第29話 その怒りの先は
「……沈んじゃったわ。これもアオの精霊魔法なの?」
まるで地面に飲み込まれるように沈んでしまった氷漬けのノーランドの姿が完全に消えた後、何事もなかったかのように青々とした芝生が生えている地面を思わず指先でつついてしまった。そこにあるのは少し固めの普通の土で、この中に氷漬けのノーランドが埋まっているなんて信じられないくらいだ。でもさすがはアオである。相手を無傷で黙らせることが出来たのだと関心もした。
でもまさかノーランドがあんな暴走をするとは思わなかったのでさっきは驚いてしまったが、未だになぜああなったのかは謎でしかなかった。
最初にノーランドを踏みつけてしまった時は私だと気付かれる前にこの場から離れようと思っていた。だか、相手が私だとわかってるのかわかっていないのか……別に聞いてもいないのになぜかノーランドが勝手にこれまでのあらすじ的な事を語り出したのである。
この場に留まったのは、もしかしたらヒロインが攻略を失敗したのでは……と興味があったからだ。
しばらく話を聞いていて適当に相づちを打っておく。
まさかヒロインとの出会いから聞かされるとは思わなかったが、その内容にやっぱりヒロインは転生者なのだと確信が出来た気がした。たぶんルルは引ったくりが出てくるのを待ち切れなかったのだろう。だからわざと自分から動いて無理矢理イベントを起こしたのだ。図書館でのイベントもそうだが、ヒロインはかなりせっかちなきがした。
そして、どうやらそんなお粗末なセルフイベントで引っかかるノーランドはジェスティードよりもだいぶチョロかったようだ。
しかしヒロインはそんな簡単に引っかかったノーランドの攻略を失敗したと判断して諦めたのか、それとも不要になったのか……どのみちノーランドはヒロインに見捨てられてしまったのだ。ヒロインとのハッピーエンドがなければノーランドが騎士になって成功するルートには決して繋がらないのだから。
長々と時間をかけたが、これであれだけ懸念していた逆ハーレムルートの可能性が消えたとわかったのはかなりの収穫だと思った。
聞いた限りではもう貴族ではなくなったようだし、さらにこれだけ意気消沈しているようならばもうフィレンツェアに突っかかってくることは無いだろう。なにせノーランドの行動はすべて悪役令嬢からヒロインのルルを守る為のものだったはずだ。ヒロインから見捨てられたて無関係になった今、もうその必要は無いのだから……と、一安心していた時の暴走だった。
どこをどうしたらフィレンツェアがノーランドに惚れていることになるのだろうか?確かに今までのフィレンツェアはルルに嫉妬はしていたかもしれないが……それはあくまでも婚約者であるジェスティードとルルの関係に対してだけであるし、今となってはそんな想いなど微塵もない。
いくら思い込みが激しいキャラクターだとは言え、それにしたってどう転んだらそんな思考になるのかがさっぱりわからなかった。
それに涙を流していたのを見て、もしかしたら前回のショックもあり反省しているのかと思ったのだが……フィレンツェアを見下して利用しようとしてくる発言にやはり同情などしなくてよかったと思った。
なによりも、興奮しているらしく頬を赤くし鼻息も荒い下心たっぷりなその表情はなんだか気持ち悪い。神様に見せてもらったスチルのかっこよさなどそこには欠片もなかった。
結局はノーランドは何も変わっていなかった。いや、酷くなったと言うべきか。これではいくらヒロインだって見捨てたくなるのもわかる気がした。ある意味で、ノーランドが気持ち悪かったおかげで逆ハーレムルートを阻止出来たと思うべきなのだろうが……。
フィレンツェアが“加護無し”だからと見下し、さらにはなぜか上から目線でブリュード公爵家を乗っ取ろうと企んだノーランドに好感度など上がるはずがない。
そうして、ノーランドの手が私に届く前に彼は生きたまま氷漬けになっていたのである。
「……これって、ノーランドのバッドエンドになるのかしら。ヒロインに見捨てられた攻略対象者には世界のバグも手を出さないのね。……ねぇ、アオ?」
『────っ、な、なぁに、フィレンツェア……』
ひと通り土をつつき、指先についた土を払ってから振り向くと、ドラゴンの姿のままのアオがビクッと体を震わせた。なんだか顔色が悪い気ががする。
「アオ、大丈夫?もしかして魔力を使い過ぎたんじゃ……私を守る為に無理させちゃったのね。でも、ありがとう」
そう言ってアオに手を伸ばし、ひんやりした鱗ごとアオを抱き締めた。
「なんだか見たことのない魔法だったけれど、水の精霊魔法ってあんなことも出来るのね。あれってもしかして、地面を大きな水溜りにしちゃったの?そんな魔法があるなんて全然知らなかったわ、私ったらまだまだ勉強不足ね……。あ、でもさすがに土の中に埋めたままってわけにはいかないし、どうしようかしら?」
『そ、それは────』
「……アオ?」
いつものアオならもっとはしゃいでくると思ったのに、今は妙に元気がない。心なしか鱗の艶も陰っている気がした。
『フィレンツェア……ぼ、僕は……っ』
「それなら、僕がお役に立ちますよ」
アオが思い詰めた顔で何かを言おうとしたその時、まるでわざと遮るように声が聞こえた。近くの木陰からひょっこりとアルバートが顔を出したのだ。
「……アルバート様。なぜここに?」
「いえ、僕の守護精霊が珍しく騒ぐので何かあったのかと思いまして……。いつもなら気にしないのですが、今日に限っては正解だったようですね」
するとアルバートの首元からするりと長く細い肢体が姿を現した。《《それ》》はくねくねと体をくねらせて動き出すと、アルバートの腕へと移動をした。
そこには赤いまだら模様をした美しいヘビがいて、爬虫類独特の瞳で私とアオを見ていたのだ。
「驚かせてしまったら申し訳ありません、この子はヘビ型の守護精霊なんです」
にこりと口元に笑みを浮かべたアルバートだが纏う雰囲気からはそんな和やかな感じはしなかった。相変わらず瞳は長い前髪に隠れていて見えないし、今も本当はどこを見ているのかもわからない。……ただ、なんとなくドラゴン姿のアオを見ているように思ったのだ。それも決して好意的ではない視線で。
私はついアオを抱き締める腕に力を込めた。するとアオは何かを察したのかトカゲの姿に戻り、私の腕の中にすっぽりと収まったのだが、魔力の使い過ぎで疲れたのか少し震えているようだった。
「先日は守護精霊はお連れではなかったですものね。名付けはされているんですか?」
自分の守護精霊にわざと名前をつけない人もいる言うし、付けていても教えたくない人もいるだろう。名前は人間と守護精霊の繋がりを深く表すものなのだ。もしかしたらアルバートはそっち系かもしれないと思っていた。それに、今はなんとなくアオから話題を逸ららしたかった。
「ええ、名前は“ニョロ”です。僕はこの子の滑らかな動きがとても気に入っているのでそこから名前を付けました。フィレンツェア嬢のように青いから“アオ”なんて安直な名前は付けませんので」
あっさりと名前を教えてくれた上に、なぜか私のネーミングセンスを馬鹿にしてきたのだ。アオに話題を戻されたようにも感じた。
「……アオの名前の由来なんてあなたに教えましたっけ?」
「たぶんそうだろうと思っただけですよ。そんなことよりも……一体あなた達は学園内で何をしてるんですか?」
アルバートの指が地面を指す。ケンカを売られているような気もしたが、どうやらノーランドとの事を見られていたようだったが、トゲトゲした言い方には怒りが含まれていると感じた。
「目撃したのが僕だったからよかったものの、他の人間に見られていたらどれだけ騒ぎになると思っているんですか?……トカゲくんも魔力があれだけ上がったんだから周りから自分たちの姿を隠す結界を張るとかなんとでもやりようがあったでしょうに、それをあんなに堂々と……いくらなんでも軽率過ぎる。殺気立った気配に気分が悪くなりましたよ」
アルバートの声が一瞬鋭くなると、アオの体がまたもやビクッと震えた。
「ア、アオは私を守る為には仕方無くやってくれたんです!それに、実は以前にも丸飲みにしちゃった事があるけどちゃんと無事だったし「今回は前回の比ではないですよ」え?」
「とうやら僕はトカゲくんの事をかいかぶっていたようです。自分の欲に忠実なのはいいですが、まさかここまで暴走するとは……。フィレンツェア嬢を守るナイトが聞いて呆れますね。トカゲくん、結局君は────《《闇落ちしたドラゴン》》のままのようだ」
「────え?」
アルバートのその言葉に、ドキリとした。
その言葉がアオの事を指し示すのがわかったが、アオが闇落ちをしたのはあくまで前世での出来事である。聖女だった私の聖なる力で浄化されて、この世界で精霊として生まれ変わったアオにはもう闇落ちなんて関係ないはずである。
「《《ご存知のはず》》ですが、闇落ちした生物は魔物やアンデッドを惹きつけるオーラを放ちます。さすがに《《この世界》》に魔物やアンデッドはいませんが……つまりは《《悪いモノ》》を引き寄せるんですよ。精霊が闇落ちした場合は、負の感情が増幅しやすく属性まで変えてしまう可能性があります。これまではフィレンツェア嬢の魔力によって抑えられるなり拡散されるなりしていたようですが……このまま暴走したら、もう戻れなくなりますよ」
アルバートはアオに怒っているようだった。緊張した空気が流れる中でアオの体の震えが止まらなくなっていく。
なぜアルバートが、闇落ちについて詳しく知っているのか。それに精霊が闇落ちするなんて聞いたことがない。私が知らないだけといえばそれだけなのに、でもアルバートはまるで自分もよく知っているかのようにため息を吐いたのだ。
『ぼ、僕は……僕は……』
「とにかく、この地面の男は僕がなんとかします。このままでは死んでしまいますから……今はトカゲくんの魔力が強すぎて仮死状態になっているようですからね」
「えっ?!そんな、アオは口では色々言ってても人間を殺したりなんてしないわ!」
私が思わずそう叫ぶと、アルバートの腕に巻きついていたヘビの守護精霊が『シャーッ!』と牙を剥いた。その縦長の瞳孔に怒りの色を感じ取り、思わず体が強張ってしまう。
アルバートがアオに怒っているのなら、このヘビは私に対して怒っているのだ。
「とりあえず、ここは僕に従ってください。僕だってトカゲくんのことは気に入っているので今回は助けます……僕の守護精霊の頼みでもありますしね。でも────」
アルバートは開きかけた口を閉じ、私に「フィレンツェア嬢、そろそろ昼休み時間も終わりますよ。僕もすぐに追いかけますから、先に教室へ行っていてください」と促してきた。私が何か言おうとすると小さな袋を手渡してくる。そこには幾つかの飴玉が入っていて、それはこれ以上は話すことはないという態度に見えて私は従うしかなかったのだった。
「……わかりました。お願いします」
「あなたの頼みならば、喜んで」
***
肩を落としながら立ち去るフィレンツェアの背を見守りながらアルバートはポツリと呟いた。
「……神様、あなたはどこまで予想していたんですか?」と。




