第3話
王都にある騎士団の女子寮。自室の姿見の前に立ったサラは、鏡に映る自分の姿を見て絶望的なため息をついた。
「……全然、清楚じゃない……」
彼女が身に纏っているのは、この間の非番の日に街で見かけて、思わず一目惚れしてしまった藤色のワンピースだ。
ひらひらとした控えめな装飾と、上品で可憐なデザイン。これを着れば、いつも子供扱いしてくるカイルも、少しは私のことを「女の子」として見てくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、今日の祝勝会のためにこっそり買っておいたものだった。
しかし――現実は残酷だった。
ワンピース自体は間違いなく清楚なのだ。問題は、サラの予想以上に発育してしまった身体のほうにある。
胸元の布地は、豊かな双眸に押し上げられてはち切れんばかりにパツパツに引っ張られ、本来ふんわりと広がるはずの胸周りのシルエットが完全に崩壊している。さらに、その反動できゅっと締まったウエストの細さと、そこから繋がる女性らしい腰の丸みが、やけに生々しく強調されてしまっていた。
清楚どころか、ひどくいやらしく、過剰な色気を振り撒いているようにしか見えない。
「なんで……私が着ると、こんなに下品になっちゃうんだろう……」
しょんぼりと肩を落とし、サラはまた一つ深いため息をつく。
これではカイルをドキッとさせる前に、酒場で他の酔っ払いたちから変な目を向けられてしまうに決まっている。それに、カイルに「お前、なんか変だぞ」とデリカシーのないことを言われる未来も容易に想像できた。
サラは泣く泣く藤色のワンピースを脱ぎ捨てると、ベッドにふすっと顔を埋めた。
結局、悩み抜いた末にサラが選んだのは、いつも通りのゆったりとしたシルエットのチュニックブラウスと、動きやすさ重視のパンツスタイルだった。
これなら、さらしでキツく抑え込んだ胸の膨らみも、腰のラインも、服のゆとりにすっぽりと隠すことができる。色気もへったくれもない、ただの「カイルの幼なじみ」の格好だ。
***
賑やかな酒場『黄金の麦穂亭』の喧騒の中で、サラはこっそりと胸をなでおろしていた。 昼間の自室での葛藤が嘘のように、今はゆったりとしたチュニックブラウスに身を包み、カイルの隣の席を確保している。これなら、どんなに動いても胸元がはち切れる心配はないし、腰のラインが出ることもない。
「サラ、顔色が悪いぞ? 無理して来なくてもよかったのに」
カイルが、心配そうにジョッキを片手に覗き込んできた。
「大丈夫だよ、ちょっと寝不足なだけ。……カイル、飲みすぎ」
「あはは、エースの特権ってやつだろ?」
ルアが横から茶化し、カイルは苦笑いしながらも楽しそうにジョッキを傾けている。
(……うん、これでいい。カイルは私の隣にいて、笑ってくれてる)
藤色のワンピースを選ばなくて、本当によかった。 変に女アピールをして気まずくなるより、こうしてこれまで通りの「幼なじみのサラ」として彼の隣にいる方が、ずっと幸せだ。サラは自分の選択に満足し、カイルのグラスへお酌をしようと手を伸ばした。
――その時だった。
「おっとォ、エース殿! 悪いなッ!」
背後の席で盛り上がっていた酔っ払いの騎士が立ち上がった拍子に、大きくよろめいた。その強靭な体が、サラの背中にドスンとぶつかる。
「きゃっ!」
サラの手元が狂った。 なみなみと注がれていた冷たいエールの入ったグラスが宙を舞い、中身のほぼすべてが、サラの胸元へと一直線に降り注いだ。
「つ、冷たっ……!」
氷水のようなエールを浴び、サラは思わず短く悲鳴を上げ、立ち上がった。 薄手のチュニックブラウスは、瞬く間に琥珀色の液体を吸い込み、ぐっしょりと濡れそぼる。
「おい、大丈夫かサラ! どこもぶつけてないか?」
カイルが瞬時に立ち上がり、サラの肩を支える。エースらしい、とっさの判断力だった。
だが、彼の手は、サラの肩に触れたまま硬直した。
(あ……)
濡れたブラウスは、残酷なまでにサラの体に張り付いていた。 ゆったりとしたシルエットは完全に消失し、濡れた布地は、その下にあるものを鮮明に描き出していた。
さらしできつく抑え込んでいるはずの胸は、濡れたことでかえってその圧倒的なボリュームと存在感を、カイルの目の前で露わにしていた。さらしの段差さえも、その豊満な膨らみを強調するアクセサリーのようになっている。 さらに、濡れた布地が薄くなり、下着のレースの質感まで、わずかに透けて見えている気がした。
「……え?」
カイルの声が、上ずった。 いつもは見上げることしか知らなかったサラの顔。だが今は、彼の視線は、彼女の濡れた胸元に完全に釘付けになっていた。
そこにあるのは、彼がこれまで一度も意識したことのない、強烈な「女」の体だった。
(嘘……バレちゃった……?)
サラの顔が、火が出るほど赤くなる。 隠し通してきたコンプレックスが、最も見られたくない相手に、最も恥ずかしい形で晒されてしまった。 彼女は両手で濡れた胸元を隠そうとしたが、濡れた布地は手の形に合わせてさらに体に張り付き、かえって色気を際立たせる結果になった。
酒場の喧騒が、二人の周りだけ完全に消え失せたような、永い永い沈黙。
カイルは呆然と、顔を真っ赤にして、サラの胸元と、彼女の顔を交互に見つめていた。その瞳には、かつて見たことのない、戸惑いと、動揺と、そして熱い何かが混じり合っている。
「サラ、お前……その……」
カイルの声は掠れ、最後まで言葉になりそうになかった。
「……バカイルッ!」
サラは涙目になりながら叫び、両手で顔を覆って、そのまま酒場の奥へと走り去ってしまった。
その背中を見送るカイルは、硬直したまま、自分の手を見つめていた。 彼女を支えた、その手に残る、わずかな熱と柔らかさの記憶。 彼はまだ、自分が今何を目撃したのか、理解が追いついていなかった。だが、一つだけ確かなことは、彼の中で何かが決定的、かつ不可逆的に変わってしまったということだった。




