第56話 禍々しいモノ(クロ視点 )
「こ、これは……!?」
『結界だ……!それもかなり強力だぞ……!』
すっかり変わってしまったジェス坊との再会で多少ショックは受けたが、逆に冷静になってフッきる事が出来た気もした。精霊が気まぐれなように人間も変わる。ジェス坊は変わってしまったんだと、そう思えたからだ。
油断していたつもりはない。ここは敵陣だ。なんとしてもアオを探し出してフィレンツェアお嬢ちゃんを安心させてやりたいと、気持ちを新たにして怪しい男に警戒しつつ促された部屋の中へと足を踏み入れた瞬間の出来事だったのだ。
その中は結界に包まれた特殊な空間になっていた。辺りは白い靄のせいで何も見えなくなっていて、嫌な気配が全身に絡み付いてきて悪寒が止まらなかった。
こいつはヤバいやつだ!
慌てて視線を動かすと、フィレンツェアお嬢ちゃんの姿をしたブリュード公爵も同じように感じたのか顔色を悪くしている。この状況にポンコが耐えられるのかも心配だった。
今のところは変身が解ける様子はないが、ポンコの魔法は珍しいが決して強力ではないらしい。強い力に干渉されたらどうなるかわからないと言っていた。……ならばこの結界は精霊魔法に干渉するモノではないと言うことだろうか?しかしホッとしたのも束の間、すぐに事態は深刻化した。
「……気持ち悪い」
『くっ……どうなってやがるんだ』
足元がグラグラと常に揺れている気がする。暑いのか寒いのかもわからない。酷い船酔いのような感覚に陥ってしまっていた。それはまるで、全ての絵の具をマーブル状態にしてぶちまけたかのようなドロリとした気持ち悪さだ。精霊の俺様ですらこれなら、人間には耐え難いものだろう。
『……なんなんだ、この結界は!《《色んなのが》》混ざってやがる……!』
「クロくん、これは────」
そういえば、と。一緒に中に入ってきたはずのあの男が見当たらないと気付いた時にはすでに遅かったのだ。
『ツカマエタ』
脳内にそんな声が響いたと思った次の瞬間、身動きが取れなくなっていた。体には青々とした蔦が巻き付いていてギチギチと締め上げてきて、首や頭も固定されてしまった。まるで巨大な掌に握り締められているかのような苦しさだ。鬣の中に隠れているポンコも苦しそうだ。すぐに体を精霊化させて逃げようとしたがそれも出来ない。爪も牙も効かない。こんな事は初めてだった。
ほんの一瞬だ。警戒していたはずなのに、瞬きする間もなく完全に捕らえられてしまったのだ。それだけ力の差があるということか。もしかしたらとんでもない相手なのではないかと、本能が警告音を鳴らしている。
そして徐々に靄が薄れていき、目の前にとんでもないモノが存在していたことを知ってしまったのだ。
それは、禍々しい姿をした大きな樹木だった。
明らかに地下の空間よりもはるかに大きいソレは植物とは思えない威圧感を放っている。この部屋に入るまでこんなモノよ存在なんて微塵も感じなかった。これ程の気配を完全に隠しておけるなんてこの結界の威力は想像以上だ。こんな、恐ろしく酷いモノを────!
『……くっそぉぉぉ!!なんなんだコレは?!どうしたらこんなひでぇ事が出来やがる?!』
怒りで体を捩るが蔦の締め付けはキツくなる一方だった。それでも目の前の惨状に悲鳴のような声を上げずにはいられない。
「……アオくん」
ブリュード公爵の悲痛な呟きと共に《《ソレ》》を見る。
その大樹は、いくつもの枝が集まって成り立っているようだった。複雑に絡み合ったその枝の先ひとつひとつには実が生るかのようにキラリと光る大きな宝石がぶら下がっていて、その宝石の中には見覚えのある姿が見えたのである。
眠っている青い精霊の姿が────。
もちろんアオだけじゃない。数えれない程の精霊たちが宝石の中に閉じ込められ眠っていた。そしてその宝石は定期的に輝きを増し、その度に精霊たちは眠りながら苦痛に顔を歪めているのだ。
「この大樹が力を吸い取っているんだ……。まさかこれが賢者の力なのか」
『あの時、俺様を捕まえようとしたあの気配だ!ちくしょう!いくら精霊だってこんな事をされてたら死んじまう!精霊が滅んだら世界だってどうなるかわからねぇんたぞ?!』
「世界は滅んだりしませんよ。ただ、生まれ変わるんです」
大樹の根元から声がしたと思ったら、いつの間にかさっきの男がそこにいた。
「……あなた、私をどうする気なる?私は守護精霊がもらえるって言うから付いてきたのよ」
ポンコの限界に焦りを感じながらなんとか打ち合わせ通りの台詞を口にすると、男は「あなたは幸運なんです」と言った。
「我々の神があなたを求めているんです。どうやらあなたは特別な“加護無し”らしい……。我々は感謝しているのですよ。あなたのおかげで願いが叶うのだから」
「願い?なぜこんな事を……」
「世界を作り変えるんです。だって今の世界はおかしいと思いませんか?平民でもほとんどが守護精霊を持っている。精霊の素晴らしい力は一握りの人間だけが独占すればいいんです。それこそ《《選ばれた》》人間だけが精霊魔法を使い、それ以外の人間は加護無しとして惨めに生きればいい。だから愚かな人間たちから《《精霊を取り戻した》》んですよ。そうすれば我々はこの世界の支配者となれる!平民なんてすぐに増えるのだから、どんどん加護無しにして奴隷にすれば人間も精霊も《《資源》》は底無しだ。そして余った精霊からは力を貰って新しい魔法を使い放題……これで全ての国が我々に平伏するのです。やっと世界をひとつに出来る!これでガイスト国も俺の物だ。後はお前を引き渡せば、俺の願いが叶う……!さぁ、賢者よ!」
そう言って男が手を上に掲げた途端、男の容貌が変化したのだ。髪が真っ白なミルク色になり、顔つきも変わった。
「……その白い髪は、アレスター国の王族か」
「ああ、そうだよ。俺は第一王子さ。君の国では愚かな弟が世話になっているようだね。俺はね、全ての国を手中に納めたいんだ。でも上手くいかなくて……そんな時に俺の目の前に賢者の本が現れた。その本が運命を変えてくれた。フィレンツェアを差し出せば俺の願いを叶えてくれると……最高の協力者に出会った俺はもはや無敵だ!せっかくだから、真実を教えてやろう……賢者の真実をね」
浮かれているらしくペラペラと語り出した男だったが、その男の口から出た言葉に驚くしかない。精霊すらも知らない、賢者と精霊の関係を。
それは、とても残酷な真実だった。
精霊は気まぐれだ。それは今も昔も変わらない。それを怖がった賢者は、自分の守護精霊が自分の元を去らないようにする方法を考えたらしい。
それは、精霊との間に子供を作る事だった。精霊と人間が婚姻出来たことも驚いたが、力の強い精霊ならば人間の姿になる事が出来るし子供を作ることも可能だとわかった初めての事例だったそうだ。
だが、賢者はそこまでして生まれた我が子よりも妻にした精霊に夢中だった。そして最終的に賢者はその守護精霊を食べたと言う。どうしてもひとつになりたかったのか、すでに狂ってしまっていたのかはわからない。そして呪われた。精霊の思念と言うべきモノを“賢者の本”に閉じ込めたらしい。そして、興味の無かった我が子はいつの間にどこかへ消えてしまっていたのだとか。
しかし精霊の方もおとなしくしているわけではない。本に込められた怨念は我が子を誰かに奪われたと勘違いした。なぜかはわからないが、その怨念は強い魂を持つ人間を手に入れれば自分の子供を取り戻すことが出来ると信じていると。
その狂った怨念が、フィレンツェアお嬢ちゃんに目をつけてしまったのだ。
守護精霊を食べたおかげで精霊魔法を使えるようになったそうだが、その力が暴走して自身で書き上げた賢者の本に取り込まれたのだとか。だから、精霊を落ち着かせる為にフィレンツェアお嬢ちゃんを欲していると。
『精霊を食べただと……そいつは、本当に人間なのか?』
「どちらでもいいことだ。さぁ、おしゃべりの時間は終わりにしよう。フィレンツェアを賢者に捧げたら、お前も大樹の生贄にして他の精霊たちと同じように永遠の眠りにつかせてやる」
男の手が向かってくると、鬣の中でポンコがブルリと震えた。もうとっくに限界なのだ……そして目の前にいるフィレンツェアお嬢ちゃんの姿が────ぐにゃりと歪んでしまった。
「なっ……フィレンツェアじゃないだと?!」
その動揺は男だけではなかった。たぶん賢者とやらも動揺したのだろう。体を締め上げる蔦が少し緩んだ。精霊を食べるような化け物すらも完全に騙していたのだからポンコを褒めてやらないとな!
『燃えろぉぉお!!』
この隙を逃すはずがない。蔦が緩んだ事により力が使えるようになった。最大限にまで力を込めた俺様の炎で全て燃やしてやろうじゃねぇか!
蔦が怯んだ。そう感じた瞬間────天井が……いや、空が光った。
「ボクが来るまでよく耐えたね!皆さまお待ちかねのボクだよ☆」
「ギリギリ間に合ったでござるなぁ」
「ちょっとぉ!展開が早過ぎてわけわかんないんだけどぉ?!」
『わたくしだって頭がパニックなんだわよぉう!』
「もう、こうなったらもう何が出てきても驚きませんよ……。あれが神様とか世も末だ」
『そう言えば、神様ってこんな感じでございましたわね』
「お前たち、ソッリエーヴォの魔法で体を包んで速度を落としてるだけなんだから暴れるんじゃない!」
「……アオ」
そして、うるさいくらいに騒がしい数人の人影が空から落ちてきたのだ。その中には、蜂蜜色の長い髪を靡かすひとりの少女の姿もあった。
その少女は手からは白く輝く剣が伸びていて、落下しながらその剣はぐんぐんと大きさを増していった。それこそ、禍々しい大樹を真っ二つに出来るくらいに────。
「アオ!今、助けるから……!!」
フィレンツェアお嬢ちゃんの体からは強い輝きが放たれている。
とてつもない力を感じた。あの剣からも、フィレンツェアお嬢ちゃん自身からもだ。だがあの力は精霊魔法ではない。フィレンツェアお嬢ちゃんの中にある魂の力だと感じたのだ。確かに人間には魂の強さが存在する。だが、それを力として使えるかと言えば否のはずなのだ。
だがフィレンツェアお嬢ちゃんのその姿は、例えるならば戦女神かのような神々しさが感じられた。それは精霊にも人間にも真似出来ない、闇を一瞬で浄化する輝きだ。
そしてその戦女神は、俺様の目の前で巨大な剣を力いっぱいに振り下ろした。
「や、やめろぉぉぉぉお!!」
『ギャァァァァァァ!!』
男と、誰かの叫ぶ声が重なって聞こえた気がしたがそんな事が気にならないほどに目の前の光景が美しいと感じる。
あれほどに恐怖を感じていたはずのその大樹が、熱されたナイフで切られたバターかのようにあっさりと左右に別れて倒れたのだ。
そして、その場に現れた青い光の塊に目が釘付けになったのだった。




