16-20
―――16
泣き疲れた眞子は鵺の膝を枕にして眠ってしまった。クマが動けない鵺を見上げる。
「クマ……」
眉間に皺を寄せた鵺の顔は苦渋に満ちている。だがクマは鵺を見上げたまま。
「もう戻らなくてはならないんだろう」
クマはこっくりと頷いた。すやすやと眠る眞子を一人にはしてやりたくない。だが、鵺は戻らなくてはならない。この場所は彼の世界ではないのだ。所詮は夢という一時の仮宿。永遠に居ることは叶わない。
「クマ。眞子の問題は眞子が解決しないといけない。でも、此処に居る間くらいは、一緒に居てやれ」
鵺は何処からともなく枕を取り出して、眞子の頭の下に引いてやる。じっと見ていたクマは、鵺がクマの前に屈みこんだのを確認して手を伸ばした。指さえもないその手を、タシッと鵺の腕に伸ばす。それは鵺の眠りが覚める合図。
立ち上がった鵺は眞子を一度だけ振り返った。
「俺も自分と勝たないとな」
鵺の呟きにクマが彼を振り向いたことを、鵺は気付かなかった。消えていく鵺に、クマは何故か見入っていた。
―――17
ぼんやりとした頭で目の前にオレンジ色の物体があるのに気がついた。眞子はその物体が自分に近付いてくるのに気付いて、漸くそれが何かわかった。
「クマちゃん!」
近付いてきていたのはクマの手だ。その手を眞子は握り、笑った。
「鵺さんは……行っちゃったんだね。迷惑かけちゃったなあ。ねえ、クマちゃんはどうして私を呼んだの? どうして私と鵺さんだけなの? クマちゃんは何?」
首を傾げる眞子にクマは言葉を持たない。答えを持ってもそれを伝える術を持たない。クマはただ、動けるだけだ。
「私ね、本当に魔女になれたらいいって思ってた。そんなのなれないってわかってるんだよ。でも、なれたらいいなあって。……あのね、やっちーは私のこと嫌いになったんじゃないと思うの。でももう駄目なの。一緒にいられないの。いじめられちゃうの。だから一緒にいられないの」
眞子の声は段々と掠れ、涙声になっていた。
「もう、駄目なの。一緒にいちゃいけないの。でも私、会わなくちゃいけないの。行かなくちゃ。私が学校に行かないとね、やっちーがいじめられちゃうの。気付いちゃったから、行かなくちゃ」
クマの手を眞子はギュッと握る。その強さにクマの手が形をなくしてしまうくらいに。
「クマちゃん。私に勇気を頂戴。何をされても笑顔でいられるように、力を貸して」
クマの潰された手は眞子の手の中にある。一方の空いた手をクマは見た。そして躊躇いながら、眞子の手にその手を重ねた。ざらついた布の感触が眞子に触れる。やさしく、労わるように触れてくる。
眞子はクマに泣き笑いの顔をした。
―――18
鵺は帰った。
眞子も帰った。
一人残った霧の中でクマは何をする?
クマはぽつねんと霧の中に佇んでいる。まるで、ただのぬいぐるみになってしまったかのようだ。
動かないクマ。
固まったままのクマ。
誰もクマを起こさない。
誰もクマを呼ばない。
クマは、霧の中にただ一人。
―――19
珍しいことに、その日は眞子が先に来ていた。
「眞子?」
鵺は先般泣き崩れてしまった少女の名を呼んだ。振り向いた眞子は鵺に微笑む。その顔に鵺は眉を顰めた。
「ごめんね、鵺さん。私なら大丈夫。頑張るから。負けないから」
眞子の許へ歩み寄った鵺は、少しだけ目元を和らげた。
「……心配してくれて、ありがとう」
「俺は話しか聞いてやれないからな。無理はするなよ」
「うん!」
眞子は前回とは異なる表情を浮かべている。吹っ切れた、とまではいかないが前よりすっきりしたようだ。詳しい事情を知りたいわけではないから、鵺はただ頷いただけだ。だが、気になることもあった。
「その傷はいいのか」
眞子の指には絆創膏が幾つも貼られていた。それだけではなく、眞子の膝下にも小さな擦り傷や青痣が出来ていた。鵺でなくとも気になるところだ。それに対し、眞子ははっきりと答える。
「名誉の負傷だよ。決めたんだから、頑張るって」
拳を握る眞子に鵺は目を眇めた。それはまるで、眩しいものを見ているようだった。
―――20
「俺たちの世界では魔女が柱なんだ」
「柱?」
「そうだ。世界を支える柱だ。魔女がいなければ世界の均衡が崩れてしまう。だから魔女は尊重されるべき存在で、第一級の守護対象なんだ」
眞子が鵺のことを聞きたがった。まだ心の底では沈んでいる眞子を思って、鵺は自分の知ることを請われるままに話していた。
「でも前に魔女が嫌になったって言ってたよね」
「言ったな。今、魔女が家にいるんだ。新米魔女でまだ子どもだってのもあるが、我儘でな。ほとほと困り果てている」
鵺は盛大に溜息を吐いた。
「誰かに頼まれたの?」
「それもあるし、あっちからも来た」
「そうなんだ」
「ああ」
鵺の本来いるべき世界には、魔女という存在が不可欠だった。魔女がいなければ、世界はいとも容易くバランスを崩す。そうすると、地震や竜巻などの天災が起こり人が住める世界ではなくなってしまう。
「鵺さんは」
不意に眞子が鵺を見上げた。丸い目に鵺は何故かたじろぐ。
「鵺さんは、どうしてこの夢にいるのかな」
「………さあ」
当然とも思える疑問に鵺は無言で返す。そして離れた場所に背中を向けて座っているクマへ視線を向けた。




