アリス姫のお茶会
翌日。
茶会はアリス姫の部屋の一室で開かれた。
オルフェ王子の側室は半分は様々な国の姫君だ。
そうなるととても一般の茶会とは言えないどこかぴりりとした空気になる。
まず着込むドレスは晩餐会並に皆気合を入れ、笑顔で交わされる会話は教養を披露するものばかり。
ここで文化知識に遅れを取る者はまず出遅れる。
そして他国を尊重する姿勢をとりつつも少しでも粗野に映るものがあればそっと笑いを噛み殺される羽目になる。
いつもなら会話一つ気を揉むところだが、今日ばかりは皆どこか浮ついていた。
理由はもちろん噂の黒姫が姿を現すからだ。
「オルフェ様がお引き立てになられたんですもの。さぞかし魅力のある方なのでしょう」
「あの黒いドレスがきっと王子のお好みだったのですわ」
「まぁそれは盲点でした。わたくしのドレスでは王子に振り向いて頂けないはずです」
「わたくしもですわ」
ころころと鈴を転がした様な笑い声が響く。
上品な話し言葉の内容は殆どが痛烈な皮肉だ。
特に機嫌よくこき下ろしているのはフリンナ姫だ。
昨日見た黒姫に自分が負けるとは到底思えないという自信に満ちている。
主催者であるアリス姫の姿はまだ見えないが、これはいつもの事なので姫たちは特に気にもせずに黒姫の話に夢中になっていた。
さて。
私が乗り込むのはまさにこの恐ろしい空間の中。
颯爽と回れ右をした私の襟首を、レイはがっちりとつかんだ。
「どこへ行かれるのですか、イザベラ様」
にこにことおしとやかに言うがその手は微塵も力を緩めはしない。
私は既に半泣きになった。
「帰る」
「駄目ですよ。ここでイザベラ様が欠席なされば貴方様の評価は地の底まで落ち、二度と浮上することはないでしょう」
「レイぃ…」
すがるように言ってみたが、レイはにこやかな顔を真顔に戻した。
「情けない顔をするな。お前、昨日の時間を無駄にしたら後で覚えておけよ」
激励どころか追い討ちのように言われて私はますます崖っぷちに追い込まれた。
レイは真っ青のまま震える私にため息をこぼすと、声を潜めて言った。
「自分をよく見せようと思うことはない。どう頑張ったってどうせお前はお前だ。いいか、俺の教えた通りにしておけば大きな間違いは起こさないはずだ」
どう頑張ったってどうせお前はお前。
何だかすごく失礼なことを言われた気もしたが、意外にも私を少し落ち着けたのはこの一言だった。
レイは更に何か言おうとしたが、はっと顔を上げると私の一歩後ろに下がり女官らしく頭を下げた。
「これはこれは、黒姫様。こんな所で何をされていらっしゃるのですか?」
入り口で突っ立っていた私の後ろから笑いを含んだ声がかけられる。
振り返れば迫力のある大柄なボディを惜しみなく引き立てるドレスを纏った姫が立っていた。
確かこれはベルク国のシウレ姫。
大きな国ではないが鉱山が豊富で経済に潤いと力がある国だ。
つまり、フリンナ姫に負けぬ一種の権力がある姫だということだ。
「さぁお先に中へどうぞ。皆貴方が来られるのを心待ちにしておりましたわ」
「い、いえ、私は…わたくしは後でいいので…」
しどろもどろ言うとシウレ姫は意地悪な笑みを浮かべた。
いや普通に微笑んだだけかもしれないが少なくとも私にはそう見えた。
「まぁやはり黒姫様は明るい部屋よりこの暗い廊下の方がお好みなのですのね」
シウレ姫の侍女たちがくすくすと笑いだす。
姫は調子をよくしたのか滑らかに続けた。
「このお部屋はどうか壊さないでくださいね。オルフェ王子を虜にした黒魔術とかいう得体の知れないもの、わたくし恐くて仕方がありませんの」
嘲笑いながら恐いとか、よくおっしゃられる。
シウレ姫は言い返せない私を馬鹿にしたように笑うと、先にどうぞと言ったことも忘れたのか当たり前のように先に部屋に入った。
「イザベラ様」
固まっていると後ろからレイが痺れを切らせて軽く背中をつついてきた。
「中へどうぞ」
声は丁寧だが、その顔はとっとと入れと言っている。
私は死刑台に上る気持ちで部屋の中へ足を踏み入れた。
途端に集まる全員の視線。
私の一挙一動を見逃すまいと見つめる目、目、目…。
私はまた一歩も動けなくなった。
何だか息の仕方も分からなくなってきた…。
立ったまま窒息死しかけていると、レイが軽やかに私の前に立った。
「イザベラ様、こちらです」
私には分からないが、レイは多分姫君たちの力関係上不備のない椅子に誘導してくれている。
私はぎこちない足取りでレイの後に続いた。
席に着くと、まだアリス姫がいないにも関わらずお茶会は始まった。
「黒姫様のそのドレス、最高級のシルクですわね。流石ですわ」
「どんな方かと心配しておりましたが、可愛らしい方でわたくし安心しましたわ」
「本当ですわ。その黒い御髪も美しいではありませんか」
姫君たちはせっせと社交辞令のようなお世辞を浴びせかけてきた。
だがそんな見せかけで安心するほど流石に鈍くはない。
私は必死に背筋を伸ばすと昨晩レイに受けた特訓を懸命に思い出した。
褒め言葉にはそつなく礼を言い、控えめな微笑みを絶やさず浮かべ、余計なおべっかは言わずに誰かが何かを褒めているときはただ相槌を打つ。
しばらくはそれで何とかしのいでいたが、フリンナ姫とシウレ姫が話し始めると姫君たちはさっと口を閉ざした。
「ねぇ、黒姫様」
フリンナ姫は薄笑いを浮かべながら聞いてきた。
「オルフェ様は、貴方にもお優しくしてくださる?」
きた。
王子に関する質問。
私はごくりと喉を鳴らすとちらりとレイを見た。
レイはすました顔で控えている。
「わ、わたくし…」
内心気絶しそうなほど心臓が音を立てていたが、私は落ち着いた素振りでフリンナ姫を見た。
「申し訳ありませんがオルフェ様とのことは何もお答え出来ません」
「まぁ…」
フリンナ姫は軽く目を見張っただけだか、シウレ姫ははっきりと眉をひそめた。
他の姫君たちが一斉に息を飲む気配に、私の脇汗は二倍になった。
「それは、何か理由があるのでしょうか?」
シウレ姫の声が僅かに低くなる。
私はレイに言われた通りのことを口にした。
「王子に口止めされているからでございます。わたくしも理由などよく分かりませんが、王子の口ぶりを思うともしかしたらからかわれているのでしょうか…?」
指示通り不安そうに小首を傾げてみせる。
かなりぎこちない動きだったが、頑張れ私。
これだけで三十分も練習したんだから。
シウレ姫は逆に私に聞かれて押し黙った。
ここでそんなことはないわと答えても、そうかもしれないと答えても、それ以上はなんとも会話が続けにくい。
流れる空気が微妙になったところで、それを打ち破るような凜とした声が割って入った。
「皆様、お集まりでしょうか」
姫たちは反射的にさっと全員立ち上がった。
扉から入ってきた人を認めるとそれぞれが優雅に頭をさげる。
その人は、氷のように冷たい美貌で皆の前に立った。
座ったままぽかんとしていたのは私だけだったが、後ろから分からないようにレイに椅子を蹴られて慌てて立ちあがる。
「貴方が黒姫様ですね。お初にお目にかかります。わたくしはニヴタンディ国のアリスと申します」
で、でた!!
今世界で最も力を持つ国の王女様!!
アリス姫はにこりともせずに皆を見回した。
「皆さま、お顔を上げてください。開催しておきながら申し訳ありませんが、わたくし少し気分がすぐれませんの。今日は皆様のご自由にこの場を楽しんでください」
姫たちは口々にアリス姫を労わる言葉がけをしたが、皆どこかほっとした顔をしている。
…やっぱり恐いんだろうな、アリス姫。
フリンナ姫はすぐにアリス姫に近付いた。
「残念ですわアリス様。今日はせっかく黒姫様もお顔を出してくださったのに」
にこやかに言うがアリス姫は鼻であしらった。
「わたくしは別に吊るし上げるために黒姫様をお呼びしたわけではありません。フリンナ様たちも、ほどほどに」
フリンナ姫はむっと顔をしかめたが深く頭を下げた。
アリス姫はシウレ姫にも一瞥をくれるとついと踵を返し本当に部屋を出て行ってしまった。
思わぬ展開に私は呆然とした。
招待状出して開催しておいてこの身勝手さはすごいな。
フリンナ姫はアリス姫が見えなくなるとつかつかと私に近付いてきた。
私はもちろん警戒したが、フリンナ姫はにこやかに話しかけてきた。
「アリス姫は相変わらずですわね。黒姫様、驚かれたでしょう?でも気になさらないでね」
急に親しみを込めてにこにこと話しだす。
私はわけが分からずにただはぁとしか答えられなかった。
フリンナ姫だけでなくシウレ姫もさっきまでとはころりと態度を変えて近寄ってきた。
「大体、アリス姫はいつも何をお考えなのか分からないの。黒姫様も何かお困りになりましたら遠慮せずにわたくしに申してください」
…なに。
なになに、この変わり身は。
もうわけが分からんぞ後宮。
目を白黒させているとレイが一歩前に出て一礼した。
「申し訳ありませんが、イザベラ姫様もこれにて失礼させていただきます」
シウレ姫が大げさに目を大きくした。
「まぁ!お茶会はこれからが本番ですのに…」
「今日は皆様にきちんとご挨拶できましたし、何よりこの後オルフェ様に言いつけられていたご用事がございますので。さぁイザベラ様」
レイは右手で丁寧に扉を差した。
これって…退室していいの!?
走り出したい衝動に駆られながらも、私はできるだけゆっくりと立ち上がった。
姫たちに丁寧にわびをいれてから背を向ける。
…やった…。
終わった…。
お、終わったぁ!!
急に軽くなった足取りで廊下に出る。
レイは持参した手土産をアリス姫の席に置くと自分も丁寧に姫君たちに礼をして部屋を出てきた。
「イザベラ様、まだここはお部屋ではありませんよ」
私の浮かれた足取りに釘をさしながらもレイは少し笑みを見せた。
隣に並ぶと抑えた声で囁いてきた。
「まあまあだったな」
「ご、合格ライン?」
「突っ込みたいところは山とあったが、とりあえずはよくやったんじゃないか。アリス姫が不参加にしてくれて助かったな。あれで退室しやすくなった」
アリス姫か。
とても綺麗な人だったけど、雪の女王みたいだったな。
何にしてももうどの姫にも会いたくない。
「ねぇレイ。明日はもう引きこもっててもいいんでしょう?」
「今日を無事に乗り切ったからな。別に構わない。姫君たちから誘いがきたら適当に俺が断わっておいてやるよ」
「あ、ありがとう!!」
私は嬉しすぎて思わずレイを抱きしめていた。
「お、おいミリ…」
「レイって恐くて乱暴で酷い奴だと思っていたけど、結構いい子だね!」
「喧嘩売ってるのか?」
「まっさかぁ!」
レイは無理やり私を引き剥がすといつの間にか辿り着いていた部屋の扉を開いた。
「さっさと入れ。俺は女官長に報告義務がある。ミリは自分の部屋で少し休んでろ」
「うん!!」
言われるがままに寝台のある部屋へ真っしぐらに向かう。
一人になった私は思い切り伸びをして声を上げた。
「終わったーーぁ!!」
無性に何もかも脱ぎ捨てたくなり靴を放り投げドレスを脱ぐ。
きつく締め上げられていたコルセットを解除し、自由になった私はサクラの籠を開いた。
「おいで、おいでサクラ」
呼びかけるとサクラは嬉しそうに飛びついてきた。
「あんもう、かわいい奴め。よしよしよしよし」
あぁ、なんて開放感!!
こんなに嬉しいのはここ最近で初めてだ。
後から入ってきたレイに気を抜きすぎだとしこたま怒られることにはなったが、私はレースのブラウスと下着一枚でしばらくサクラときゃはきゃは遊んでいた。




