レイの即席姫特訓
後宮で引きこもったところで何をすればいいんだろう…とかいう、私のしょうもない心配は不幸なことに杞憂に終わった。
「歩き方がなってないっ。おどおどするのはやめろ。相槌はもっとゆっくりするように。そんなことで明日のサロンをやり過ごせると思うのか」
びしばしと厳しい指導の声が響き渡る。
もうこれはかれこれ三時間も続いていた。
始まりは荷物整理を終えたレイが寝台に転がっている私に問いかけた一言だ。
「イザベラ様、明日の手土産は何を手配いたしましょう」
サクラとごろごろしていた私は寝ぼけ半分で顔を上げた。
「…手土産。なんの…?」
レイは明らかにぴきっときた顔でつかつかと詰め寄ってきた。
おしとやかさをかなぐり捨てるとまた少年の顔に早変わりした。
「アリス姫のサロンに参加するんだろ?お前まさか手ぶらで行く気じゃないだろうな」
「…。考えたくない…」
「イザベラ!!」
「イザベラじゃないもん」
そうだ。
私はイザベラ姫なんかじゃない。
後宮が嫌すぎてうだうだしていると、突然背中にどさりと重みがのしかかった。
「な、何!?」
「お前、そんな体たらくで明日の茶会に行く気か?」
レイはなんとごろごろする私の上に馬乗りになっていた。
端から見たら姫の上に女官が乗り上げているというとんでもない光景だ。
「降りてよレイ!!重いぃ!!」
「お前がどこの誰かなんて俺はどうでもいいけどな、お前は今どこからどう見てもイザベラなんだ。その意味が分かるか」
「い、意味!?」
どうやっているのかは分からないが私がどれだけ暴れても上に乗るレイはビクともしない。
息苦しくなりもがいていた手をパタリと落とすと、急に体が軽くなった。
と、思ったらすぐに肩を掴まれ仰向けにされた。
レイはぎしりとベッドを軋ませると目を細めて顔を寄せてきた。
「お前の評価が最悪だとオルフェ様の評価にも何かと影響が出る」
「王子の…?」
「そうだ。そんなことをしたら俺がお前を殺すからな」
なっ…なんて過激な…。
自分より小さい女装した少年に凄まれただけなのに、私の喉は勝手にごくりと鳴った。
乱暴な扱いに腹は立ったが、レイの言うことはたぶん間違いではない。
というか、言われるまでそんなこと考えもしなかった。
レイは反論のできない私に呆れて立ち上がると、その辺を自由に飛んでいたサクラを顎でくいとしゃくった。
「立てイザベラ。今から俺が明日のサロンをこなすための即席レッスンをつけてやる。嫌だと言うならあのトカゲを丸焼きにするからな」
「さ、サクラは関係ないじゃない!!」
「うるさい。さっさとこっちへ来い。俺はオルフェ様のように甘くはない」
うぅ、レイもなんか恐いよ。
王子ぃ早く帰ってきて…。
「遅いぞイザベラ!!」
「うは、はいっ!!」
…
…こうして三時間もの間、私は休みなくスパルタ特訓をされていた。
レイはふと時計を見上げるとぜぃぜぃ呼吸を乱す私を見下ろした。
「そろそろディナーが運ばれてくるな。休憩を挟んだらまた一からおさらいだ。いいな」
「へ…ふぇぇ!?まだやるのぉ…?」
「当たり前だ。本当なら今から食べ方のマナーも一つずつチェックしてやりたいくらいだ」
「も、もぅ無理ぃ…」
へろへろと床に座り込むと作り笑いをしすぎた頬を揉みほぐす。
何故に私を嫌いな人たちにむけて微笑みを浮かべる練習なんてしなければならないんだ…。
レイは冷たく腕を組んで私を見下ろしていたが、扉がノックされる音が聞こえると途端に慎ましやかな女官に戻った。
「失礼致します。イザベラ様の御夕食でございます」
ご馳走を手に持った女官たちがぞろぞろと部屋に入ってくる。
レイはにこやかにそれに対応していた。
私は慌てて立ち上がると部屋の隅で大人しく突っ立っていた。
そんな私に、女官たちは意味深な視線を投げかけくすくすと小さく笑っている。
とてもとても感じが悪かったが、それを遮るようにレイが私の前に立つと優雅な礼をした。
「ご苦労様でございます。済んだ食器はわたくしが下げますのでどうぞお気になさらずに」
その立ち振る舞いも物言いも完璧だ。
女官たちはつられたように軽く頭を下げるとそのまま部屋を出て行った。
また二人になるとレイは厳しい目で振り返った。
「…お前、くやしくないのか?」
「…」
「見ろ」
レイは運ばれたばかりの料理の一部に指を突っ込んだ。
レイが温かなスープの中から引っ張り出した物を見て、私は悲鳴を上げた。
「れ、レイ!!それって…!!」
「カエルの死体だ」
「か、カエル!!!」
私は瞬時に真っ青になった。
「ししし、…食用?」
「んなわけあるか。わざわざ見つけやすい物を放り込んだあたり、ただの嫌がらせだ」
「…ですよね」
「お前完全に姫君たちになめられてるぞ」
なめられてる。
いや逆にただの帽子屋だった一般庶民の私が教養高い姫君たちに対等でいられるはずがないじゃないか。
一人ぐちぐちと言っていると、レイはスープ味になったカエルをサクラに放り投げた。
サクラは大きく口を開けるとひと飲みでそれを食べてしまった。
「さ、サクラぁ!!あんたなんてもの食べて…!!ちょっとレイ!!変なものあげないでよ!!」
ぎゃあぎゃあと叫んでも、レイはどこ吹く風だ。
「お前このトカゲを永遠飼うつもりか?」
「え…いや、そうじゃないけど…」
「ならあまり過保護に構うな。自然に返しても生きていく力を失うぞ」
「で、でも…」
言い返したかったが、レイの言うことは一々正論だ。
でもでも、カエルの丸呑みはやっぱり覚えて欲しくない…。
しゅんとしょぼくれていると、レイは食卓の椅子を引いて私を呼んだ。
「イザベラ、さっさと食え」
「…」
そう言われても他に何か入っていたらと思うととても手が出ない。
レイは私の思いに気付いたのか、一度だけため息をこぼすと先にナイフとフォークを手に取った。
「分かった。俺が先に確かめてやるから食べたいものを言え」
「え…」
「こんなこと、姫相手に女官がしていいことではないけどな。早くしろ」
促されてそろそろと席に着く。
目の前の豪華絢爛な食事の中から、私は端に置いてあるパンを指差した。
「こ、これでいい…」
「あとは?」
「…食べたくない」
レイは一度眉を寄せたが黙々とパンを薄くスライスし始めた。
それから見るからに手を加えられなさそうな薄いハムや野菜を選ぶとパンに挟んで私に渡した。
「これなら絶対食べても大丈夫だろ」
「あ…ありがとう…」
わざわざサンドイッチにしてくれたのか。
何だかこれで食べないとか言ったらまた怒られそうだな。
私はパンの端から少しずつかじった。
レイは隣の椅子を引くと大人しく食べ始めた私を見ながら座った。
テーブルに頬杖をつくとまじまじと見つめてくる。
そんなに見られたら何だか食べにくいじゃないか。
「な、何?」
「オルフェ様はお前が黒魔術の継承者だから興味を持たれているだけだ」
「…」
「それから、イザベラ姫が表向きは正式な王子の側室だから無下に扱えないだけだ」
「わ、分かってるけど…」
僅かにちくりとした胸を無視していると、レイは不機嫌そうに睨んできた。
「そのはずなのに、どうして…」
「え…?」
よく分からなくてレイを見つめ返すと、ぷいと視線をそらされる。
レイは立ち上がると黙々と香り高い紅茶を入れ始めた。
そのしっくりくる姿に私はまた首を傾げた。
「レイって、女官姿がやたらサマになってるけど…今回が初めてじゃないの?」
「その質問に答える義務はない」
ぴしゃりと跳ね除けられて二の句が継げない。
でも見れば見るほど不思議な少年だ。
王子に物凄く傾倒していることは分かるけれど、どう育てばこの歳でこんなふうになるんだろ。
「食べ終わったのなら特訓の続き始めるぞ。作法の他に後宮の姫君のことも少しは覚えてもらう。敵を知らずして敵地に乗り込むほど愚かなことはないからな」
「…ま、まだ食べてます」
かなり喉通りの悪い思いで、私はとりあえずなんとかサンドイッチだけ完食した。
最後にレイの入れてくれた紅茶を一口飲むと、その美味しさに驚いた。
「何これ…。すごく美味しい…」
「これはオルフェ様お気に入りのヒス国の紅茶だ。正しく淹れてやると香りが引き立って更に美味しくなる」
「淹れ方でこんなに変わるんだ。レイって何でも出来るね」
レイは少しだけうつむくと小さな声を落とした。
「…出来るように、して頂いた」
オルフェ王子に。
レイは口にはしなかったけれど、私にははっきりそう聞こえた気がした。
そうか。
詳しい事情は知らないけど、レイはきっと相当な恩を王子に感じているんだろうな。
王子に恥をかかせるわけにはいかない。
それは私だってそう思う。
それならば、少しくらい頑張ってみようかな。
「…レイ」
「なんだ」
「鬼特訓の続き、お願いします」
レイは急にやる気を見せた私に目を見張った。
「急にどうしたんだイザベラ」
「あ、そのイザベラっていうのも変えて欲しいな。私は…えと、ミリ。ミリって呼んで欲しい」
「…お前と親しくなる気はない」
「でもイザベラって呼ばれても何だかしっくりこなくて。それに王子がミリって私を呼び始めたんだけど」
レイはすぐに頷いた。
「分かった。ミリ、ここを片付けたらすぐに作法のおさらいから始めるからな」
…こりゃ本当にレイは王子を崇拝してるな。
さて、あと数時間で何が出来るかは分からないけれどやるしかない。
私はサクラの餌だけお皿に取り分けると、なんとかお姫様らしく見える作法を習得するために気合を入れた。




