第25話 もうひとつの記憶(ジュドー視点)
それは、不思議な感覚だった。
グワングワンと、やたら激しく揺れる脳内で知らないはずの映像が突如流れ出したのだ。もちろん戸惑いはしたが……その人物も出来事も……なぜか《《知っている》》と感じた時も違和感などはなく、じんわりと染み込むように《《その感情》》がオレの中に浸透していったのだ。
意識そのものは違うのに、なぜか“同じ”だと理解出来るその不思議な感覚の中で、オレは“オレ”の記憶の中を漂っていた。
その記憶の中で、なぜか見たことのないはずのひとりの少女の笑顔に“オレ”の気持ちはいつも一喜一憂していたのだ。そんな、不思議な気持ちた。
そして、“オレ”は少女と出会うまで孤独だった。
感覚でしかわからないが、娯楽はたくさんあってもそれを共有する相手がいない事を寂しく思っていた。そんな風にその感覚を全身で感じ取っていたのだ。
だから、始めての友達となってくれた少女に特別な感情を抱くのは自然だと思う。確かに友情か恋愛かの差は悩むかもしれないが“好意”に違いはない。“オレ”は確かに、特別な好意を抱いていたはずだった。
……でも“オレ”は、なぜかその感情に蓋をして気付かないフリをしているようにも見えたのだ。今のオレにとって「なぜ?」としかいいようがない。
少女との時間は特別でとても大切だったはずだ。流れ込んでくる感情から、本当なら少女を手元に閉じ込めておきたい衝動にかられる事もすでに知っている。
そして、そんな事が許されるわけがないともちゃんとわかっていたんだ。
そして、とうとう別れの時。
「世界を救ったら、また会いましょう」
少女はそう言って“オレ”から離れてしまった。
絶望。それしかなかった。
前向きな言葉は数え切れないくらい並べたし、納得もしている。仕方が無い事だとちゃんと理解していた。それが自分の仕事で、そして世界の理であり、絶対だとわかっていながら絶望したのだ。
それからの“オレ”は、たぶん前途多難だったように思う。オレはその時の事をこうやって外側から見ているだけなのだが……“オレ”の奥底の気持ちはその都度に伝わってきていた気がする。
平気そうなフリをしていつもふざけた態度ばかりだったが、その裏側がどれだけどす黒く燻っていたかなんてきっと他の奴らにはわからないだろう。
今はジュドーである中身があんな危険な賭けをやってしまったのも結局はこの少女の為だ。それがどれだけ罪深いのかもわかっているのにそれでも掟を破った“オレ”は欠片も後悔なんかしていないとわかる。その脳裏に浮かぶ人物が誰なのかなんて、調べるのが無粋なほどだ。
そして、とうとう“オレ”は五感を奪われて暗闇に落とされたのだが────。
「この体、いいね」
「?!」
気が付くとオレの前に“オレ”がいたのだ。
なぜか全体的に白く輝いていてその顔は全く見えないのだが、感情だけは伝わってくるせいか笑っている事はわかった。
「うんうん、ボクと相性がいいんだね。《《特殊》》な力があるせいかもしれないけど……これなら上手く馴染みそうだ。《《他の奴ら》》より断然マシだし……世界への影響も少なそうかなぁ」
“オレ”はオレを見ながらひとりで頷いている。何を納得しているのかわからないがとにかく嬉しそうな感情が溢れていた。
「この体なら《《あの子》》に会いに行けるよ。もしもの時の行き先を事前に設定しておいて良かったけど、そんな事すら確認もしないでボクにやってやったとか思ってるあいつらもマヌケだよねぇ。アレを動かすのって自分じゃ出来ないし誰かに頼もうにもボクの為に罪を犯してくれる友達なんていないからさぁ……もしかしたらこの方法は使わずじまいになるかもってちょっと諦めてたんだけど、結果的には大満足さ!だから────この体、ちょうだい?」
「えっ、ちょっ……?!」
それは、“オレ”の手がオレの胸を貫くのと同時だった。オレは抵抗する暇もなく意識を失ったのだが────。
次に目を覚ました時に最初に目に映ったのはオレを覗き込むアクアブルーの瞳だった。朝露のような涙を浮かべたその瞳に思わず見惚れていると、なんとオレの意思とは関係なく勝手に腕が彼女に向かって伸ばされたのだ。
それだけでも混乱していたのに、なんと指先でその涙を掬い取ったかと思うとそれを舌でペロリと舐めたのである。しかも口の中に広がるその塩味を味わうように舌で転がすと「しょっぱい……」と味の感想まで口にしたのだ。
いやいやいや、何やってるんだオレ?!
混乱と羞恥心でどうにかなりそうだったが、オレ以上に動揺を隠しきれないその相手の蜂蜜色の髪か揺れている。さっき空から降ってきた妖精がそこにいる事実にオレはさらに動揺していた。
「なぁっ……?!」
みるみる顔を赤くしてこちらを見てくるそのアクアブルーの瞳には確かにオレが映っている。だがオレは慌てる事もせずまっすぐにその瞳を見つめ返して口を開いた。
「やぁ、また会えたね。ボクの聖女」と。
その瞬間にオレは全てを察してしまったのだ。
オレの中には“オレ”がいて、オレの意識はあれどこの体の主導権は“オレ”が持っている事。
そして目の前にいるこのアクアブルーの瞳をした少女こそが“オレ”が指切りの約束を交わした聖女と呼ばれていたその人なのだと……。なぜ姿形が変わっているのかはわからないが間違いない。しかしご満悦なのは“オレ”だけでこの少女は戸惑っているように見えた。
だがそれも仕方が無いだろう。この少女が誰なのかはわからないが、反応を見るにきっとこの国の貴族令嬢なのだろうと思った。中身の“オレ”が何者なのかもよくわからないが外身のオレはアレスター国の第二王子なんだし、このやり取りも一歩間違えば不敬だ国際問題だと大騒ぎになる可能性もある。この少女はそれがわかっているから戸惑っているのだ。でなければ断りもなく勝手に顔に触れて、さらには掬った涙を目の前で舐めて味わうなんて変質者だと罵られても仕方が無い行為なのである。少なくとも、アレスター国ではそうだ。
「あ、あの……」
顔を真っ赤にした少女が声を震わせた。しかしその真意を読み取ることなく“オレ”は懐かしげに目を細めると今度は微かに揺れる蜂蜜色の髪の毛先をまたもや断りもなく指に絡め始めたのだ。
「どうしたんだい?ふふっ……それにしても聖女は羽のように軽いんだね。《《あの頃》》は重さなんてわからなかったからなんだか新鮮だなぁ。この柔らかな髪もとっても綺麗だし……なんだかいい匂いもするね」
「……っ!?ご、ごめんなさ、いえ、失礼をいたしました!」
慌てて“オレ”の上から飛び降りるように離れる様子は確かに可愛かったが、“オレ”がやっていることは完全にセクハラだ。確かにオレはこれまでそうゆう風に装っていたしわざとそんな風な噂を流した事もあったが、実際には初対面の令嬢にこんな失礼な事などしたことはない。こんな事をしても笑顔で許されるなんてそれこそ物語の中だけだろう。
「もっと上に乗っていても良かったのに」
「ひえっ……と、とんでもない!────────これがチャラ男……まさかこんな事するなんて……最悪……ひどっ……。もしかして、女なら誰にでも……?」
彼女がボソッと呟いた言葉に“オレ”は気付かなかったようだが、オレにははっきりと聞こえた。しかもあんなに綺麗なはずのアクアブルーの瞳には恐怖や軽蔑の色がこもって見え、もはやドン引きされている。
ほら!誤解されてる!!ちゃんとしろよ“オレ”!初対面で髪の匂いを嗅ぐなんてもはや犯罪者レベルだぞ?!
なぜだかはわからないが、この少女には変な誤解をされたくないと思ってしまった。その気持ちに関しては“オレ”も同じなずなのに、なぜ“オレ”はこんなことをさも当たり前のようにやっているのか意味がわからなかった。
なんとか“オレ”の暴走を止めようとするが、やはりオレの意思では指一本動かせない。それならせめてゲイルに止めてもらおう思ったのだが視線すら動かせない状況に焦りが募った。
いや、しかしゲイルはオレと心の繋がった守護精霊なのだ。きっとオレの異変に気付いてくれているはずだ!オレは必死に心の中でゲイルに助けを求めた。するとほのかに風の気配を感じる事が出来て、きっとゲイルに通じたのだと期待したのだが。
「守護精霊か……、オイタはダメだよ?お座り」
『わっふぅ?!』
オレの考えなど、当然ながら“オレ”にもすぐわかったようで“オレ”は余裕の表情のまま片手でゲイルの顔を鷲掴みにしていたのだ。
『えっ、ジュドーがジュドーだけどジュドーじゃない……?!』
どうやらゲイルは混乱しているみたいで、オレの気持ちは察することが出来たがなぜ“オレ”を止めなくてはいけないのかがよくわからずにいるようだ。
唯一の頼みが途絶え、オレが頭を抱えていると今度は背筋が寒くなるような殺気を感じ取った。
『がるるるる……!!』
今度は“オレ”の視界に映っていたのでオレにもわかったのだが、その殺気は例の少女の背後から突き刺さるように放たれていたのだ。
……トカゲ?
少女の後ろには確かにトカゲがいた。青い鱗をした少し変わったトカゲだったのだが、そのトカゲが今にも飛びかかって噛み付いてきそうな形相で牙を剥いている。少女が「ダメよ!落ち着いて」とトカゲの背中を撫でて押さえているようだった。
一瞬この少女の守護精霊かとも思ったが、精霊にしては少し気配が違う気がした。ではペットだろうか。そういえばさっきから少女の守護精霊が姿を現さない。本来なら守護精霊は契約した人間を守ろうとするだろうに……。
もしかしたら守護精霊と仲が悪いのかもしれない。守護精霊に嫌われた人間は悲惨だ。きっと苦労もあっただろうと、オレが少女に少し同情していると少女が息を吐いてから“オレ”に向き直った。まるで緊張を抑えているかのように声がまたもや震えている。
「あ、あの!ジュ……いえ、アレスター国第二王子殿下。私は聖女なんて呼ばれるような立場ではなく、ブリュード公爵家の娘でフィレンツェア・ブリュードと申します……。たぶん人違いではないかと」
そう言って頭を下げた少女に“オレ”は「あぁ!」と相づちを打つと、にこりと笑みを見せた。
「そうそう、そうだったね。フィレンツェアだった!ごめんごめん、やっぱり《《目覚めたばかり》》だと多少記憶がぼんやりしちゃって……。そう、確かに君は“加護無し”の公爵令嬢フィレンツェア・ブリュードだよね!みんなに嫌われている悪役令嬢……うん、思い出したよ。それにしてもなんでトカゲなの?もっとかっこいいのにすればいいのに!」
確認するかのように言った“オレ”の発言に頭の芯がキーンと凍り付くような感覚になっていく。
フィレンツェア・ブリュード。名前だけならアレスター国からほとんど出たことのないオレでも知っていた。それくらい守護精霊がいない人間の存在はこの世界にとって大事件なのだ。
フィレンツェア・ブリュードについてはたくさんの噂が飛び交っていた。
精霊に祝福されなかった価値のない魂の持ち主。
周りの人間にも嫌われている“加護無し”の公爵令嬢。
“加護無し”のくせに学園に通う厚顔無恥な女。
学も無く礼儀知らずで貴族令嬢失格。
この国の王子の婚約者の立場を金と権力で無理矢理もぎ取った性悪女で、わがまま放題。暴虐武人なその立ち居振る舞いはまるで物語の悪役令嬢のようだと。
挙げ出したらキリがないが、とにかくその評判は最悪だった。
オレはその昔、その噂を耳にしてとんでもない悪女の姿を想像していた。産まれたばかりで清いはずの魂ですら精霊に祝福されなかったような魂の持ち主ならばきっと前世から心が穢れていたんだろう。こんなオレですら守護精霊がいるのにと……心の中で馬鹿にして勝手に優越感に浸っていたのだ。自分より酷い人間がいるのだからまだオレは大丈夫だと……。女達との会話に困った時のネタにして笑い話にしたこともあった。今から思えば最低だが、あの時はそうやって自分の心を守っていたんだ。それに、“加護無し”ならば何を言われても仕方が無いとも思っていた。
だが、オレの目の前にいるフィレンツェア・ブリュードは……とてもそんな悪女には見えない。そんなフィレンツェアがうんざりとばかりにため息をついた。
「そうですか、隣国のアレスター国にまで私の噂って届いているんですね。あらあら、私ったらとんだ有名人だわ。それにしても、たかが公爵令嬢ひとりに大騒ぎして皆さんそんなに暇なのでしょうか。そうですね、確かに私は嫌われ者で有名な“加護無し”の公爵令嬢です。それにこの子は私の大切なペットですので、かっこよかろうがそうでなかろうがアレスター第二王子殿下には関係ないことかと……。
それにしても、まさか私に守護精霊がいないせいで隣国にまでご迷惑をおかけしていたとは夢にも思いませんでした。そんな事とは露知らず、アレスター国第二王子殿下のお目汚しをしてしまい大変申し訳ございません」
嫌味にも取れるような発言だったが、“オレ”の言い放った失礼な数々の言葉に比べれば可愛いものだろう。
そしてすくっと立ち上がると、完璧なカーテシーを披露した。うっかり見惚れそうな淑女の礼をし、そして未だ牙を剥くトカゲを抱きかかえたかと思うともうこちらを見ることなくその場から立ち去ってしまったのだ。
「あっ、ちょっと待ってフィレンツェア……。あぁ、行っちゃった」
“オレ”は残念そうに肩を竦めた。ちなみにその手にはゲイルが鷲掴みにされたままぶら下がっている。ゲイルなら簡単に抜け出せそうだが、いつものオレとの違いに呆然としているようでぷらんぷらんと横に揺れていた。
「うーん、おかしいなぁ。この世界を見守っていた時は絶対に悪役令嬢は聖女の記憶を思い出してると思ったのに、勘違いかぁ。まさかボクの事を思い出してないなんてとんだ誤算だよ。それに乙女ゲームで攻略対象者にされたら絶対に喜ぶだろう事をしたのになんだか反応がイマイチだったし……やっぱり悪役令嬢だから攻略対象者には好感度上がらないのかなぁ。それにあのトカゲの姿も……どうせなら元のままの方がかっこいいのに悪役令嬢の趣味とか?あぁもう、フィレンツェアに嫌われちゃったじゃないか。全部この体のせいだよ……どうしてくれるの?」
ぷくっと頬を膨らませた“オレ”は肩を竦める。端から見れば盛大な独り言なのだが“オレ”は気にすることなく言葉を続けた。
「目覚めた途端にいっぱい動いたからかなんだか疲れちゃったな……なるほど、体って疲れるんだね。ボクはちょっと眠るから後はよろしく……あ、それから面倒くさそうな護衛だけど本当は君の味方だから安心して。《《そうゆう裏設定》》なんだよ。面倒くさいから、強制的にイベント始めちゃうね。
……ふふっ、《《前は見てるしか出来なかったけど》》、攻略対象者なら世界に干渉出来るなんて面白いね」
と言うだけ言ってそのまま眠ってしまったのだ。まるで糸が切れた人形のようにガクンと体の力が抜けた。
「────っ!か、体が動く……?!お、おい……ちゃんと説明を……ダメだ、本当に寝てやがる」
そして“オレ”の反応がなくなってしまった瞬間、体の主導権がオレに戻ってきたようだった。慌ててゲイルを掴んでいた手を開くと目を回したゲイルが地面にぐったりしながら寝転んで涙目でオレを見てくる。その瞳にはクエスチョンマークが溢れていた。
『……さ、さっきのなんだったのぉぉぉ?』
「……そんなの、オレが聞きたいくらいだ」
体の自由が戻ったものの、先ほどまでの事を考えると頭が痛かった。しかもオレの中でさっきまで無かったはずの気持ちが燻っているせいでモヤモヤとしてしまう。
知らないはずの記憶によって知ってしまったフィレンツェアと言う公爵令嬢……。噂とは全然違っていたし、なぜか運命的な何かを感じてしまったのだ。
これはオレの感情なのか、それとも“オレ”の感情なのか……。フィレンツェアの事を考えると胸がぎゅっと締め付けられるようだ。
あぁ、それにしたって“オレ”は自由過ぎないか?一部だが“オレ”の記憶が見えたせいでなんとなくは事情はわかっているつもりなのだが、その記憶の内容すら突拍子もなさ過ぎてオレの妄想ではないかと疑いたくなる。だが、それが真実だと言うこともなぜかわかっているから余計に不思議な気分なのだ。
しかし……“オレ”はともかく、オレが嫌われるのはなんだか納得がいなかい。いや、同じ体なのだから彼女からしたら違いなどないのか?いやいや、それでもやはりオレは彼女に……フィレンツェアに嫌われたくないと思っている。
「いや、でも……ダメだろ」
もしかしたら運命の相手かもしれない。だって空から降ってきたんだぞ?!そんな風に思う一方で、フィレンツェアがこの国の第二王子の婚約者だと言うことも知っている。ましてや“加護無し”だ。何をどうしたって認められるはずがない。
わかっているのに、自分をまっすぐに見つめるフィレンツェアのアクアブルーの瞳が目に焼き付いて離れなかった。
「……っ」
そんな時、思い悩むオレの背後に気配を感じて慌てて振り向くと、そこにはいつも黙ってオレを見ているだけの護衛が立っていて……なぜか頭を下げていたのだ。
「ジュドー様。アレスター国から離れ、第一王子の目が無い場所であなた様と向かい合える日をずっと心待ちにしておりました。実は我が守護精霊が第一王子に囚われていて命令を聞くフリをしていたのです。ですが、我々はジュドー様のオッドアイを吉兆と崇拝する第二王子殿下派閥なのです!」
「へ?」
いつも無口な護衛がなぜか急に語り出した事に違和感しかないが、なぜかその時、脳内に“オレ”の言葉がすらすらと思い出されていた。
“あ、それから面倒くさそうな護衛だけど本当は君の味方だから安心して。《《そうゆう裏設定》》なんだよ。面倒くさいから、強制的にイベント始めちゃうね”と。
いや、まずそのイベントってやつについての説明を聞いていないんだけど?!どうなってるんだよ“オレ”ぇぇぇ~っ?!




