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それは、思いもよらぬ拾い人(1)

 いつもと変わらない、いつもの天気。

 そしていつもと変わらない、いつもの小言。


「王子には、次期王としての自覚を持っていただきたく――……」

 現コーデリア国王が倒れてから、この言葉を一体何度聞いただろうか。

 97……いや、これでついに98回目か。因みに今日に至ってはそれぞれ違う臣下から言われたのを合わせて三度目になる。

 王子、と呼ばれた青年――シーザ=ランクード=フォン=コーデリアは日々お約束になっている臣下たちのこの言葉を、いつものように気だるそうに聞いていた。

 これも今日中には三桁の大台に乗るかもな。

 などと余計な事を思っていると、聞き飽きてうんざりなのが顔に出てしまったのか臣下にぴしゃりと指摘を受ける。

「シーザ王子! ちゃんと聞いておられますかっ!!」

「え……あぁ……はいはい……」

 突然名前を呼ばれ、びっくりして返事が曖昧になる。臣下はハァ……と溜め息をついて渋い顔になる。回数は臣下たちの小言程ではないが、シーザのこの反応も臣下たちの間ではお約束になっていた。

「返事は一度で結構です。……また適当に聞き流してましたね?」

「う……うぅ……すみません……」

 シーザはバツの悪そうな顔で臣下に謝る。

 この状況を見ていると、どちらが偉いんだかがさっぱり分からない。そう思うと臣下はまた溜め息をついて一呼吸おいた後、シーザを見据える。

「いいですか? 私どもは王子の為を思って申し上げているのですよ? 王子がそんな事では次期王の座が弟君のクール王子に奪われてしまうかもしれないんです。だから王子には、もっと次期王としての威厳と自覚を――……」

 結局、小言がまたふり出しに戻ってしまった。

 これで99回目――

 記念すべき100回目についにリーチがかかった。


 『実弟との政権争い』

 『次期王としての自覚』

 そんな事、今まで真剣に考えた事もなかった。

 いつものように適当に授業をサボって、いつものように適当に食べて、寝て――……それでいつものように毎日が過ぎていくものだと思っていた。

 周りからかけられる期待やプレッシャーは、王座に就いてからついてくるものなんだろうと思っていた。


 今のこの場所は、あまりにも息苦しい。


 王はどうしてこんな時期にいきなり倒れたりするんだ。

 王が倒れたりしなければ次期王座がどうとか、王としての自覚がどうとか、臣下からこんな事言われなくても済んだだろうに……


 繰り返される臣下の小言をよそに、シーザは実の父親への責任転嫁に徹していた。




 王都周辺には五つの大きな領が存在する。

 コーデリア城では各領から代表たち数名を招いて4年に一度、数日にわたって行われる城内の大書庫を特別公開する行事がある。

 今その時期がせまっており、コーデリア王に代わり臣下たちを指揮しているシーザの弟、クール=シェイリーヴ=フォン=コーデリアを筆頭に慌ただしく準備が進んでいた。

 この行事は、本来なら最終日にだけ一般民にも公開される日が設けられていたのだが、今回は王の不在という異例の事態により、招いた領主たちへのみの公開に止める事で決定された。

 しかし城下に住む民達は、各領の代表たちが王都に集まるという事で、その数日間滞在するであろう宿泊先に指名してもらう為の手配やら、大通りにある建物への飾り付けやらで慌ただしくなっていた。


 そんな周りの慌ただしさを尻目に、オープンカフェで紅茶をすすりながら新聞を広げている一人の少女の姿があった。その少女が見ている記事欄には『コーデリア城大書庫、公開日迫る!』と大きな見出しで書かれていた。

「ついにこの時期が来たわね……」

 少女はそう言いながら、その記事の内容を目で追いながらおおまかに読み流した。

「今度こそ、何か手がかりが掴めるといいんだけど」

 真剣な面持ちで一言呟いた。




「兄上?」

 臣下からの小言からようやく解放され、自室に戻ろうと廊下を歩いていると後ろから声を掛けられた。シーザは気だるそうに声のした方を振り返る。

 声の主は弟のクール=シェイリーヴ=フォン=コーデリアだった。クールは今から臣下たちと数日後に催される大書庫の公開行事についての話し合いをするのであろう事をまとめた資料を片手に抱えていた。

 シーザは城の行事については全て弟のクールにまかせっきりにしている。他の国との外交も、大書庫の公開行事の進行についても。

 どうせ自分がいても出来る事は何もない。だからせめて弟の邪魔にならないように、と毎日だらだらと過ごしていたのだ。

「クールか……。そういえば今日は初めて会ったっけな。おはよ……ふあぁ……」

 まだ眠気が残っていたシーザは、クールに挨拶をしながら思わずあくびが出てしまった。

「……おはようございます」

 シーザのそんなだらしない態度を見てか、クールは少し眉をひそめながら答えた。


 互いに挨拶を交わした後、クールは自室へ向かうシーザの隣を歩く。クールの向かっている小会議室も同じ方向にあるらしい。

「…………」

「…………」

 しばらく沈黙が続く。

 クールも時折手に持った資料をちらりと見ては、考えをまとめながら歩いている。自分に話し掛けてくる気配はない。

 そんな気まずい空気を脱しようと、シーザは何か話題はないかと目を泳がせながら考えていた。

「……あ、えー……えーっと……今日はいい天気に……」

「兄上」

 シーザの言葉を遮るように、クールがシーザに話し掛けてきた。

「あー……な、なんでございましょう……?」

 さっきの態度を注意されるのかな、とビクつきながら、シーザは思わず明らかに不自然な丁寧語で答える。

 しかしクールから出た言葉はそれとは別のものだった。

「兄上は、五日後の城の大書庫公開行事には参加なさらないのですか?」

「え……?」

「行事の決定会議に、一度も出席されていないようですから……。私一人で決定してしまうのはどうかと思って、決定待ちの項目もいくつか残っているんです。私は、兄上の意見も是非参考にしたいので」

「な……」

 クールの意外な発言に、シーザは思わず立ち止まる。

 城の政に自分は関係無いと思っていた。自分には弟のように臣下をまとめる発言力もないし、頭が切れるわけでもない。

 なのにそんな弟が『自分の意見を聞きたい』と言っているのだ。

 情勢のような難しい事を聞かれてもどうせたいした案も出せる訳がない自分に?

 面倒だから、と政を全部弟にそれとなく押し付けていたような自分に??

 意見。…意見って……なんだろう?

 聞きたい。…何を聞きたいんだっけ??

 ……あれ? そもそも自分って誰の事だったっけ??

 考え始めるとどうでもいい事にまで疑問符がつき、だんだん頭の中がごちゃごちゃしてきた。

「…………」

「……兄上?」

 考え込むあまり立ち止まったまましばらく放心状態になっていたシーザを心配してか、クールが声を掛ける。だがシーザには聞こえていないようだった。

「兄上」

「…………」

「兄上! 兄上!!」

 さっきよりも声を上げ、シーザの体を揺すりながら何度か呼んでみる。しかしそれでも兄からは何の反応も返ってこない。

 いつもの『アレ』か……。

 そう判断したクールは、実の兄に対してすまないとは思いつつ、手に持っていた資料――中には厚手の本も含まれている――を、つっ立ったままのシーザの後頭部に叩きつけた。

 ゴスッという鈍い音と共に、シーザは前のめりにつんのめって顔面からばたんと倒れた。

 これはさすがに効いたようで、しばらくすると床にぶつけた鼻をさすりながらシーザがむくりと起き上がった。

「あ……いたた……鼻打った……」

「すみません、兄上」

「ん? どうかしたのか、クール?? いきなり謝ったりして」

 きょとんとした顔で謝る弟を不思議そうに見上げる。

 クールに叩かれた後頭部への痛みはさっぱり気にしていないようだった。むしろシーザを叩いた厚手の本の表紙の方が少しへこんでいるくらいだ。

「……いえ……」

 少し躊躇い気味に答えるクールの様子から、シーザはもしかしてまたいつもの『アレ』ではないかと思い当たった。

「私……またどこかへ行ってた……??」

「はい」

「やっぱり急に深く考え込むとダメだなー……ハハハ」

 そう言いながら立ち上がり、シーザは何事もなかったかのように歩きだした。クールもそれに続く。

「その癖、まだ健在だったんですね兄上……」

 それからクールは少しだけ会議の内容についての話をしたが、シーザからの返答は「それはクールに任せるよ」の一点張りだった。


 シーザは普段から殆ど悩んだり考え込んだりしないせいか、急に脳をフル回転させて考え事をすると、さっきのように放心状態に陥る癖(?)があった。そんな場合は呼んでも揺すっても全くの無反応になる為、さっきのように強い衝撃を与えて意識を引き戻すしかなかった。

 他の対処法が見つからないままその処置(?)が数年数千回と繰り返され、シーザの体にはいつしか耐性が出来ていた。その為、衝撃で脳が劣化していくのに対し、体だけは無駄に頑丈になっていた。

 クールは兄が放心した時はいつもこの方法をとっていた。王が倒れてからは自分の時間も持てず職務に掛かりっきりだった為、シーザに会った事自体しばらくぶりだったので実践したのは本当に久しぶりだったが。


「兄上も、たまには会議に出席してくださいね」

 廊下の突き当たりの分かれ道に差し掛かった時、クールは別れざまにシーザに言った。

「ハハハ……まあ、気が向いたらー……な」

 明らかに出席する意思の感じられない返答だった。しかしその兄の反応はクールの想定内だったので、そのまま気にせず話を続ける。

「それと……」

「ま、まだ何かあるのか……?」

「五日後の書庫公開行事での兄上の役目もちゃんと振り分けていますから」

「え…? …………ええぇっ!?」

 あまりの突然の事にシーザは驚きの声を上げた。

「大丈夫ですよ。最終日のパーティーで来客のお相手をしてくださればいいだけですから。兄上も次期王として、領民達への顔出しくらいはしていただかないと」

「え、で、でもそんな……役目なんか決められても私は何の役にも立たないと思うぞ!? しし、しかも客人の相手って……そ、そんなの何喋っていいのか分からないし、国の地名ふられても2~3ヶ所分かればいい方だし、各領地の領主の顔と名前なんてさっぱりだし……」

「では、私はこちらですのでこれで」

「あっ! ま、待ってくれクール……!?」

 慌てふためくシーザをよそに、クールは小会議室のある方へと歩を進める。後ろではシーザがまだ駄々をこねていた。


 乗り気のしない兄に無理矢理外交を任せるなど、クール自身気が気ではないのは確かだ。

 しかしもし兄が失敗するような事があれば、自分がフォローすればいい。

 そのための手段だってちゃんといくつか用意してあるのだ。

 それが自分自身の役目。

 王位に就きたいからじゃない。

 自分は、次期王になる兄の補佐をする為に、ずっと頑張ってきたのだから――……


(兄上の事を思っての事とはいえ、やはり少し強引だっただろうか……)

 嫌がる兄の姿を思い出しながら、いつの間にか小会議室の扉の前に辿り着いていた。扉の前で立ち止まり、しばらく考える。

(乗り気のしない兄上には申し訳ないかもしれない。しかし……)

 資料を持っていないもう片方の拳を胸でぐっと握り締めながら、

(しかし! これも兄上に対する愛のムチだ……!!)

 心の中で自分自身にそう言い聞かせ、その後クールは何事もなかったように小会議室の扉を開いた。




 それから次の日――……


「はぁ……一体、何がなんだか……」

 シーザは昨日クールに言われたように、とりあえずは会議に顔を出してみることにした。しかし、途中参加の上に国の情勢に関しての知識がゼロに等しいシーザは、臣下達と討論するクールの話を隣で聞いていてもさっぱり理解不能だった。

「あーあ、やっぱり慣れない会議になんか出るんじゃなかったかなぁ~……」

 小会議室から出てきたシーザは、一人ごちりながら廊下を自室に向かってとぼとぼと歩いていた。

 会議は長い間座りっぱなしで疲れるは、話の内容がちんぷんかんぷんだは。

 こんな疲れるだけの行事に、これから一体何度出なきゃいけないのだろうかと思うだけで溜め息が出る。

 ぼーっと考えながら廊下の角を曲がった時――……

「きゃっ……」

 どんっという軽い衝撃で我に返ったシーザは、目の前に散らばったシーツとシーツを被ってしりもちをついている侍女の姿に気づいた。

「……った~……」

「あ……ご、ごめ……」

「どこ見て歩いとんのじゃこのデカブツがっ!!」

 謝りながら助け起こそうと手を差し出そうとしたシーザに、侍女は被ったシーツを剥ぎ取りながら、聞き慣れない言葉遣いの第一声を浴びせてきた。

「え……」

「あ……ヤバ……」

 侍女の罵倒に唖然としているシーザの顔を見るなり、侍女はバツの悪そうな顔をした。そしてごまかすようにホホホと笑いながら、散らばったシーツを拾い始めた。

 突然の出来事でびっくりしたが、差し出しかけた手の行き場を失いながら、侍女のシーツを拾う姿を見るやいなや、シーザは慌てて一緒に拾うのを手伝った。

「あ、あの……だ、大丈夫……ですか?」

「え、ええ、大丈夫ですことよ~。お気になさらずに~~ホホホ」

「そ、そうですか……ハハ……ハ……」

 侍女の言葉遣いには多少無理が感じられたような気がしたが、さっきの噛み付きそうな勢いはなかった。

 一緒にシーツを拾いながら、シーザはたどたどしい丁寧語で話すその侍女と少しだけ話をした。

 侍女は明日の書庫公開行事の準備の為に臨時で雇ってもらったのだと言っていた。そのせいか、どうやらその侍女は自分がこの城の王子だという事にも気づいていないようだった。

 王族特有の金の髪と青い瞳――その両方がありありな自身の外見を見て分からない人がいるなんて今時珍しいが、言って驚かせる事もないだろうと、シーザもあえて正体を明かさないままにした。

 見た目は侍女にしては幼く、16、7歳くらいだろうか。邪魔にならないように一つにまとめた長いピンクの髪がとても印象的だった。

 シーツをまとめ終わる頃、シーザはさっき自分が聞いた侍女の罵倒は自分の気のせいだったような気がしていた。


 二人がかりで拾った事もあって、廊下に散らばっていたシーツは思いのほか早く片付けられた。

 シーツを入れて運んでいたかごの中には、シーツが全て綺麗に納められていた。

「お手伝い、本当に有難うございました」

「ああ……うん。足元気をつけてね」

 礼を言いながら頭を下げる侍女に、シーザはそれとなく気遣いの言葉をかけた。

「お気遣い痛み入ります。それでは」

 侍女はそう言って笑顔でもう一度頭を下げると、シーツを納めたかごを持って踊り場の方へ歩いていった。

 シーザはしばらく侍女の後ろ姿を見送っていた。


 侍女の姿が見えなくなった頃、自分も自室に向かって歩き出した。

(最初はちょっとびっくりしたけど……)

 曲がり角でぶつかって、侍女に怒鳴られたような記憶はあったが、何と言われたのかはもう既にシーザの頭の中から抜け落ちていた。

「結構……可愛い子だったかも……な。ハハハ……」

 シーザは立ち去り際に見せた侍女の笑顔を思い出すと、照れくさそうに頬を掻きながら顔を緩ませていた。


 しかしシーザがそう思っていたのは、次の日から開催される大書庫公開行事の最終日の夜までだったが。




 城内の取りまとめ、各領の使者との交渉、交流会の準備と段取り……

 相変わらずついていけない内容に頭をぐるぐるさせること更に三日――……既にイベント前日の夜になっていた。


 シーザは自室のベッドにうつ伏せで倒れこみ、はぁううぅぅ~っとため息とうめき声の混じった奇妙な声を発していた。

 クールに声を掛けられてから今日までの四日間、気乗りがしないながらも、クールや臣下達に会ってしまった時はそのまま逃げるわけにもいかず、会議に参加する毎日だった。

 しかし言わずもがなクールや臣下達がさも当然のように行っているやりとりの内容はちんぷんかんぷんで、気絶をしては叩かれを繰り返し、この数日だけで疲れがピークに達していたのだ。

「ああ……自分で自分を褒めてあげたい……」

 シーザは一人、どこかで聞いた事があるような台詞を呟いた。

 確かに、シーザの身体は人並以上に頑丈なのだが、体力は人並以下なのである。今までのずぼらな生活が更にそれに輪をかけていた。ここ最近は立ちっぱなしの状態が続くおかげで、身体中がぎしぎしと悲鳴をあげている。

 会議中も臣下達――特に自分を王座に推している者達――が常に目を光らせているから気が抜けない。それは大いにシーザへの精神的プレッシャーとなっていた。

 おかげで部屋に戻ってからは何もする気が起こらず、ベッドにバタンキューで一日が終わり、現在に至るのだ。

「もう明日かぁ……。さすがにのんびり好き勝手やってた時とは違って、時間がたつのが早いよなぁ……」

 大書庫の公開行事は明日から三日間開催される。行事はたいてい五日間の日程で執り行われていたが、今回は王不在の事情により急遽いつもより二日少ない日程で設定された。

 無論、最終日に割り当てられた自分の役目をちゃんとこなせる自信などあろうはずもない。

 だがそういうところでは周りがフォローをしてくれると言っていた。それなら自分よりも優秀な弟や臣下達に任せてしまえば問題なくいくだろう、とシーザは相変わらず他人に頼りっきりの考えだった。

「確か明日の朝も早いんだっけ……? ホント、クールも他の臣下達も、こんな生活やってられるなんて感心するよ」

 早寝早起きの生活がほんの数日続いただけだというのに、今までの自由気ままな生活がやけに懐かしく感じられた。

 シーザはうざったそうにそのまま枕に顔をうずめる。


 明日から三日……イベントが開催される三日間我慢すればいい。

 そしてそれを乗り切れば、また今までのようにのんびりぶらりの生活にカムバックだ。

 そうしたらまた何をしようか……?

 やっぱりまずはゆっくり寝たいなぁ。侍女の運んできてくれる朝食の匂いで目覚める、っていうのがこれまたたまらなくいい。

 久しぶりに庭でのんびり昼寝としゃれ込むのもいい。

 ああ~楽しみだ~……


 目の前にある苦難の数日はそっちのけで、シーザは頭の中でその先にあるマイ・パラダイスへの夢を過剰に膨らませ現実逃避を図っていた。

 そして数分後には、そのうつぶせ体勢のまま夢の中へ旅立っていた。



 城内では、使用人達が飾り付けの最後の確認作業に取り掛かっていた。

 そんな中、シーザの部屋の前の廊下をブツブツ文句を言いながら歩く、一人の侍女の姿があった。




 シーザが眠りに就いた同じ頃――


 もうすぐ消灯時間になる騎士団寮の廊下をものすごい剣幕で足早に歩く一人の少年の姿があった。

 年は十代半ばを少し過ぎたくらいだろうか。先のはねた深緑色の髪は、肩にかかるかかからないかの長さで、ガーディアン・ナイツ支給の制服を生真面目と思わせるほどきっちりと着用している。少年の右手には、報告書のような紙が握られていた。

 若干幼さが残る赤茶の瞳には、怒りに近い感情をあらわにし、目的地に向かってずんずんと歩く。

 いくつか並ぶ扉の一つの前で立ち止まると、ノックもせずに勢いよく扉を開けた。

「隊長! クレスェント隊長!!」

 開けると同時に、その部屋にいるであろう人物の名前を呼ぶ。

「どこですかっ! クレスェント隊長!!」

「はーい、こっちこっち~」

 部屋の奥の方から気のない返事がかえってくる。少年は部屋の左手にある寝室への扉を開け、その先のベランダへ向かう。

 そこにはベランダから夜空を眺める一人の青年の姿があった。

 ずんずんと部屋に入ってきた少年の気配に気づき、クレスェントと呼ばれたその青年が振り返る。中性的という表現が似つかわしい容貌の、顔立ちの整った見目麗しい青年だった。月明かりに照らされた淡栗色の短髪を夜風が微かに揺らす。

「ああ、ローラか」

 部屋に入ってきた少年の姿を確認し、にこりと微笑む。

 それを見た誰もがどきりとするような涼やかな笑顔を無意識に向けるが、ローラと呼ばれた少年はそれどころではないといった様子で、クレスェントの立っているベランダの方へ歩み寄る。

「僕が一体何をしに来たかくらい、分かってますよね!?」

「入ってくるなり唐突だね。まあいいけど。何しに来たか、かぁ……んー……」

 ローラの突然の質問に、クレスェントはそうだねぇと言いながらしばらく考え、何かひらめいたと同時に両手をポンと打ち合わせた。

「あ、夜這い?」

「ちっがーーーうっ!! 何が悲しゅうて僕が隊長を襲いに来にゃあならんのじゃああぁっっ!!!」

「おやおや、それは残念★」

「残念★ ……じゃ、なーーーいっ! まったく! 毎回毎回!! ふざけるのもいい加減にしてくださいよほんとにもうっ!!」

 相手をからかうように冗談交じりで答えるクレスェントに、ローラは顔を真っ赤にしてその場で地団駄を踏みながらすかさずツッコミを入れた。

 二人のそのやりとりは一見漫才のように見えなくもないが、相手の反応を楽しんでいるのは一方的にクレスェントだけで、ローラ自身はかなり本気で怒り狂っている。

「……で?」

「……っ……!?」

「夜這いじゃないなら何なのかな?」

 ツッコミ疲れて肩で息をしているローラにはお構いなしに、クレスェントは先程と変わらない笑顔で尋ねる。

「どうしたもこうしたもないですよ! 何ですかこれは!!」

 大きく一息ついてそう言うと、ローラは手に持っていた一枚の報告書をクレスェントの前に突きつけた。

「明日の大書庫公開行事の警備、ウチの隊にも出動要請が出てるじゃないですか!! そんな話、僕は今日までひとっことも聞いてなかったんですけどっ!?」

 用件を一気にブチまけるローラをよそに、クレスェントは突き出された報告書を受け取り、テラスにもたれかかってざっと目を通した。

「あー……そういえば来てたね、こんなの」

 その内容への興味を示さないクレスェントのあからさまな態度に、ローラは更に詰め寄る。

「何のんきに構えてるんです! 一体どうするんですか!! どーせ隊長の事だから、配備の分担なんて決めてないんでしょう!? 明日ですよ、明日! 今からじゃあ間に合わないんですからねっ!!」

 今から隊員達を召集するには時間も遅い。それに、明日に備えて既に眠ってしまった隊員達も数人いる。

「……いいんじゃない? 決めなくても」

 慌てる様子もなく、クレスェントはローラに報告書を返しながらあっさりとそう答えた。

「はあ!?」

「明日の朝、ヘルゲイズに決めてもらえば何とかなるよ。別に人員不足ってワケじゃないんだし」

「……そうやってまた副隊長にまかせっきりで……」

 眉間にしわを寄せたまま、ローラは大きなため息をつく。

 クレスェントの『面倒な事は隊員任せ』は今に始まった事ではない。隊内の任務やら雑務やらは、たいてい副隊長のヘルゲイズが指揮を執っている。

 その間当のクレスェントはというと、定期購読している雑誌の発売日だとか、人と会う約束があるんだとかで城下に出掛けたまま、放っておいたら夕刻まで帰って来ない事がしばしばだった。

 だが年中無休の仕事であるガーディアン・ナイツには、時に緊急を要する任務を告げられる事もある。その場合は隊長以外の者が勝手に隊を動かす事ができない為、隊の中では一番の新参者であるローラが、その度に城下へクレスェントを探しに行かされていた。


 こんなずぼら精神万歳で、何で隊長になれたんだこの人は……。


 それはローラの中で、『クレスェント隊七不思議』の一つに数えられていた。


「明日は城下も賑わってて、きっと楽しいだろうねぇ。イベント事となると無駄に盛り上がるからね、王都は」

 クレスェントはふふっと楽しそうに微笑む。

「……隊長……」

 しかもまたサボる気なのかこの人は……と、ローラは呆れ果ててそれ以上言えなかった。

 クレスェントはローラに背を向け、また夜空を見上げる。点々と輝く星空の中で、月ももうすぐ満月になろうとしていた。月明かりだけでも外は随分明るい。

「それにね」

「……『それに』……?」

 突然切り出されたクレスェントの言葉の続きを待つように、ローラが繰り返す。

「久々に楽しい事が起こりそうな予感がするんだよ」

「予感……ですか」

「うん。……あ、でもちょっと違うかも?」

 月を眺めながらクレスェントはうーんと、自分の今の気持ちに見合う言葉を探す。

 予感よりも、もっと確信めいた感覚。

 訪れるべくして訪れる、心が呼び合うような想い――


 そう……これは『運命』……と言うのかな。


 ぽつりと、そう呟いた。



「……隊長。余韻に浸っているところ申し訳ないんですけど」

 少しの沈黙の後、ローラが口を開く。

「んー?」

「前々から何度も言ってますが、僕は『ローラ』じゃないって言ってるでしょう!? まったく、一体いつになったらちゃんとした名前で呼んでくれるんですかっ!!」

「えー、『ローラ』って可愛いじゃない? 結構いいと思うんだけどなぁ」

「いいワケないだろこのずぼらニストがーーーーーっっ!!!」

 ローラ――どうやら通称名のようだ――の叫び声は、開け放たれたままの扉から、同じ階にある他の部屋にも響き渡った。




 そしてついに、第16回大書庫公開行事の当日の朝を迎えた――

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