第54話 聖女の目覚め
「────カンナシース先生。カンナシース先生は教会が送り込んだスパイですよね」
振り向いた私がそう言うと、カンナシース先生はにこりと笑った。だがその視線は私の背後1箇所に集中しており、《《ソレ》》を見た途端に一瞬口端が上がったのを私は見逃さなかった。
「……ふふ。ブリュードさんったら、冗談が好きなのね。でもわたしの質問に答えるのが先だわ。ねぇ、────あなたたち、そこで何をしているの?」
外へ出るための唯一の扉を塞いだまま、再び私たちにそう問いかけてきたその不気味な笑みに思わず背筋が寒くなる。その笑みを見てアルバートとルルは真実を確信したようだった。
「本当に来た……フィレンツェア様の言った通りだね」
「なんてことだ。僕はてっきり……」
アルバートは、たぶんアオの仕業だと考えていたのだろう。だから敢えて私に何も言わなかった。でもアオじゃない。だって、この死体からは複数の精霊の気配が混じった力を感じるのだ。なせかはわからないけれど、でも《《今の私》》にはわかる。
「犯人はカンナシース先生よ」
私が人差し指をカンナシース先生に突き付けると、カンナシース先生は「質問に答えろって言ってるのに……はぁ、めんどくさ」とため息を付きガリガリと頭を掻き出した。綺麗に整えられていた髪がぐしゃりと乱れたが気にする様子はない。
「なに?令嬢のくせに探偵ごっこ?まさかさっきのが影武者だったなんてすっかり騙されたわ。でもまぁ、真面目ぶるのって肩が凝るし、もういいか。あ、もうその名前で呼ばないでね。《《カンナシース》》の役目は終わり。どうせなら“ハイジ”って呼んで?コードネームなの。
それで犯人だっけ?そうよ、わたしが殺したの。正確には新魔法の実験台になってもらったんだけど……それにしても、わたしってば何か失敗したかしら?これでも演技力には自信あったのよ。“加護無し”を嫌悪しながら恋する同僚の為に自分を抑えてる女教師、完璧だったでしょ?」
「ええ、完璧でしたよ。だからこれは、ただの勘です。今から思えばレフレクスィオーン先生の姿が完全に消えるまで時間稼ぎしていたんですよね。さっきの教会の人達が私について妙に知っていたのもあなたが情報を流していたから……。あなたがスパイだったらしっくりきます。あの時のジェスティード王子の登場には驚いていたみたいでしたが」
「ああ、あの馬鹿王子?そうね、予定外だったわ。もし王子が何か見てて変な証言されると厄介だからどうやって身柄を確保しようかと焦っちゃった。ちょうど良く“加護無し”になってくれて助かったわ。王家に潜り込んでる仲間に頼んで他の人間との接触も無くしたし、“加護無し”になったってわかった途端に国王にまで見捨てられるなんて可哀想ねぇ。まぁ、どのみち気が狂ってたみたいだったけど」
ケラケラと不快な声が部屋に響いていた。
「あなたの目的はなんなの?カンナシース先生……いえ、ハイジ」
「ふん……“加護無し”のくせに偉そうに。でもまぁ、せっかくだから教えてあげる。確かにわたしはスパイよ。任務はこの学園に関わる守護精霊や“加護無し”の情報を教会に流して、裏切り者のあのハゲを始末する事。あいつは熱心な信者だったからこの任務に選ばれたんだけど、どうやら独断で“加護無し”を始末しようとしていたのよね。でも、それはルール違反よ。全ては《《我々の神》》が決めた《《筋書き通り》》でないといけない。《《あの方》》が“加護無し”を求めているんだもの。教会を裏切ったからには始末されるのは当然でしょ?だから、あいつを新しい魔法の実験台にして一石二鳥で任務は終了よ。後は最後の確認をして行方をくらますだけなんだけど……あー、でも《《ソレ》》見られちゃったから口封じは必要かな。どのみち“加護無し”はわたしと一緒に来てもらうとして……あなた達ふたりはターゲットじゃなかったのに、ごめんね」
崩した姿勢で扉にもたれ掛かりながら毛先をもて遊ぶその姿はすっかり別人だ。そしてふいに左手を上に伸ばすと、その手にはドロリとした“何か”が這うように纏わりついていた。
「それは……」
「この子はわたしの守護精霊よ。《《あの方》》に力を与えられて、完璧になった可愛い守護精霊。素敵でしょ?」
「……あれって、猿?でもなんか変な感じがする」
ルルの呟きに、私はゾワッとした恐怖に襲われる。だってそれは、《《見たことのある》》光景だったからだ。
なぜなら、私が見た守護精霊だと言われた“それ”は何の形もしていなかったのだ。自由で気まぐれなはずの“精霊の意思”もどこにも感じられない。そう、そこにいるのは……聖女時代に嫌と言うほど目にしてきた闇落ちしたオーラを纏う“何か”だったのだ。
転生して聖女で無くなった私に、なぜまたこのオーラが見えるのか。だってこれが見えるのということは……。
「ふふ。ハンダーソンさんの事はこれでも気に入ってたのに、残念だわぁ!」
「きゃあっ!」
「くっ……!ハンダーソン嬢、危ない!」
ハイジがその精霊だった“何か”をルルたちに向かって振り上げた。ルルを庇うようにアルバートが手を伸ばしたが、ニョロやセイレーンではダメだ。止める事は出来ても、《《アレ》》を倒すことは出来ない。
それではダメなのだ。闇落ちした生き物を倒すには方法はひとつしかない。私はその方法を誰よりも知っている。
……この力は悪役令嬢に転生した時に消えたと思っていたのに。ああ、そうか。これもアオが私に気付かせない為に隠してくれていたんだ。アオがいなくなって、アオが私を守る為に残した力が薄くなったせいでわかってしまったけれど、きっとアオは“フィレンツェア”の為に一生隠す気だったのだろう。もし気付いたら、その時が来たら私が戸惑う事なく使うとわかっていたんだわ。
────生命力を削って奇跡を起こす、聖なる力を。
聖女の力は私の中にある。よく考えれば魂の力なのだから当たり前か。前世では周りに利用されるだけされて死んでしまった“私”だったけれど……でも、今はこの力がアオに繋がっている気がした。
「聖なる力よ……!」
私は聖女であった時と同じように祈りを込める。
前世の私が“竜殺し”と呼ばれていたのにはいくつか理由があった。それはもちろん、闇落ちしたドラゴンを数え切れない程に殺したからだが……そのドラゴンたちとの闘い方もそのひとつだった。
聖なる力は魔法とは違う生命の力で、魂を削ってイメージするのだ。私はいつもイメージしていた。どんな闇落ちのオーラも一刀両断出来る鋭い剣を……!
あの精霊の為にも一瞬で終わらせよう。
私の右手に銀色に輝く剣が現れた。それを躊躇うことなく振り切ると、ハイジの腕を這っていた“何か”が真っ二つになりポトリと床に落ちる。聖女時代はこの剣を振り続けて私の周りにはドラゴンの死体が山積みになって重なっていたのを思い出した。ドラゴンの死体に囲まれて血に塗れた私の姿を見て「竜殺しの聖女」と人々は口にしたのだ。ドラゴンの場合はそのままだったが、闇落ちした精霊はどうなるのか……。
「わ、わたしの守護精霊がぁ?!精霊を殺すなんて、ば、化け物……!い、いやぁ!や゙め゙でぇ゙!!」
私はそのまま勢い良くハイジの口の中にそのまま剣を突き刺した。そして動かなくなったハイジを見て、セイレーンが飛び出してきたのである。
「え、セイレーン?!」
驚くルルを無視して、セイレーンは倒れているハイジに向かって“歌”を歌ったのだ。────魅了魔法の歌を。
私はハイジを殺してはいない。聖なる力はあくまでも闇落ちした生き物を殺す力であって、そうでない生き物には効果がないのだ。だがそんなことなど知らないハイジは、自分の口に剣を突き刺されたショックで失神してしまったようだった。視線を動かして床を見ると、闇の消えた《《ソレ》》は元の姿に戻った途端に塵となり消えた。やはり精霊は死体すら残らないのだ。せめて魂が浄化されて、新たな精霊として生まれてくれる事を祈るしかない。
「こ、この人の方は生きてるよね?……なにこれ、フィレンツェア様すごーい!あの変な精霊だけ消えちゃったよ?!なんかキラキラした剣が出てきたし!」
「浄化した……のか?あれが聖女の力……。確かに神聖な力を感じますね。────なるほど、神様が執着するわけだ」
アルバートが何かポツリと呟いたようだったが、その横で興奮気味にはしゃぐルルの声にかき消されてよく聞こえなかった。だが、アルバートからはルルほどの驚きは感じられない。ニョロはアオと同じ世界のドラゴンだったのだから聖女について知っていても不思議ではないだろう。
「……セイレーンってば、なんで魅了魔法を?」
剣を消して、息を吐いた。久々に使ったがやはり聖なる力は後からくる疲労感が酷い。生命を削っているのだから仕方がないのだが。それでもあの頃よりはマシな方である。
するとセイレーンが『ふふん』と鼻を鳴らした。
『いいこと閃いたのよぉう。ルルに対してわずかでも好意があればぁ、気絶してたってわたくしの魅了魔法は必ず効くわぁ。だから、ほらぁ』
歌い終わったセイレーンがそう言って羽先を動かすと、すぐにハイジは目を覚ました。そして自分が生きていることを混乱しながら確認して……ルルを見たのである。
「ル……ルル様ぁ♡ああ、可愛いわ、可愛いわ、可愛いわ!ルル様が望むならなんでもするぅ!お金?宝石?それとも情報?なんでもあげるからわたしを踏んでぇ~!」
ハイジはうっとりしながら涎を垂らし、ルルの足元に擦り寄ると猫なで声を出していた。頬を赤らめ鼻の穴を膨らませている姿にセイレーンのやり過ぎ感が否めないが、『ね?』と、本人はドヤ顔で私を見ている。
『この女ってばぁ、あの純愛は嘘だったのよぉう?騙されてムカついちゃったわぁ!うふぅ。魅了魔法にどっぷりかかってぇ、これで恋の奴隷よぉう。隠してる事、ぜぇんぶ話してもらうんだからぁ!』
「ちょっとセイレーンってば何してんの?……こんな展開、ほんとに知らないんだけど」
自分の足に頬擦りしながら愛を乞うハイジを見て、ルルがため息をついた。どうやら魅了魔法はかけ過ぎるととんでもない副作用があるようだ。そういえば禁忌魔法だものね。ハイジの……カンナシース先生の恋愛を楽しんでいたセイレーンからしたら演技だったと言われて余程ショックだったのだろう。セイレーンは例えそれが狂っていようが《《純愛》》が好きなのだから。
『この女がぁ、さっきルルをやらしい目で見たのぉ。だからイケるって思ったのよぉう。下心のある“好意”には魅了魔法の効果は抜群なんだからぁ。それにぃ、この女だけに魔法をかけたからあなた達には何も聞こえなかったでしょぉう?』
「そうね、私まで魅了魔法にかかるのはちょっと困るから助かったわ。それにしても、魅了魔法にはこんな使い方もあるのね」
『んふぅ。魅了魔法を目一杯かけるとぉ、麻薬を求める中毒者のようになるよぉう。普段はここまでしないんだけどぉ、今日は頑張っちゃったわぁん』
「へぇ、凄いのね」
それからハイジは、ルルが質問することにベラベラとなんでも喋ってくれた。それには私たちの知らないことも含まれていたのだ。
教会が王家と手を組んでいるのはわかっていたが、それとは別に協力者がいること。その協力者は“あの方”と呼ばれ、神として崇められていること。人間から守護精霊を引き剥がして作った“加護無し”と、精霊を集めていること。
集めた精霊から無理矢理に力を奪い取って、その力でいくつかの新しい魔法を作ったこと。
「突然現れた《《あの方》》はどうしても“フィレンツェア・ブリュード”が欲しいと言って、“加護無し”狩りを実行したわ。他にも“加護無し”がたくさんいれば周りに違和感を持たれる事なく手に入れられるだろうと、アレスター国の第一王子が教会と秘密裏に実験していた魔法に手を貸して成功させたの。その力は本当に素晴らしかった。まさに神だと思ったわ。我々の理想郷を実現させる為にはより強大な力が必要だもの。だから我々は神の教えに従った。それに“フィレンツェア・ブリュード”さえ捧げれば他の人間や精霊は我々の好きにしていいと言われて、第一王子も大喜びで必要な経費を出資してくれたわ。平民から搾り取った税金だけど、どうせそいつらも全員“加護無し”にするから大丈夫だって言って……あんッ♡」
真面目な顔つきで語っていたハイジが我慢ならぬと喘ぎ声を上げた。ちなみに今のはルルに尻を踏まれたせいだ。四つん這いになっているハイジの尻を踵で踏む度にルルの表情が真顔になっていくのは気の所為ではないだろう。
「あたし、こーゆうの興味ないんだけど」
『あらぁ、奴隷にはちゃぁんとご褒美を上げないとダメなのよぉう?』
まさか過剰な魅了魔法のせいでこんな変態を作り出してしまうとは予想外である。セイレーン曰く『心の奥底でぇ、きっとそぉゆぅ願望があったのよぉう』らしい。魅了魔法ってそうなんだ。と思わなくもない。
「それで、その“あの方”の正体は?なんでフィレンツェア様を欲しがるのよ」
ルルは諦めたようにため息をついてから、もう一度踵に力を込める。ハイジは「なんでも言います!」と嬉々として口を開いた。
「“あの方”は賢者なのよ!そして賢者の愛する精霊がそこの“加護無し”を欲しているの!そうすれば願いが叶うからと……!」
賢者。その単語に胸がドクンと脈打つのを感じた。だがその言葉に反応したのは私だけではなかったのだ。
「……賢者だって?いや、まさか。そんな────」
明らかに狼狽えたアルバートが、その場でよろめいた。目元が隠れていても顔色の悪さがわかるくらいに具合が悪そうにみえる。
「あれぇ?アルバート様どうしたの?」
「そ、それは……」
アルバートは迷ったように言い淀み、息を呑んだ。そしてニョロまでもが狼狽えているように見えた。
『そ、それって……だってそれは、ずいぶんと昔の話ではなかったんでございまして?!まだ生きてるなんて、そんな……』
「僕もてっきり昔話だと……。だってあんなのおとぎ話じゃないですか。母さんだってもう何十年と何も無かったから大丈夫だと、だから隠れるのをやめて結婚したって……」
明らかに普通の反応じゃない。そんなふたりを見てルルが首を傾げていた。
「賢者って大昔の有名な人だっただよね。そうだ、あの変な本……」
ルルの言葉に、あの図書館での出来事を思い出した。“賢者の本”の恐ろしさは身を持って知っている。あれからあの本はどこかへ消えてしまったと聞いたが、とても探し出す気にはなれなかった。だからどうなったのかはわからないままだったが……。
私の動揺が伝わったのか、アルバートがゆっくりと息を吐く。それは己を落ち着かせる為だったのだろうが、私もつられて息を吐くとあの時の恐怖が少しだけ和らいだ。
いつの間にか息を止めていたと、その時やっと気付いた程だ。
「……フィレンツェア嬢なら知っていると思いますが、賢者の名前を覚えていますか?」
アルバートが静かに私に聞きてきた。忘れたくても妙に記憶に残っている、それはあの賢者の本に載っていた名だった。
「確か……“賢者A・エヴァンス”。あ、」
そう口にして初めて、アルバートの名前が────“アルバート・エヴァンス”だと、同じ家名だと気付いたのだ。
「賢者の本当の名前は“アルトン・エヴァンス”。……彼は僕の母の実の父親────つまり僕の祖父なんです。エヴァンス伯爵家は祖父方の遠い親戚なんですよ。それにしても、とっくに死んだと思っていたのですがまさかこんな騒動を起こしていたなんて……。は、はは……、本当に本の中で生きていたというのか……!」
そう言ってアルバートは、乾いた笑いを放ったのだった。




