帰りたい場所
後宮に入って三日目。
すっかり日が高くなるまで私はすやすやと眠り続けていた。
許されるのならまだまだ寝ていたいところだったが、サクラが籠から出せとキーキー鳴くものだから起きざるをえない。
「うぅん…。サクちゃんお腹すいたのぉ?」
のろのろとベッドから抜け出し籠の蓋をあけるとサクラが嬉々として飛び出してきた。
「おいで。ご飯届いてるかな」
ガウンを肩にかけてダイニングに出るとレイがせっせとなにやら働いていた。
「イザベラ様、おはようございます」
「おはようレイ。サクラの食べられそうなものある?」
「ミートローフを残してます。姫様は何にしますか?」
「うーん…。とりあえずレイの紅茶が飲みたいかな」
「かしこまりました」
レイは手にしていたドレスを片付けると先に私の紅茶から入れ始めた。
私はソファに腰掛けながら部屋を飛び回るサクラを見つめた。
今度は大空を思い切り飛ばしてあげられる。
私も王宮の外に出られるんだ…。
あ、そうだ。
サクラと外に出るなら何か笛みたいな合図が欲しいな。
辺りを見回してももちろんこんな所にそんな物は無い。
私は指をパクリと咥えた。
部屋の中にピィーと高い音が響く。
サクラはすぐに反応した。
「ほらサクラ、これが鳴ったら帰ってくるんだよ」
手を伸ばすとひらりと宙返りをしてからサクラは戻ってきた。
「いい子いい子。サクラは本当に賢いねぇ」
でれでれしていると後ろからぱこんと頭を叩かれた。
「一国の姫君が指笛など吹くな」
「ふ、不意打ちは痛いよレイ…。それに女官モードか少年モード、統一してくれなきゃ何だかこっちも対応しにくい…」
「文句言うな。どうせシュガー・レイはもうすぐ消える」
「え、じゃあ…」
「ああ。さっきイザベラの部屋が整い直されたと連絡を受けた」
やった!!
あの黒い部屋に帰れる!!
それからいろいろな帽子作りに挑戦できる!!
頬を紅潮させながらうきうきしていると、レイは不思議そうに見つめてきた。
「…そんなに嬉しいか。部屋に帰ってもオルフェ様はまだ戻られてないんだぞ」
「え?ああ、そう。別にいいわよ」
いない方が心乱されないし、今はどちらかというとあまり顔も見たくない。
そんなことより私は新しい帽子のデザインをあれこれ考えることに夢中になっていた。
レイは不機嫌になるとむっつりと腕を組んだ。
「お前は…オルフェ様のことをどう思ってる」
「へ?」
どうって聞かれても…。
猛獣?鬼畜?
でも王子を崇拝してるレイには言えないよね、うん。
当たり障りないところでいくと…
「えーと…、あれよ。ほら、王族?」
「馬鹿か、そんなこと当たり前だろうが。そうじゃないだろ。女としてだ」
「うげっ」
露骨に嫌な顔になった私に、レイはますます不機嫌そうになった。
「うげっとはなんだ。オルフェ様に何のご不満がある」
「今のところご不満しかございませんけど」
「お前、女としてどっかおかしいんじゃないか」
「しっ、失礼な!!別に女なら皆が皆王子の虜になるわけじゃないでしょっ」
内心焦りながらもぷいとそっぽを向く。
でもおかしい。
別に焦るところでもないはずだ。
レイは真剣な顔で腕を組みながら私を見つめてきた。
「ミリ。お前は今のオルフェ様の立場をちゃんと知っているのか」
立場…。
立場どころか何をしているのかすらちゃんと知らないって。
「俺は、正直ミリに腹が立っていた。ミリはオルフェ様の築き上げてきたものを全て台無しにする存在だからだ」
「わ、私が?」
「そうだ。でも…」
レイは今度は苦い顔でため息をついた。
頭をかりかりとかくと聞き取れないくらい小さな声をこぼす。
「もっと、ミリが嫌な奴ならよかったのに…」
「え?なに?」
「何でもない…」
ぷいとそっぽをむくとレイはまた黙々とドレスを片付ける続きを始めた。
今気付いたが私の荷物をまとめてくれているようだ。
そっか。
レイとはもうここでお別れなんだ。
この先もう会うことはないのかな。
私はサクラを肩に乗せ、レイに頭を下げた。
「レイ、三日間ありがとう。レイのおかげで何とか乗り切れたよ」
「…」
レイはぴたりと手を止めると何とも言えない顔になった。
「…姫君が軽々しく下の者に頭なんか下げるものじゃないぞ」
「え、だって私は姫じゃないし。それにレイは年下かもしれないけど、私より何でも出来るし知ってるし、確実に人レベルは上の者だよ」
「人レベル…」
レイは難しい顔を作ろうとしたが私と目があうと思わず小さく吹き出していた。
「何の話だ何の。身分の話だろうが」
「私に身分とかあってもどうせ得意なのは帽子作りとさっきの指笛くらいだしなぁ…」
「もういい、やめてくれ」
レイは肩を震わせながらしばらく笑っていた。
あや、レイってばちゃんと笑えばすごい可愛い顔だ。
これは新発見。
そういえばレイは普段どんな姿なんだろう。
気になるけど聞いたところで教えてはくれないか。
私はレイのいれてくれた紅茶を出来るだけゆっくりと堪能しながら、もうすぐ去るこの部屋を見上げていた。
昼過ぎになると女官長が顔を出した。
来た時は心配そうにしていたが、比較的元気な私の顔を見て安堵の笑みを浮かべた。
「イザベラ様、お疲れ様でございました。シュガー・レイから立派に立ち振舞われていたと伺いましたが、さすがオルフェ様の選んだ姫君でございます。貴方様なら必ずきちんとこなせると信じていましたよ」
「あ、いえ…はぁ…」
ちらりと隣を見ると、レイは女官顔でにこにこしながら頷いている。
本当裏表激しいな。
「イザベラ様のお部屋は整っておりますが、どうされますか?もう数日ここにいらっしゃっても構いませんが」
「今すぐにあっちに帰ります!!」
思わず身を乗り出して言うと後ろからすかさずレイに小突かれた。
別にもう姫らしくしなくていいんだからいいじゃないか。
レイは女官長の隣に並ぶと、にっこり笑って優雅に礼をした。
「それではイザベラ様、わたくしはこれで失礼致します。三日間ありがとうございました」
「あ…」
私が何か言う前にレイはさっさと後ろに下がり廊下の向こうへ行ってしまった。
「さあさあ、イザベラ様も黒薔薇の間に戻りましょう」
「黒薔薇の間?」
「あぁ、あの部屋は周りの者にすっかりそう呼ばれているのですよ」
まぁ。
なんて素敵な響き。
何だか一刻も早く戻りたくなってきた。
私はここへ来た時とはうって変わって軽い足取りで後宮を後にした。
見知った廊下に出ると更に歩くペースが速くなる。
だがその時、今まで無理やり意識の外へ追い出していた王子の顔がふと脳裏に浮かんだ。
軽やかだった足がぴたりと止まる。
…何を、足早に行くことがあるのだろう。
私の帰りたい場所はそこじゃないはずなのに。
なぜかは分からないが急激に得体の知れない不安に駆られ、体が全く動かない。
「イザベラ様?」
立ち止まったまま動かなくなった私を、アイシャさんは訝しげに覗き込んできた。
「どうかされましたか?」
「あ…い、いえ…別に…」
のろのろと首を振ってからまた歩き出す。
何だろう。
何が不安なんだろう。
分からない。
自分の気持ちもよくわからないまま黒薔薇の間に到着する。
アイシャさんが扉を開いた向こうには、数日前と全く変わらぬ綺麗に整った黒い部屋があった。
「うわぁ。元に戻ってる…」
「以前姫様が御注文された物と同じものを入れさせましたので」
う、嬉しい!
お気に入りのベッドだってそのままだ。
さっきまで不安に揺れていた心はこの部屋を見た瞬間にすっかりどこかへ行ってしまった。
センターテーブルの隣に置かれている幾つかの箱に気付くとすぐにそれに駆け寄る。
中を開くと注文通りの帽子の素材や飾りが山のように入っていた。
「う、うわぁ!!すごい!!」
嬉しい嬉しい嬉しい!!
もう後宮で頑張った甲斐があったってもんよ。
アイシャさんはいつの間にか熱中している私をそっと残すと、静かに部屋を出て行った。
私は早速広いテーブルに帽子作りに必要な物を全てセットし、この日から数日間ずっと部屋に篭り続けることになった。




