21-25
―――21
クマは己が何者かを知っていた。
クマは鵺の世界を知っていた。
クマは眞子の世界を知っていた。
クマは魔女の存在を知っていた。
ただ、それを口にする機会はなかった。
「クマ」
背後から腕を持ち上げられ、クマは鵺を睨んでいるかのように見えた。吊り上げられた体はだらんと力なく重力に従っていて頼りない。
「お前、魔女だろ」
クマは答えない。
「眞子の世界に次元を渡る術はない。だったら俺の世界から働きかけるしかない。だったら魔女しかいない」
クマの顔を覗きこんだ鵺に、クマは何も反応しない。
「しかもリリンの親だろ。どうにかしてくれ、あの我儘娘」
鵺はクマの反応を待ったが、やはり反応はなかった。ただただクマは鵺に吊り上げられているだけである。
―――22
いつもクマは何処からともなく現れる。眞子は霧の中の何処かにクマの家があるのかと思っていた。けれどどうやら違うらしい。
「クマちゃーん」
ぎゅっとオレンジ色の体を抱きしめる。布のやわらかな手触りがやさしい。クマはされるがままに眞子の腕の中に収まっている。クマの手を眞子は握る。
「ねえ、クマちゃん。なんで私を選んだの? なんで鵺さんを呼んだの?」
クマは答える口を持たない。頭をもたげたオレンジのクマの頭を眞子は撫でる。鵺はクマをどう思っているのか、眞子は聞いてみたくなった。
「そういえば、いつも霧の中にいるけどさ。クマちゃんって霧の外には出れないの?」
ふと思いついた眞子はクマを抱いたまま霧の外に向かおうとする。だがクマは慌てた。ジタバタと眞子の腕から逃れようと暴れる。
「クマちゃん! 暴れないでよ!」
しかし押さえつけようとする眞子にクマは更に暴れる。夢の境界である霧が近付いてきた。そして眞子は霧の中を歩く。もう少しで霧から出られると眞子は思ったが、それは叶わなかった。
「やめろ」
ひょいとクマが眞子の腕から奪われた。眞子が背後を振り向くと、そこには鵺が立っていた。
―――23
「クマ、お前力が使えないのか」
「力? 鵺さん、クマちゃんのこと知ってるの?」
眞子の腕から難を逃れたクマは鵺の腕にしがみついて離れない。どうしても今は眞子の許に戻りたくないようだ。
「確信は持てないんだがな」
霧の内側に戻りながら、鵺はクマの首根っこをつまむ。だららんと垂れたクマは睨むように鵺を見た。
「喋れない。戻れない。帰れない。でも字は書けるだろ」
「クマちゃんが何かは教えてくれないの?」
「こいつね、多分俺の世界の奴なんだ」
「へー。そうなの?」
クマが眞子に顔を近づけられて避ける。鵺がそんなクマを眞子から引き離した。そして紙とペンをクマに渡す。
「事情がわからないとどうしようもない。書け」
地面に置かれたクマは鵺を見上げた。そして指のない腕でペンを握った。
―――24
「…………読めない」
眞子がクマの文字を見て呟いた。
「俺たちの世界の文字だからな。んー……そうか! お前、先読みの魔女か。だから俺をここに連れて来たんだな。リリンに繋げる為か」
クマの書いた紙を見て、鵺は喜色を浮かべる。クマも何処か嬉しそうに頷いた。
「ねえー、どういうこと?」
一人意味のわかっていない眞子は唇を尖らせる。
「眞子。こいつはな、魔女だ」
「魔女?」
「そうだ。俺たちの世界は魔女によって均衡が保たれている。だがな、最近可笑しいことになってる。魔物が出るんだ」
「魔物?」
眞子が奇妙な顔を作る。それにちょっと笑って、鵺はクマを抱き上げる。
「お前の世界にはいないんだろう。魔物は世界の均衡が保たれている時は現れない。しかし均衡が崩れると動物たちが変異して魔物になるんだ。ここ何年かで一気に数が増えてる。これは異常だ」
「それって、大変なことじゃん!」
「大変だよ。魔物自体はまだ俺でも倒せる程度だけど、これ以上均衡が崩れたらどうなるかわからない。だから、俺がここにいるんだ」
鵺がクマに顔を向ける。クマは真っ直ぐに鵺を見つめ返した。
「眞子もここにいる以上、何か理由があるはずだ。そうだろう、クマ」
クマは眞子に顔を向けた。その顔はいつ見ても変わるはずがない。しかし眞子には笑っているように見えた。
その時、クマが控えめに鵺の腕をトントンと叩いた。鵺の目覚めが迫っていた。
―――25
鵺のいなくなった夢の中で、クマと眞子はのんびりお茶をすすっていた。緊迫した空気は何もない。
「クマちゃん、おいしいねえ」
微笑む眞子にクマが頷く。お茶など飲めないけれど、クマの口元は湿っている。
「クマちゃん、魔女なんだね」
前を向いたままの眞子にクマも前を向いたまま頷く。
「クマちゃん、教えてくれる?」
眞子はお茶を注ぎなおして口に含んだ。そして熱い吐息を零す。
「私はクマちゃんのために何をしたらいいかなあ」
クマが並んで座っている眞子に視線を動かした。
「クマちゃん、教えてくれる?」
眞子はクマに微笑を浮かべた。