25話 盲目の射手
「…………」
おかしい。予期していたはずの衝撃がこない。
不審に思った蓮也は、閉じていた眼をそろそろと開いた。
目の前にあったのは――掻き消されるように霧散していく、黒い影。
「……は?」
思わず、呆ける。いったい、自分の見ていない間になにが起こったというのか。
頭が若干混乱する。
「――そういえば」
ふと、思い出した。被弾を覚悟した直後、なにやら戦場に似つかわしくない音が聞こえたのを。そしてそれは、以前どこかで聞いたことのある気がする音だったことを。
『ほう……』
思考に耽っていた蓮也の脳を、シークファートの不思議な響きを含んだ声が揺さぶった。
声につられて視線を移動させると、そこには、首を蓮也の後方に向けているシークファートの姿。
何事か、と蓮也も体を回し、自身の背後を見た。
そこにあったのは――。
「……琴葉?」
中央棟屋上にある、人影。
風にたなびく碧色の髪。その頭にちょこんと乗っている、幼竜。遠目から見ても断言できる。それはまさしく、中央棟地下にいるはずの、藤條琴葉であった。
だが、蓮也の興味を引いたのは、なぜ琴葉がそこにいるのか、ではなかった。彼女の手にあるもの、そして、その構えにあった。
「……あれは?」
『弓、だな。人間にしちゃ、やるじゃねぇの』
蓮也の呟きに、シークファートの楽しげな声が重なる。
だが、蓮也は疑問を拭えなかった。それもそのはず。おかしなことに琴葉は、矢筒も持ってなければ矢を番えているわけでもないのだ。
『しかも、曲射で一発ときた! 中々の芸当だな!』
曲射。上方へと打ち出した矢を、落下させて対象へと当てる技術。
シークファートの言う通りなら、先程の不可思議な現象を起こしたのは琴葉、ということになる。
「……ボス……こっち、くる」
プルルッ、とフレットが振動し、今まさに蓮也の頭に浮かんでいた人物、藤條琴葉の顔がモニターに映し出された。
『む? お呼びのようだぜ?』
「…………」
……どうしたものやら。
地上では、まだ舞が動けずにいる。しかし、琴葉のことも気になるのも事実。
だがまあ、周囲には暴走体の姿もなく、上空からの第二射の気配もない。
少しなら、と蓮也は中央棟屋上目指して飛翔した。
「どうしたの、琴葉?」
シークファートの背の上から、屋上に立つ琴葉に問いかける。
じっと微動だにせず、顔を蓮也へと向けていた琴葉だったが、ややあって口を開いた。
「……乗せて」
「へ?」
思わず蓮也は、間抜けな声で聞き返した。
なにに、というのは考えるまでもない。この黒竜――シークファートにだろう。
「……私も戦う……乗せて」
「戦うって……」
『オレは構わないぜ?』
逡巡していた蓮也に、シークファートが声をかける。その即答ぶりに、蓮也は思わずまじまじとシークファートを見た。
『気に入った! そいつのこともそうだが、そいつの武器も。鏑矢たぁ粋な武器使ってるじゃねェか! こりゃ、オレも血が滾るってもんだぜ」
「……鏑矢?」
確か、聞いたことがある。
だが、鏑矢とはあくまでも戦の始まりを告げるために戦場に放たれる矢……だったはずだ。
しかも、先程の音がそれの発する音であるならば、かなりの大きさのはずだ。ほとんどメリットはなく、むしろデメリットしかないのでは?
と、思案する蓮也をよそに、琴葉が屋上の柵を飛び越え、シークファートの背へとよじ登ってくる。
「……行く」
「……だけど――」
なぜだか気合い満々の琴葉。しかし、蓮也は躊躇する。
「空……行く」
『諦めろ。この娘っ子は、やる気満々だぜ』
それでも尚、頑なに降りようとしない琴葉。さらには、シークファートまでそれに同調しはじめる始末。
……こうなれば、自分が言い聞かせるしかない。
そう思って、琴葉の顔を覗き込む蓮也だったが――。
「大丈夫。絶対に役に立てる」
そこにあったのは、自信に満ちた顔だった。
不安がないわけがない。危険が伴い、もしかすると大怪我どころではすまないかもしれない。
だというのに、彼女、藤篠琴葉は笑顔だった。
蓮也には、その顔がとても眩しいものに見えて。
――気がつけば蓮也は、頷いていた。




