、面倒そうにゆるゆると首を振った。
「ミリ、オルフェ様は…」
レイが言いかけた時、町が急に騒がしくなった。
どうやら王子、姫御一行がこの町に到着したようだ。
レイは私から残りの水を取ると栓をした。
「時間がない。行くぞ」
「あ、ま、待って…」
まだちゃんと動かない体を必死で走らせていると、サクラがぐんと前に飛んだ。
「サクラ!!そんなに引っ張ったら…」
サクラは首だけ後ろを向くときゅうと鳴いた。
「あ、もしかして引っ張ってくれてるのかな…?」
いつの間にこんなに力が強くなったんだろう。
サクラは本当に大きなドラゴンに育つんだろうな…。
ちょっぴり哀愁を感じながら、とりあえず私はサクラに引きずられる形でハーモンド伯爵の屋敷を目指した。




