第33話 アルバートの守護精霊
アオがいなくなったその日、私は一睡も眠ることができなかった。
「アオ……一体どこへ行っちゃったのよ……」
一晩中天井を見上げるだけになってしまったベッドの上で、私は昨日の事を思い出していた。
そう、昨日……密偵が見たと言う、アルバートの事を。
結論から言うと、アルバートの正体とか秘密がわかったわけではなかった。だが、さらに謎が深まったのは確かだ。
密偵が見たもの、それは……ノーランドが沈んでしまった地面に向かってアルバートが指を鳴らした瞬間の事。
その時、アルバートを包むようにして真っ赤な陽炎が現れたのだそうだ。その陽炎は辺り一帯を覆い隠すように大きくなり、密偵の視界は何も見えなくなったのだとか。それなのに、なぜか視線を感じたと言う。
見えなくなっているはずなのに、その視線がアルバートのものだとハッキリ感じたのだとか。
こちらの事を認識して見ている。そして、この巨大な陽炎も《《わざと》》見せているようだったと。
ほんの数秒で陽炎は消えて視界も戻ったが、気が付くとノーランドがアルバートの足元に倒れていたらしい。そしてアルバートはノーランドを軽々持ち上げるとそのままどこかへ運んでいったようなのだが……。
「密偵は……それだけ報告すると守護精霊と一緒に寝込んでしまったのよ。どうもその陽炎の気に当てられたと言うか……密偵の守護精霊が怯えてしまったみたいなの。密偵が言うには、その陽炎が」
お母様は悩まし気に眉を顰めてこう言ったのだ。
「────とてつもなく大きくて真っ赤なドラゴンの姿に見えたと思ったら、ものすごい殺気をぶつけてきたそうなの。しかもその姿形が……ドラゴンの姿に戻った時のアオちゃんにそっくりだったと」
その話を聞いて《《あの時》》、アルバートの周りの空気が陽炎のように揺れた気がした事を思い出していた。
あの時に私が見てしまった《《何か》》は、ハッキリした姿形ではなく概念のような曖昧なものだった。ただあの時、“執着心”が形を成したというか……そんなモノが私を見てきた気がして思わず目を逸らしたのだ。あの恐ろしい夢からも異常な“執着心”を感じていたから余計に過剰反応してしまった気もする。
だが……今度は目に見える形を見せたということは、たぶんわざとそうしたのだろう。……これはアルバートからの挑戦状なのだろうか。
きっとアルバートは公爵家の密偵が見ているとわかっていて見せつけたのだ。もちろん、それが私に伝わることもわかった上で。
「それに、エヴァンス伯爵家の事をどれだけ調べてもいるはずの長男についての情報が見当たらないのよ。もちろん書類上は存在するのに、その人物が伯爵家を出入りしている様子もないし気配すら感じないらしいの。ブリュード公爵家の情報網にも引っかからないなんて……なんだか恐ろしいわ」
「やっぱり、何か企んでいて私に近付いた可能性が大きくなりましたね……」
そして、嫌な考えが脳裏に浮かんだのだ。
とにかくアオに相談しなくては。そう思っていたのに……その時すでにアオいなくなってしまっていたのだ。
***
「おやまぁ。こんなところに呼び出して何事かと思えば、トカゲくんはしっぽを巻いて逃げたんでしょうか。それともどこかに隠して守ってあげているんですか?」
開口一番にアルバートから出た言葉はそれだった。その右腕にはあの赤いまだら模様のヘビが巻き付いていて私をジッとみつめている。
学園に行くこともアルバートに会うこともみんなからは心配されたが、それでも私はアルバートと対峙することを選んだのだ。
そして、今朝はいつもより早く屋敷を出てきた。後からアルバートがまた迎えに来るだろうと思い、使用人達に伝言を託したのである。もしこの伝言を聞いてアルバートが《《この場所》》に来たのならば、私の勘は当たっていることになるだろう。
この、《《最初に私が突き落とされた湖》》に来たならば。
「……あなたは何者なの?」
伝言には“悪役令嬢とドラゴンが《《全てを思い出した》》場所でお待ちしています”と書いておいた。もちろん私とアオの事だが、私が悪役令嬢と呼ばれている事は知っていても、前世の記憶を思い出した事やアオの封印が解けた事を知らなければ意味がハッキリとはわからないはずの曖昧な内容だ。
でもアルバートは、ここにいる。
「……自己紹介はすでにしてますよ、フィレンツェア嬢」
「じゃあ、質問を変えるわ。あなたは────私の前世を知っているのでしょう?それで、乙女のプライベートをどこからどこまで知っているのかしら。もし、私に恨みがあって復讐がしたいのであれば……」
私が眠れぬ夜に考えたのは、こうだった。
アルバートは最初からアオの事を知っていた。もしその情報源がその陽炎を模した赤いドラゴンなのだとしたら、きっと私やアオの前世にも関わりがあるはずなのだ。でなければ闇落ちの事まで知っているはずがない。わざわざヘビの姿に擬態してまで私とアオに近付いて来た理由があるはずだった。
そして、もしかしたらアオ以外にも本当にドラゴンがいるのかもしれないと思った。それがアオの味方なのかはわからないが、この世界でのドラゴンの姿をした精霊はかなり希少だ。空想生物の姿をした精霊は数えるほどしかいないはずだし、それがドラゴンとなれば尚更だろう。
それに、これは勘でしかないのだが……きっとその赤いドラゴンはアオの事を知っている。そんな気がしたのだ。
しかしその赤いドラゴンが精霊だとして、赤いドラゴンはアルバートの守護精霊なのだろうか?確かアルバートの守護精霊はヘビの姿をしていたが、もしもあのヘビの正体が本当は赤いドラゴンなのだとしたら……。
あの異様な“執着心”と密偵に放ったという“殺気”が気になった。だってあのヘビは、アオではなく私に怒りを向けていたのだから。
それはつまり、私に……聖女に恨みを持っている可能性があるということである。
確かに私は前世の世界で、そうするしか選択肢がなかったとはいえたくさんのドラゴン達を葬った。仲間が殺されたからか自分自身が殺されたからか……どのみち聖女を恨むにはじゅうぶんな理由だろう。そして、同じドラゴンなのに仲間を裏切って聖女であった私を守る為に守護精霊となったアオだって恨まれているかもしれない。
ここは神様の作った世界だが、アオだって神様の目を盗んで転生出来たのだからあの世界からなら他のドラゴンの魂がこっそり転生出来ても不思議ではない気がした。神様はきっとまたヘンテコなダンスを踊っていたかゲーム作りに夢中になっていたかして気付かなかったに決まっている。あの神様がオタク活動に夢中になると周りが見えなくなる性質なのはよく知っているのだ。
きっと聖女を恨んでいたドラゴンの魂が、私に復讐する為に精霊となって転生してきた。これが一番しっくりくるのだ。そしてその赤いドラゴンを守護精霊にしたアルバートは理不尽な聖女の話を聞き共感したか同情したかで復讐に手を貸すために私に近づいた。もしくはアルバートも転生者で私かアオに恨みがあり、赤いドラゴンと協力し合っているのではないか。
もしかしたらアオがいなくなったのもアルバートが何かしたのでは?そう思ったら心臓が痛くなりそうだった。
もちろん小さなフィレンツェアの感情も尋常ではないくらい高ぶっている。少しでも気を抜けば引っ張られそうだったし、小さなフィレンツェアがなぜこんなに動揺しているのかも気にはなるが私だってそれどころではないのだ。
「フィレンツェア嬢、それは────」
「あなた達は私を恨んでいるのでしょう?前世の復讐なら全て私が受けるわ!でも、アオはドラゴンを裏切ったわけじゃなくて聖女だった私に同情して優しくしてくれた心の優しい子なの!だから……あの子に酷いことはしないで!」
「────フィレンツェア嬢」
その時、アルバートが真っすぐに私を見ている気がした。目元は長い前髪に隠されたままだが、見えていないはずの目が私を射抜くように見つめてきたと思ったその時。
『だぁぁぁぁぁ!!辛気臭い雰囲気をお出しにならないでくださいませ!あなた様こそあたくしの“大切なお方”をどこにおやりになりましたの?!早くここにお出し下さいませでございますわ!!』
アルバートの腕に絡み付いていたあの赤いまだら模様のヘビが────ぼふん!と音を立てて私に飛びついてきたのである。
「えっ……!」
ペタリ。と、私の顔に張り付いたのはひやりとした鱗の感触だったのだが……そこにいたのは手のひらサイズの小さな赤いドラゴンだった。しかし赤ちゃんというわけではなく、前世でも見たことのあるちゃんと大人のドラゴンの姿なのだが……大きさだけがまるで人形のように小さいのだ。そして、まるでドラゴン姿のアオを色違いでそのまま小さくしたような姿だったのだ。
「────小さい。あ、でもやっぱりドラゴン……よね。え、でもなんでこんなちっちゃいの?!それにこの姿……」
『んまぁぁぁ!!レディに対してなんたる事をおっしゃるのかしら?!なんでも大きければ良いなんてことはありませんことよ?!セクシャルハラスメントなんて断固反対いたしますわ!』
そう言って、小さなドラゴンはさっと両手で自身の胸元を隠した。いや違う、それじゃない。
しかし、確かにアオも大きさは自在に変えられると言っていたがそれにしたって小さ過ぎるのではないだろうか?これではまるで神様が誇らしげに飾っていたミニチュアフィギュアのようだ。
「……ふふっ。『アルバート様もそこでお笑いになるなんて失礼が過ぎましてよ?!もはやレディの敵ですわ!セクシャルハラスメントキングですわぁぁぁ!!』あぁ、失礼。でも、ニョロが悪いんですよ?あんな態度を取っていたせいでフィレンツェア嬢が誤解してしまったんですから。ちゃんと説明しないと」
『だってあたくしはなにも悪くありませんわ!うぅ、もうっ……仕方がありませんわね!』
アルバートの言葉にぷぃっとそっぽを向く小さな赤いドラゴンはひとつ息を吐くと視線を私に向き直し、私の手のひらの上でペコリとお辞儀をした。
『はぁ……もうわかってらっしゃると思いますが、前世のあなた様ともあたくしはお会いになった事がありましてよ。大きさや見た目は少し違いますでしょうが、よもやお忘れになどはなっていないですわよね?あたくしは、闇落ちしてしまったとはいえ“大切なあの方”をあなた様に目の前で殺されてしまった憐れなメスドラゴン……ブルードラゴンの番(予定)の、レッドドラゴンですわ。あたくし可愛い一途なメスですので、ブルードラゴン様を追いかけて転生してきてしまいましたの』
「えっ……レ、レッドドラゴン?!このルビーみたいな鱗は確かに見覚えが……でも私の知ってるレッドドラゴンとは姿が少し違うわ!だってブルードラゴンとレッドドラゴンは仲間だけど種族が違うし特徴も違ったのに……なんでこんな、アオにそっくりなの?!」
『それは、正式にこの世界の精霊として生まれ変わったせいでございますわね。先にブルードラゴン様が転生なされたせいでこの世界の“ドラゴン”という概念の認識が全てブルードラゴン様の姿だとインプットされてしまったようなのですわ。たくさんの種族がいるのならまだしも、ドラゴンはブルードラゴン様とあたくしだけですもの。個体種の違いまでは対応してくれませんようですのよ。
そんなわけでブルードラゴン様より《《はるかにか弱い》》あたくしの姿も必然的にブルードラゴン様と瓜二つになったのですわ。まぁ、その頃のブルードラゴン様は封印されていましたので必然的にあちらこちらにドラゴンの痕跡を残したのはあたくしなのですが……まぁ、それはそれとして……ドゥフフ……でもこれであたくし達は正真正銘のニコイチ、チェリーの片割れ、磁石のエス極とエヌきょk「ニョロ、ヨダレが出てますよ」あら失礼いたしましたわ。ジュルっ』
混乱する私の手のひらの上でレッドドラゴンは口元のヨダレを拭うと、意味ありげにニコリと笑い目を細めた。なんとなく獲物を狙う肉食獣を思わせるその瞳に背筋がゾクリと冷たくなる。
『……実は何を隠そうあたくし、あなた様に精霊の真実を教えてさしあげるためにきたのですわ。本来の目的のついでではありますけれど。これでもあたくしったらお約束は必ず守りますのよ。
さぁ、お覚悟はありまして?あら、なんの覚悟かですって?それはもちろん────』
「────もちろん、これまでの世界が変わってしまう覚悟。ですよ」
レッドドラゴンの言葉を引き継ぐようにそう言ったアルバートの前髪がその時ふわりと風に靡く。
「────────待って、あなたの瞳って……。っ!」
ほんの一瞬、これまで頑なに隠されていたアルバートの瞳が揺れた前髪の隙間から私を捉えていた気がしたのだ。それが妙に気になってしまった。
そして、その不安を確かめるために一歩踏み出そうとしたその時。ぐんっ!と、体ごと後ろに引っ張られるような衝撃を感じたのだ。
まるで、後ろに倒れていく私のすぐ横をひとつの影がすれ違うように前へと身を乗り出したような感覚。その影の姿に私は思わず手を伸ばしたがそれが届くことはない。そして私が後ろへ倒れると……私の前には“私の後ろ姿”がいたのである。
それは、私が前世の記憶を思い出してから初めて……小さなフィレンツェアが私より《《前》》に出てきた瞬間であったのだった。




