9話 特待者という存在
「「「「…………」」」」
ざわめきが止み一転、沈黙が支配する。
広場にいる全ての視線を独占するのは、紅き狼。今までこの勇ましい姿を幾度となく見てきた蓮也も、紅狼から目を離そうとはしない。いや、離すことができない。
ただ、どういった存在なのかは知らなかった。夕真に聞いても、どんな種類の狼なのか、クラスはなんなのか。一切教えてもらっていないのだ。
紅狼は集中する視線をものともせず、空を見上げていた面をゆっくりと下げると、集まっていた生徒達を逆に見返した。
紅の毛色とは違う、琥珀色の瞳。その眼光が、広場に集まっている一般生を射抜く。
目の前の紅狼は、決して巨体というわけではない。体長は間違いなく人間を超える大きさだが、その顔の位置は、蓮也の頭の少し上。その程度の大きさの生物なら、いくらでも存在する。
だがしかし、この威圧感は、この存在感は、そこらのものとは一線を画していると、間違いなく断言できた。
不意に、紅狼が視線を外し、その傍らに立っていた夕真へと振り返る。
瞬間、どさり、という音が蓮也の背後から響いた。
「お、おい、大丈夫か!?」
「……あぁ、悪い。……しかし、すげぇな。あれが特待者のラール……」
ちらっと振り返る。
蓮也の後ろにいた、最前列の生徒。視線が外されたことに気が緩み、体勢を崩してしまったようだ。
「宮月め。少しやりすぎだ」
蓮也のすぐ隣で、苦笑を浮かべている佐々木。その言葉を聞くと同時に、蓮也は再び紅狼へと視線を向ける。
気づけば紅狼が、蓮也のいる方向、つまりは生徒達の群れへとゆっくり近づいてきていた。
じりじりと後ずさる生徒達。動かないのは、最前列にいる、蓮也、舞、佐々木の三人のみ。
ふと、紅狼がその歩みを止めた。そこは、蓮也の眼前、目と鼻の先。
紅狼を見上げる蓮也と、それを見下す紅狼の視線が交差する。しかしその眼光は、さきほどの威圧感を伴ったそれとは違い、どこか暖かい光を宿しているように蓮也は感じた。
「……っ!」
背後にいた誰かの、声にならない叫びが聞こえた。
蓮也へと顔を近づけていく紅狼。喰われる、と思ったのだろうか。だが、それは違う。
やがて、暖かいものが蓮也の頬に触れた。視界いっぱいに映る真紅は、紅狼のふさふさとした毛だ。これは、いつも通りの蓮也と紅狼のスキンシップ。
ラールは、契約している者以外に懐くことはあまりない、と言われている。が、この紅狼。なぜだか蓮也には懐く。
最初に会った時は顔をベロベロと舐められ、餌と勘違いしているのでは、と思ったが夕真曰く、親愛の印とのこと。夕真自身も何度か体験しているらしい。
「伊塚、宮月。そろそろいいか? 時間も限られているのでな」
「あっ! ……すみません」
視線を集めているのに気づくと、蓮也は慌てて紅狼から手を離して佐々木に頭を下げた。近づいてきていた夕真も軽く頭を下げると、紅狼へとフレットを向ける。
チカッと夕真のフレットが光ったかと思うと、紅狼の体躯が一瞬にして掻き消えた。
「では、これから中央棟へ移動する。私の後についてこい」
佐々木は短く告げると、一般棟の脇を通り過ぎるように広場から出ていった。
しばらくの間、蓮也に好奇のような視線が集まっていたが、生徒達は思い出したように、佐々木の後ろを追っていく。
「僕らは一番最後に行こうか」
夕真の提案に頷いた蓮也と舞は、三人で最後尾に並ぶ。そして列にそって広場を後にするのだった。