第331話 ◆父の威厳
株式会社TLE代表取締役社長――穂積賢二。
朝の9時という社長の出社時間、社長室にノック音が響く。
「……どうぞ」
『失礼しますっ!』
扉の外から聞こえるやたら緊張を伴った声。
穂積はそれを聞き、くすりと笑った後、表情を元に戻した。
目を伏せながら入室して来たのは日本一の息子を持つ――伊達一心。
「へへへ~……社長っ! おはようございますっ!」
伊達家の大黒柱の真の姿である。
「相変わらず、凄まじい揉み手だね伊達君」
「はははは、営業時代の名残といいますか……ま、昔取った杵柄と言いますか……はい」
「そんな揉み手を自社の社長に向ける……さて、どんな厄介を抱え込んで来たのかな、伊達部長」
そう言い切ると、穂積の柔和な表情が険しくなった。
「っ!」
鋭い視線を向けられ、一心は息を呑む。
「え、えーっとですね……家の息子の話で少々……」
一心の言葉に、穂積は目を細める。
「……まさか、【命謳】がTLEと契約解消……なんて言わないよね?」
「いえ、むしろ会社側が解消を申し出るような事態になりそうで……ははは」
一心の返答に、今度は目を丸くさせる穂積。
「……なるほど、夜遅くに電話してくるから何事かと思ったら、そういう事か。わかった、詳しい話を聞こうか」
穂積は社長室内の応接スペースに目をやり、一心を座らせた。
そして聞くのだ。【命謳】と【七海建設】の関係を。
「……むぅ」
一心の知る全てを聞き、穂積が唸る。
難しい表情をする穂積に、一心が一枚の色紙を差し出す。
「あ、これ。社長にお土産です」
言うと、穂積の難しい表情が緩和された。
「……相変わらず、絶妙なタイミングで武器を出すね……伊達君」
「営業から企画開発に異動になってから久しいですから、やはりここが一番かと……」
一心の言葉に、くすりと笑って色紙を見る穂積。
すると、穂積の表情が驚きに染まる。
「ナニコレ? 玖命君に鳴神君、川奈さんに四条さん……山井先生のサインも入ってるじゃない? この、月見里って人は最近入った人だよね? しかも……何故か【大いなる鐘】の水谷さんのサインまであるし……」
「はははは、息子が骨を折ってくれまして」
「ふっ、玖命君たちにこれだけされちゃ、TLEが尻尾巻いて逃げる訳にはいかないよね。わかりました。【命謳】と【七海建設】の件、ある程度対策をしていきましょう」
その言葉に、一心はホッとひと息つく。
「伊達君にはちょうど別件で話があったしね」
そう言う穂積に、一心はキョトンとした表情を見せる。
しかし、次の瞬間、一心の背中にゾクリと悪寒が走ったのだ。
「いやぁ、私だけじゃ心許なくてね。ちょうどお供が欲しかったんだよ」
「しゃ、社長……い、一体、何をお考えで……?」
「なーに、先日、私宛にとんでもない人から連絡が入ってね。今度その会社にお邪魔する予定なんだよ」
「と……とんでもない人……?」
ゴクリと喉を鳴らす一心に、穂積がにこりと笑って言う。
「いやぁ、緊張するね。相手は現代日本の経済界の父。やっぱり性能の良い伊達……あいや、盾は必要だろう?」
「け、経済界の……父っ!?」
一心はそれを聞き、穂積の親父ギャグに反応する事が出来ない程、硬直してしまった。
「も、もしかして……そ、そのとんでもない人って……!?」
「やっぱり電車で行くと格好悪いかな? 池袋って?」
「池袋……経済界の父……とんでもない人……」
そんな一心のメンタルを抉るような言葉を選びつつ、穂積は一頻りその反応を楽しんだ後、最後に止めを刺した。
「それじゃあ、来週の月曜日KWNに行くから名刺、忘れないようにねっ!」
そう快活に言い、穂積は社長室から出て行く。
最後に扉から顔を覗かせた穂積がスマホを片手に一心に言う。
「それじゃ僕は用事があるから、後の事は任せたよ、伊達部長! はっはっはっは! あ、もしもし? 色紙用の額縁ってウチにあったっけ? そう、やっぱないよね。注文しなくちゃ――」
そんな呑気な通話内容が聞こえなくなるまで、一心は社長室に残り、ただただ穂積の言葉を反芻していた。
「KWN株式会社社長……川奈宗頼……!」
ようやく一心の口から出た、とんでもない人の名前。
「TLEの穂積社長とKWNの川奈社長が……会う?」
そう呟いた直後、一心はハッとして顔を上げる。
「きゅ、玖命っ!」
思わず自身のスマホから息子である伊達玖命に連絡をとろうと立ち上がるも、一心はそこでピタリと止まってしまった。
何故なら、昨晩の玖命との会話を思い出したからである。
――……わかった。玖命、穂積社長には俺から言っておくから、お前はお前のやりたいようにやりなさい。天才の義務をしっかりと全うするように。
そう、昨晩、父の威厳を見せつけたばかり。
「ぬぅ……ぬぅうう……! ち、父の……父の威厳……!」
鼻息荒く、動悸は激しく。
玖命への電話は、玖命へのメッセージへと変わる。
息子に助けを求めるのは簡単。
しかし、父の威厳を見せつけるのは簡単ではないのだ。
「くっ……! これが、俺の精一杯だからな、玖命……!」
そう言って、伊達一心は震える手でToKWの送信アイコンをタップする。
最強の父――例の件、穂積社長は問題ないって。
玖命――――おーよかったよかった
玖命――――流石親父、ありがとう
「む、息子の感謝……プライスレス……!」
こうして、玖命の与り知らぬところで、伊達一心の奮闘が始まるのだった。




