第二十五話 お茶会ーその2ー
ヴァイオレットとアリシアのお陰で平和に終わりを迎えるだろうと思われたスカーレット公爵邸で開催されたお茶会。
幸せな表情でザッハトルテを食すヴァイオレットとアリシアの飲み物が切れているのに気付き、飲み物を運ぶ使用人に頼もうかと二人の側を数歩程離れた時だった。まるで、この時を待っていたかの様に一人の令嬢がタイミング良く動き出し、アップルジュースをトレイに乗せていた使用人を発見したエヴェリーテが呼び声を発しようと手を軽く上げた瞬間。
「きゃあっ!」
エヴェリーテの上げた手がその令嬢に背中に当たり、悲鳴を上げると同時にテーブルにぶつかり、飲み物を零してしまった。当然、令嬢のドレスには飲み物が付着してしまい、白いがどんどんと紫を吸収していく。直ぐ様異常事態が発生した現場へ急行したアリシアとヴァイオレットがエヴェリーテの側に寄る。
「大丈夫ですか?エヴェリーテ様」
「は、はい。私は大丈夫です。でも……」
エヴェリーテには怪我もなければ、ドレスも汚れていない。
対して、エヴェリーテにぶつかった令嬢も怪我はなくても、折角のドレスが台無しとなった。令嬢の友人らしき数人の令嬢がドレスを汚された令嬢の周囲に集まった。
「お怪我はありませんか!?ベアトリクス様っ!」
「あなた!何処を見て歩いているのですか!この方がベアトリクス様と知っての無礼ですか!?」
「まあ!ベアトリクス様のドレスが……!何という事を……!」
矢継ぎ早に三人の令嬢から非難を受けるエヴェリーテは、彼女等の言うベアトリクスの名に聞き覚えがあった。エヴェリーテが困っていると判断したヴァイオレットが一歩前へ出た。アリシアは、まじまじとベアトリクスを見つめるエヴェリーテを訝しむ。
「あの、エヴェリーテ様?」
「は、はい」
「あの、ベアトリクス様がどうかなさいましたか?」
「え、えーと、何処かで聞いた名前だなと思いまして」
「まあ!行動だけでなく、言葉まで無礼ですわね!」
「全くですわ!魔術の才能があるだけでパーシアス王子殿下の婚約者という重大な立場をもぎ取っただけの事はありますわ」
「まあ、それも宝の持ち腐れだと話が回っておりますけど」
非難→怒り→非難。忙しい令嬢達。エヴェリーテの正直な感想。言われっぱなしのエヴェリーテは令嬢達の剣幕に押され気味で、此処は自分が出ないととヴァイオレットが「お黙りなさい」と周囲の温度を-10度低くした。
「貴女方三人、伯爵家の令嬢とお見受けするわ。左から、ウッドロック伯爵家、フィップアップ伯爵家、アクアリプス伯爵家の方々よね?」
「「「っ」」」
家名を言い当てられた三人の顔が見る見る内に青くなっていく。
「エヴェリーテ様は私の友人ですの。私の大切な友人を侮辱するという事は、私を侮辱すると同等。我がプラチナ公爵家に喧嘩を売っておりますのね」
「そ、そんなっ!」
「わたくし達は、ベアトリクス様にぶつかった挙げ句謝罪もしない所か、ベアトリクス様を存じていない無礼な彼女に注意を……!」
「何処がかしら?一方的にエヴェリーテ様を非難している様にしか見えませんでしたわ。そうですわね?アリシア様」
「ええ。それに、エヴェリーテ様がベアトリクス様にぶつかったと言いますが、そもそもエヴェリーテ様の所へベアトリクス様が自分から近付いて行った様に見られましたが?エヴェリーテ様が使用人を呼ぼうとして腕を上げたのとベアトリクス様がエヴェリーテ様に急接近したのは同時でしたもの。ねえ?ベアトリクス様」
黒瞳が未だ倒れたままのベアトリクスを見下ろした。無言のまま起き上がったベアトリクスとエヴェリーテは対峙した。
エヴェリーテとは違う、純銀の髪は緩やかにカールが巻かれ、長くカールの巻かれた艶のある睫毛に縁取られた青い瞳の美少女。最高級のシルクで作られた一級のドレスは、エヴェリーテとぶつかり、テーブルに倒れた拍子に零れた葡萄ジュースによってスカート部分が紫色に変色してしまってりいる。
エヴェリーテを睨みつける青い瞳には、初対面の相手には決して向けない憎悪が含まれていた。見に覚えのない殺気に無意識に一歩後退する。
「……貴女がパーシアス王子殿下の面汚しの婚約者ね」
「無礼なのはどちらなのかしら」
「黙りなさい!公爵家と言えど、たかが末の娘程度がわたしにその様な口を利いていいとお思いなのかしら!?」
「あら?事実を言ったまでよ」
激昂するベアトリクスを涼しい表情であしらうヴァイオレット。顔見知りだが、二人の仲は非常に悪いと社交界では有だ。知らないのはエヴェリーテだけ。扇子を開いて口元を隠したヴァイオレットが余裕の笑みでベアトリクスと相対する。
「エヴェリーテ様を面汚しと罵るのは、エヴェリーテをパーシアス王子殿下の婚約者に選んだ国の決定を馬鹿にするという事ですわよ?シルヴァ家の令嬢とあろう者が知らない筈がないのでは?」
「っ!」
「まあ、貴女の行動の真意は読めています」
「え」
「大方、セスト王子と仲良くしているエヴェリーテ様に嫉妬していらっしゃるのでしょう?」
ヴァイオレットに図星を突かれ、端正な顔を思い切り顰めるベアトリクス。エヴェリーテにしたら、嫉妬する要素が何処にあるのと問いたい。セストが滞在している大きな理由は一つ。北の大陸最高峰の魔術師に魔術を学ぶ為。エヴェリーテに良くしてくれるのも、彼女が滞在先の主の娘だから。互いに恋愛感情は一切ない。エヴェリーテがそう説明したら、激情を露わにしたベアトリクスが勢い良く立ち上がり詰め寄った。
「よくもそんな口がきけたものね!貴女の事を話す殿下からは、明らかに友達の域を超えた感情がありました!わたしに接する時は、いつも義務的な笑顔しか向けてくれないのにっ、貴女には全く違う、本心からの笑顔を浮かべていたではありませんか!!」
あまりの迫力にまた一歩下がったエヴェリーテが、ふと、ある疑問を口にした。
「あの、私はベアトリクス様とは今日初めてお会いしました。なのに、どうしてそのような事が分かるのですか?」
まるで見ていたかのような言い方に違和感を感じた。
自分の失言に気付いたベアトリクスが気まずげに目を逸らすと「うるせえよさっきから」と不機嫌な声が飛んできた。声の主は、エヴェリーテの保護者ウェルギリウス。どうやら、サロンにまで不穏な空気が流れていたから、様子を見に来たらしい。ウェルギリウスの他にも、主催者側のシリウスやヴァイオレットに似た男性と小太りで背の低い銀髪の男性もいた。ベアトリクスとエヴェリーテ、アリシアとヴァイオレットが中心にいて、他の令嬢達が距離を取っている辺り、原因は彼女達にあると判断した。小太りの銀髪の男性がドレスに紫色の染みを染み込ませたベアトリクスを心配気に駆け寄る。
「ベリー!どうしたいんだいそのドレス!」
「お父様……いえ、わたしの不注意で葡萄ジュースを零してしまっただけですわ」
エヴェリーテに態とぶつかった冤罪を作ろうとした。等、言える筈もない。ベアトリクスは苦々しく、違う理由を告げた。
「そうか。怪我はないね?」
「はい。ご心配をお掛けしてしまい申し訳ございません」
申し訳なさげに頭を垂れるベアトリクスを後目に、ぽふっとエヴェリーテの頭に手が乗った。「何があった?」とウェルギリウスが青い瞳で見下ろす。
「何でもないよ。心配しないで」
「にしては、回りが遠ざかっている様だが?」
「あう……そ、その」
事実を教えて、更に面倒にならない保証がない。適当な言い訳もなく、視線をきょろきょろと泳がせるエヴェリーテの上で呆れた溜息を吐いた。
「アホらしい。ベアトリクス、文句ならエヴェリーテじゃなく、俺に言え。兄の婚約者と必要以上に仲良くするなとセストに直に言えなくても俺からなら忠告出来るだろう」
「わ、わたしはっ」
「ま、待って!な、なんで分かるの?」
「内緒だ」
この場にいなかったウェルギリウスが状況を把握したのは、エヴェリーテの記憶を読み取っただけに過ぎない。
有りの儘語れば「人の頭の中を見るなんて最低!」と罵られる未来が待っている。愛しい少女に罵られるのは嫌なので秘密にした。
「お前はまだ好かれている方だとは思わないか?」
「……あの方は、お会いしても機械的にわたしに接している様にしか思えません」
「ベアトリクス。セストと婚約してから何度会った?」
「両手で数えるには足りないくらい会っております。それでも……」
「そうか。パーシアスとエヴェリーテは、婚約が決まった顔合わせしか会っていないが?」
「え?」
ウェルギリウスの放った言葉の意味を理解するのに有した時間はどれ位だったのか。ベアトリクスの青い瞳は、信じられない物を見る目でウェルギリウスとエヴェリーテを交互に見やる。「なあ?」と同意を求められ、戸惑いつつも頷いたエヴェリーテに嘘は感じられない。直接的な言い方じゃないが、パーシアスとエヴェリーテはたった一度しか会っていないのだ。
「何故、ですか?」
「無理に会わせる必要がないからだ。エヴェリーテが会いたがれば時間を作ったがこの子にはそれが一切ない。パーシアスの方もないみたいだからな。放置してる」
「……」
王妃教育を受ける為に城へ通うベアトリクスは様々な噂を聞いた。
第一王子の婚約者は婚約者の自覚がない、“人外”の可能性を秘めただけの無能な少女、第二王子に色目を使っている。等々、どれもエヴェリーテの評判を悪くするものばかり。ベアトリクス本人も、何度か城の中でパーシアスに出会わす機会があったので遠回しにエヴェリーテとの関係を尋ねた事があった。けれど、一度もパーシアスはエヴェリーテの話題には応じてくれなかった。だから、ベアトリクスが知っているエヴェリーテは、噂の人物像のみ。
スカーレット公爵家で行われるお茶会に彼女も出ると聞き、参加を決意した。遠目から見ても、第一王子の婚約者となった少女は可憐で愛らしい外見をしていた。あの愛らしさに自分の婚約者は夢中になっているのかと思えば、心が嫉妬の炎で荒れ狂った。ヴァイオレットやアリシアといった、公爵家の令嬢に守られる様もベアトリクスを苛立たせるのに十分な要素だった。
心配した声色でベアトリクスをベリーと愛称で呼んでいた父親が眉を八の字にしてウェルギリウスへ頭を下げた。
「ウェルギリウス様。此度は、我が娘ベアトリクスが貴殿とご息女の機嫌を害した事お詫び申し上げる」
「お父様!?」
「構わん。どうせ、その内こうなるだろうとは思ってたからな。ベアトリクス。セストは、外見もそうだが中身もゲオルグと瓜二つだ。魔術や錬金術に関連した話題なら、あいつもお前の話に食い付いてくるんじゃないか?」
「ウェルギリウス様……」
「ハーメルン。さっさと顔を上げろ。シリウス。お茶会はこの辺でお開きにしないか?飽きた」
「はあ……そういう事にしておきましょう」
ウェルギリウスの本音は別の所にあるが、この場では説明の必要もないと判断したシリウスがスカーレット公爵として不穏な空気が否めないお茶会の終わりを告げたのであった。
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