ラベンダー色のミリ
眠りに眠りまくった私は翌朝やっとこさすっきりと目が覚めた。
「あ、さ…サクラは…」
辺りを見回すとちゃんと籠の中にサクラは入れられていた。
「よかった。王子が入れておいてくれたのか…」
ベッドから足を下ろし立とうとしたところで体がぴきりと強張る。
昨日丸々寝たというのにまだ筋肉痛の嵐は去っていないのか…。
こんなことなら日頃からもう少しだけ運動でもすればよかった。
ぎしぎしいう体をほぐしていると扉がコンコンとノックされた。
「はい」
「おはようございますイザベラ様」
入ってきたのはアイシャさんだった。
その後ろには三人の侍女が何やら手に道具を持って並んでいる。
「オルフェ王子から姫様の体が凝り固まっているとお聞きしましたので、オイル係りを用意しました」
「お、オイル係り…」
何だか嫌な予感がする…。
「あの、結構です。私、その、体に触られるのがどうも苦手でして…」
「そうは参りません。せっかくオルフェ王子が帰られたのですから、今日はきっちり身なりを整えて頂きますよ」
王子がいない二週間、アイシャさんは部屋に篭りきって帽子を作る私を許してくれていた。
それだけに今日は何だか断りにくい。
「えと、以前のような華々しく蠱惑的な香りだけは勘弁して欲しいんですけど…」
「心得ております。今日は私がイザベラ様のイメージでオイルを調合して頂きましたのでお任せください」
「はぁ…」
「昼時は王子からランチのお誘いが入っております。それまでに磨き倒して差し上げましょう」
み、磨き倒す…。
なんて不吉な言葉…。
ごくりと生唾を飲む私に気づかないふりをして、アイシャさんと三人の侍女はにこにこと近付いてきた。
ーーーーーーーーー
オルフェ王子はプライベートテラスで海の向こうを眺めていた。
隣に控える小さな従者は注ぎたての紅茶をそっと王子の隣のテーブルに置いた。
「シーエント卿は領地を削られることに納得されたのですか?」
控えめに聞くと王子はため息をこぼした。
「卿の怒りは最もだ。初めにした約束を反故にするとは兄上にも困ったものだ」
「やはり私も行くべきでした。下手をすれば逆恨みした卿にオルフェ様が狙われるところです」
「そんな下手な対応はしないさ。それよりミリの周りはどう動いている?」
従者は苦い顔になった。
「ミリに逃げられたバッカトは怒り心頭でこっちに抗議文を送りつけてきております。今すぐミリを…フィズを出せと喚き散らしております」
「バッカトか…。こちらも納得のいく正式な理由なくして投獄させるわけにはいかないと返事を送り返しておけ」
「はい。ですが夜中にミリを連れ出そうとしたのは他の者のようです。こっちはどう致しましょう」
「ミリにまんまと逃げ切られて今頃地団駄でも踏んでいるさ。放っておけ」
従者は大人しく頷いたものの眉を寄せた。
「オルフェ様…。やはりミリは貴方の足を引く存在でしかありません。私はあれを貴方のそばに置くことは反対です」
「…」
王子は海を見たまま小さく笑った。
「お前から見て、ミリはどう映った?」
「…」
「随分助けてやったみたいじゃないか。珍しく気に入ったのか」
「あれは、…オルフェ様の為です」
従者は何とも言い難い顔で俯いた。
その後は二、三報告をしてからすぐにテラスを出て行った。
王子は意味深な笑みでそれを見送っていたが、従者と入れ替わるように女官長が顔を出した。
「王子、ここにいらっしゃいましたか。イザベラ姫様のご用意が整いました」
「ああ、すぐに行く」
返事をすると女官長に続きテラスを後にする。
オルフェ王子は廊下を歩きながら思案顔になった。
確かにミリをそばに置くリスクは日に日に大きくなっている。
まさかドラゴンをあそこまで気にいり、順調に育てるとも思っていなかった。
上手く扱えば魔力もドラゴンも絶大な力になるが、一歩間違えばどちらもとんでもなく厄介な事態を巻き起こす可能性もある。
利用すべきか、隔離すべきか…。
真剣に検討していると黒薔薇の間にすぐに着いた。
女官長が恭しく頭を下げ扉を開く。
本来なら美しく着飾った姫が微笑みながら立っているのが定番だが、ミリはそこにはいなかった。
焦ったのは女官長だ。
「い、イザベラ姫様!?おかしいですね…ちゃんとここに立ってお待ちするように申したのですが…」
王子は部屋の奥の長いカーテンが僅かに動いたことに目敏く気付いた。
「なるほど。俺が来るのが分かっていて逃げたのだな」
「す、すみません王子。すぐに探して参ります」
「よい。女官長はさがってくれ」
「しかし…」
王子は慌てる女官長をなだめると部屋から出した。
扉を閉めるとつかつかとカーテンを目指して歩く。
「さて、わざわざ隠れる理由を教えてもらおうか」
声をかけるとびくりとカーテンが揺れた。
王子は小さく笑うと遠慮なくそのカーテンをひっぺがえした。
出てきたのはなんとラベンダー色のドレスを着たミリだった。
「お、王子…!!見ないで見ないで!!」
「別に見られておかしい姿でもないと思うのだが…」
何をそんなに嫌がるのかが分からない。
しゃがみこんだミリを力任せに抱き起こすと、甘い香りが漂った。
髪はサイドだけゆるく編み、綺麗に化粧までされている。
せっかくの化けっぷりなのに、本人は今にも死にそうな顔で涙目になっていた。
「せっかく綺麗に仕上げて貰っているのになんて顔をしている」
「うぅ…、だって…。こんなのガラじゃないのにぃ…」
へめへめ言う姿はどう見てもただの無害な少女だ。
王子は何だか真剣に考えているのが馬鹿らしくなった。
「昼食と言っても眺めのよい部屋で軽く済ませるだけのつもりだったのだがな。どうせなら広間で生演奏でも響かせながら公爵たちと共に食事にするか?」
からかい半分で言っただけだが、ミリは千切れそうな勢いで首を横に振った。
「お願いですから、やめてください」
顔を真っ赤にしながら必死で食い下がってくるミリを見ていると悪戯心が湧いてくる。
「分かった。どうしても二人きりがいいと可愛くおねだり出来るのなら考えなくもない」
「う…」
どうするのか眺めていたら、ミリは散々一人で百面相した後でひょろい声を出した。
「お、お願いしまぁす…」
「…。それがお前の精一杯の可愛いおねだりなのか…?」
「ひ、人には出来ることと出来ないことがあるんです!!」
今度はぷりぷりと怒り出す。
何とも見ていて飽きない姫君だ。
さらりと流れる綺麗な黒髪に手を伸ばす。
シルクより滑らかなこの手触りは割と本気で気に入っていた。
「随分と表情が豊かになってきたな、ミリ」
「へ…?」
きょとんとするミリに王子は目を細めた。
なるほど自覚はないのか。
ということは喋り方もかなり変わってきていることにも気付いてないのだろう。
「その話し方も、中々似合っているではないか」
「…。…。…はっ…」
本気で狼狽し始めたミリに、王子は堪らず噴き出した。
どうもミリといるといつの間にか調子が狂う。
利用するだとか、隔離すべきだとか、そんなことすっかり忘れて構いつけたくなるから不思議だ。
「とりあえずは利用するという名目で連れて行くか…」
一人呟くと、王子はああだこうだ言うミリを連れて黒薔薇の間を後にした。




