第17話 秘密を知る者
さっきの奇妙な夢はなんだったのか。そしてあの声の主は……。なぜ精霊についての夢を見たのかなんて全くわからなかったが……ただ、あの賢者の本にはなにか秘密があると思えて仕方がなかった。こうゆう予感は意外と当たるものである。
あれは、ただの夢じゃない。それだけは本当だと私の本能が訴えていたのだ。
あんなに酷かった耳鳴りや寒気はもうなくなっていたが、階段から落ちた時の感覚は鮮明に覚えている。私は確かにあの声の主に殺されかけたのだ。神様もさすがにあんな設定などしないだろうし、ゲームでも見たことがない。あれは確実に、この世界自体が作り出した現実なのだと思った。
気になることはたくさんある。考えなくてはいけない事もだ。処刑されるのを回避する為に頑張っているのに精霊にまで命を狙われているなんてと、今すぐ神様を呼び出してなんとかして欲しいと叫びたいくらいなのだが……。
だが、今の私はそれどころではなかった。
なぜか今は、何よりもこの青年の素顔が気になってしまっている。あの長い前髪に隠された瞳がどうしても見たい。と。いつもなら小さなフィレンツェアに引っ張られているだけだろうと思うはずなのに、なぜか妙に気になってしまうのだ。
そんな衝動にかられて、ついあの前髪に触れたいと思ってしまった。そんな事を考えている自分に衝撃過ぎて呼吸まで荒くなってくる。これは緊張しているのか?そこまで緊迫した状況なのか?心臓もなんだか痛いし、このままでは呼吸困難になってしまうのではなかろうかと自分で自分が心配になってしまった……。
しかし突然相手を押さえつけるわけにもいかないし、こんな時はどうしたらいいのか。聖女時代にはもちろんこんな経験なんてした事ないし、小さなフィレンツェアにもあるわけがない。とにかく一刻も早くまるで雑巾を力一杯絞ったかのように痛みを訴える激しく高鳴る鼓動を鎮めて呼吸を確保したいと、私は堪えきれずに口を開いた。
「「あの……!」」
すると、私が声を出すのと同時に青年の声が重なって聞こえてきたのだ。恥ずかしさに耐え切れなかった私の声は盛大に上擦ってしまう。
「な、なんですか?!」
「いえ、あなたから……「いえいえ、そちらからどうぞ!」そうですか?では……」
そう言って青年は苦笑いをする。その笑みにすら口から飛び出そうなほどに心臓の音がさらに大きくなってしまった。そして青年が右手を持ち上げて私に見せてきたのだが……。
「……お目覚めになられたばかりなのに申し訳ないのですが、助けていただけませんか?実はさっきからあなたのペットが離れてくれなくて」
なんと、その右手の先にはトカゲの姿のアオが噛み付いたままぶら下がっていたのだった。
「ア、アオ?!」
『がるるるるるる!!』
「いやぁ、このトカゲくんもさっきまであなたの側で眠っていたんですけど目が覚めた瞬間から僕に威嚇してきまして……落ち着いてもらおうとしたんですが失敗してしまい、この有り様です」
ははは。と苦笑いをしているが平然としている青年に対して、アオはといえば噛み千切らんとばかりにギリギリと牙を立てているように見えた。
ヤバい。アオの目は……本気だ!
アオのおかげで私は我に返り、落ち着かなかった心臓が激しい動悸をやめてくれたし呼吸も正常に戻ってきた。どうやら緊急事態は脱したようだ。しかし、助かりはしたがこんなショック療法はやめて欲しい。
「ちょ、ちょっとアオ!?やめなさい!怪我させちゃったらどうするの!」
慌てて起き上がりアオの体を両手で掴むと、アオが目を見開き涙を潤ませる。そして『!!』と全身で喜びを表現しながら私に飛び付いてきたのである。その時に青年の手首を思いっきり後ろ足で蹴っていたようにも見えたが気のせいだと思いたい。グラヴィスの事を嫌うのは悪役令嬢を断罪してしまうかもしれない攻略対象者だからだとして、この青年の事はなぜそこまで嫌うのだろうか?ゲーム内にいたとしても確かに黒髪は珍しいが、扱い的にはモブくらいだろうと思うのだが。
でも、きっとものすごく心配させてしまったのだろうなと思ったら申し訳なく思う。
「もう大丈夫よ、アオ。心配かけてごめんね。……あ!アオは大丈夫だった?確かあの時、体がひかっ────と、いえ、なんでもないわ」
思わず最後に見たアオの状態を確認しようとしたが我に返って口を噤んだ。私を助けてくれただろうこの青年があの時どこまで見たのかは定かではないが、もし気付かれていなかったのならいくら恩人でもわざわざ教えるつもりはない。だってこの人がアオの事を他の人に言わないとは限らないもの。
それに、さっきはあんなにこの人の素顔が気になっていたのにこうしてアオの姿を見たらその気持も落ち着いていた。きっとあの夢を見たせいで私も小さなフィレンツェアも混乱していたのだろう。色々誤解があったとはいえ、ずっと加護無しとして扱われて精霊と関わっていなかった小さなフィレンツェアからしたらにとんでもない悪夢だったはずだ。いや、私からしてもかなり悪夢だったなと、冷静に考えてしまう。ならば余計に混乱しても仕方がなかったのだ。と、自分を納得させた。
「と、とにかく!アオに噛まれたところを手当しないと……「それなら、大丈夫ですよ」えっ」
そう言ってさっきまでアオが噛み付いていた右手を私の前に差し出してくる。その手には牙の跡どころか赤くなっているところすら見当たらなかった。
「ほら、無傷です。どうやらそのトカゲくんは手加減して甘噛みしてくれていたようですね」
「あ、甘噛み……?あれが……?」
その返答に戸惑ってしまい先程のアオを思い出すが、あれはどう見ても本気で噛み付いていたように見えた。甘噛みなんて可愛らしいものではなかった気がする……。
それにしても、アオはどこまでもこの青年が気に入らないのか私にしがみつきながらもまだ威嚇している。もしかして、ドラゴンも嫌がるくらいにものすごく頑丈な人なのだろうか。見た目は決して筋肉質には見えないけれど。
私は戸惑いを隠すためにコホンと咳払いをして、アオを落ち着かせようと背中を撫でた。
「大丈夫ならいいのですが……。改めまして、私はブリュード公爵家の娘のフィレンツェア・ブリュードと申します。この度は助けていただきありがとうございました。それと、この子はアオです。私のペットが失礼な事をして申し訳ありません。あの、図書館には何かご用事があったのでは?私のせいで台無しにしてしまったのでしたらなんとお詫びしたらいいか……」
アオが嫌っているのは別にして、あの階段落ちから助けてもらったのは事実だ。出来る限りのお礼はしなくてはいけないと思った。あのまま落ちていたらかすり傷では済まなかっただろうし、アオもきっと私を助けようと一緒に落ちてきたのだろうから……アオが無事で本当によかった。
「えっ────いいえ、とんでもない。こちらこそ名乗るのが遅くなり申し訳ありません、僕はアルバート・エヴァンスと申します。しがない伯爵家の気楽な次男坊でして、図書館にも気まぐれに足を運んだだけの事ですのでブリュード公爵令嬢がお気に病むことはありませんよ。
それに、僕にとってあの場に居合わせてあなたを助ける事が出来たのは最高の栄誉です。トカゲくんは主人を守ろうとしただけですし、僕はなんともなかったのですから気にしないで下さい。いやぁ、僕の守護精霊にも見習って欲しいくらいです」
その青年……アルバートの言葉にアオの体がピクリと揺れる。目が隠れているせいか感情は読み取れないがその笑みはごく自然に見えた。それとも自然に見えるくらい、いつもあの笑みを作っているのだろうか。
だが、作り笑いなら私だって負けていないはずだ。「それなら、よかったです」と、にこりと笑みを返しておいた。
さっきまであんなに胸が高鳴っていたのが嘘のように頭が冷静に動き出す。このアルバートが攻略対象者でないことだけは確かだが、さっきの言葉はフィレンツェアやアオに喧嘩を売ったも同じだ。フィレンツェアが加護無しであることは当然知っているはずだし、その上で自分の守護精霊の話を出してきたのだから。
なによりも、アオがその言葉に傷付いたのだとしたら許せるはずがない。
「……エヴァンス伯爵令息の守護精霊は、今日はお連れではないのですか?」
「どうか、アルバートとお呼び下さい。僕の守護精霊はジッとしているのが苦手なようでしていつもどこかに行ってしまっているんですよ。精霊は気まぐれだと言いますが、特に《《アイツ》》はワガママなんです。まぁ、お互いに好き勝手していますしそこが気に入っているんですけどね」
「そうですか、大変ですわね……」
確かに守護精霊は連れていないようだな。と、視線を動かした時……私は初めて異変に気付いた。
さっきから部屋の中が静かだとは思っていたのだが、それどこではなかったから気付くのが遅れてしまった。彼の守護精霊どころではない。今更ながらこの部屋に私とアオ、それにこのアルバートしかいなかったのだ。
そして、この部屋の中の空気が《《普通でない》》ことにも。
だってさっきから、アオが全然威嚇をやめないんだもの。なんで気付かなかったのだろうか、これはアオが私を守ろうとしてくれているのに……。
「誤解が無いように言っておきますが、この結界を張ったのは僕ではありませんよ?正解はそのトカゲくんです」
「!」
私がアルバートに視線を戻すと、またもやにっこりと張り付けた笑みを見せてくる。でも、もうその笑みに小さなフィレンツェアも反応することはなかった。
「いやぁ、素晴らしい結界ですね。僕の守護精霊がこの部屋に入れないように二重に施してある上に、僕が悪さを出来ないように内側にも作用する仕様なんてなかなかできませんよ!そのおかげでさっきから体が重いんです。まぁ、強力過ぎてこの屋敷にある人間や他の守護精霊達も入ってこれないようでしてこの部屋の外で皆さんが地団駄を踏んでいるようですがね。さすがはフィレンツェア・ブリュード公爵令嬢のペット……本当に僕の守護精霊にも見習って欲しいものです」
するとアオが威嚇をしながら私にしがみつく手足に力を込めた。よく見ると冷や汗を流しているし、アオの顔色が悪くなっている。
『……こいつ!僕が全力で作ってる結界の中で動いてるんだ!本当ならぺしゃんこになってるはずなのに、こいつは自分の守護精霊のとは違う精霊魔法を、《《こいつ自身》》が使ってきたんだ!』
「おや、やっぱりすごいですね。《《僕の》》魔法を浴びているのに話まで出来るなんて……。しかもご主人様をここまで守りながらなんてとても頼りになるナイトです。でも安心して下さい。僕はトカゲくんにしか攻撃していませんから。女性に何かするような男だと思われたら、僕の守護精霊に僕が怒られます。それを踏まえてトカゲくんは及第点でしょうか。称賛の拍手を送るのはまた次の機会にしましょう」
そしてアルバートは「おっと、さらに体が重くなった」と軽々と肩を竦めて見せる。アオが悔しそうに眉を顰めるのを見て「ははは」と乾いた笑いを発した。
「ブリュード公爵令嬢……いえ、フィレンツェア嬢。実はおりいってご相談があるんです。もし僕の頼みを聞いてくださるのならば、僕もあなたの願いを叶えるお手伝いをしましょう。ご覧の通り強いので、何かとお役に立てると思いますよ?」
「……私の願いを知っていると言うの?」
今度は私を試すかのように首を傾げながら、アルバートは薄い唇で笑みを作って「もちろん」と口を開いた。そしてわざとらしく頭を下げて劇でもするかのような少しふざけたポーズをとってとんでもない事を言い出したのである。
「フィレンツェア嬢。どうか、今日だけでなくこれからも僕にあなたを守り続ける栄誉を与えてくださいませんか?誰よりも最高のナイトになると誓いま……うぷっ!?」
『ふざけるな!この変質者めぇぇぇ!!フィレンツェアを守るのは僕だぁぁぁぁぁ!!』
アルバートがそう言った次の瞬間、その顔面に一瞬で大きなドラゴンの姿へと変貌したアオが牙を剥いてガブリと噛み付いたのだが……「ははは、これはすごい。一瞬でレベルアップして結界が強化されちゃったから押し潰されそうだし(笑)まだまだ成長しそうで将来有望ですねぇ」とアオの口の中からまだまだ余裕そうな笑い声が聞こえてきたのだった。
結局、彼が何者なのかは全くわからないままだが……。ドラゴンの姿のアオを見ても驚くどころか喜んでいるアルバートの様子に警戒はするものの、なぜか小さなフィレンツェアが彼を憎みきれないと感じているとわかり私は困惑するしかなかった。
そしてアルバートがアオに顔を噛まれたままぶんぶんと振り回されると言うこの異様な状況は、アオの魔力が尽きてやっと結界が解かれた部屋の中に外でヤキモキしていたというみんなが雪崩込むように入ってくるまで続いたのだが……ぐったりと力尽きても決してアルバートの顔を離さなかったアオの口の中で「トカゲくん、もう終わりですか?」と平気そうなアルバートは、やっぱりものすごく頑丈な人のようであった。




