プロローグ
もうすぐ会える。
どうしてだろう。
確証はない。けれど、
最近、とみにそう感じている自分がいる――……
「あっちだ! 絶対に逃がすな!!」
とある屋敷の警備隊隊長の声が、既に寝静まった街に響いた。
その声を聞いて、他の警備隊員が隊長の後に続く。彼らの走るその先を、一つの影が走っていた。
雲が月の光を遮り、視界を阻む。
そのせいで顔などははっきりとは確認できないが、頭に被るように巻いているのであろうバンダナの根元を結んだ先が走るリズムに合わせて揺れている。前を走る影の身の丈や身体のラインなどから、女性である事は追いかける隊員の誰しもが確認できた。
「待てーっ!」
「我々から逃げられると思うなよっ!!」
「くそっ……いい加減にっ……観念しろっ!!」
追いかけながら隊員たちが口々に叫ぶ。
かれこれ十数分、前を走る影を探し、見つけては追いかけるを繰り返していた。隊員の中には、走り通しでさすがに疲れが見えてきている者もいる。
「……まったくもう、しっつこいわねぇ……」
追われる影がぽつりと呟いた。その声はまだ成人に満たない少女のものだった。
「さて、そろそろいいかしら」
そう言いながら、少女は街の細い路地へ入る。少女を追いかける隊員たちも後に続いて路地の角を曲がった。が――……
「…………」
「い、いない……?」
曲がった先は行き止まりになっていたが、そこに少女の姿はなかった。
「まだそんなに遠くには行ってないはずだ! 周りをくまなく探せ!! どうせまたその辺りに隠れて……」
「た、隊長! あ、あそこに……!!」
突然、隊員の一人が叫んだ。その隊員は、呆気にとられたような顔で屋根の向こうに見える時計台を指差していた。
警備隊員全員が時計台の方向に顔を上げ、そして愕然とした。
自分たちが追っていた人物はその時計台の屋根の上に立っていたのだ。今いる場所から追いかけるにはあまりに遠すぎた。
「それじゃあね。お仕事お疲れ様~★」
追いかけるのを観念したようにこちらを見上げる隊員たちを背中越しに見下ろしながらそう言い残すと、少女は時計台の屋根から他の建物の屋根に飛び移っていった。
一瞬だけ雲が晴れ、月の光が少女の横顔を照らす。
その日は上弦の月の見える夜だった――……
王以外になるのだとしたら、自分には一体何ができるのだろう?
自分のあまりの至らなさに、
ある日ふと、そんな事を考えた――……
「次期王には一体どちらの王子がなられるのだろうか……?」
王都コーデリアの城内では、臣下たちの間でそんな話題が頻繁に交わされていた。
数日前――……コーデリア国王が突然の体調不良で倒れ、静養のため公務を退いていた。王の命に別状はないようだが、連日の微熱とめまい続きで公務への早期復帰は難しい状態になっている。そんな中ふと、「王がこのまま公務に復帰されず隠居されるようなら、次の王をたてなくてはならないのでは?」という疑問が臣下たちの間で広まった。
王都コーデリアには王子が二人いる。
王家の証でもある黄金の髪に碧海色の瞳という特徴を強く持つ第一王子のシーザ=ランクード=フォン=コーデリア。
第一王子と一つ違いだが、文武両道に優れ、臣下たちの期待も厚い第二王子のクール=シェイリーヴ=フォン=コーデリア。
尊重すべきは王家の者たる『象徴』か、それとも王としての『統率力』か――……
当の本人たちを尻目に、この二人のどちらが次期コーデリア王に就くのかで、臣下たちの意見が真っ二つに割れていた。
「兄上、どうかされたのですか?」
第二王子クール=シェイリーヴ=フォン=コーデリアが心配そうな面持ちで、書斎の椅子に座りやる気がなさそうに机に突っ伏している第一王子シーザ=ランクード=フォン=コーデリアに声をかけた。
「あ、いや……ただ、大臣たちにいつものように小言を言われただけだよ」
シーザはそのまま顔だけ起こし、実弟でもあるクールの方を見て苦笑いを浮かべて言った。
王家特有の外見を強く持っているとはいえ、シーザは武術や学問に関してはクールに比べてからっきし駄目なのである。
そんなわけで、自分側についていると思われる臣下たちからは、「それでは立派な王になれません」と釘を刺され、一方クール側についていると思われる臣下たちからは「国政を仕切れないような愚兄に次期国王は任せられない」と陰口を叩かれ……。
今までも少なからず言われていた事だったが、次期国王の座の噂が広まってからというものそういった内容を耳にする事が頻繁になり、シーザはいい加減めいってきていた。
「まあ、何もできない、っていうのは本当だし……言われても仕方ない事だな。私も、次期国王にはクールがなればいいと思うよ」
「兄上……!? そんな……どうしてそんなにあっさりと諦めるんですか!!」
臣下たちの言い分を全くと言っていい程認めてしまっているシーザに対し、クールは若干声を荒げながら兄が突っ伏している机をばんと叩いた。弟の突然の行動に、シーザはびくりと体を起こす。
「私は……次期国王になりたいとは思っておりません。臣下たちが何と言おうとも、それは今だって変わりません。だから、次期国王には兄上こそが……」
「クール王子! こちらにいらしたのですかっ!!」
「……っ……」
慌てて飛び込んできた臣下に話を遮られ、クールはその後の言葉を飲み込まざるを得なかった。王子二人が次期国王についての話をしているのを臣下に聞かれてしまうのは、今の状況ではあまりに危険だからだ。
「どうした? 何か急用か」
「はい、北領からの大使殿が国の納税について話し合いたいと……」
「わかった。……すぐに行く」
臣下に急かされ、クールはあまりの勢いに押され呆然と座っているシーザに背を向ける。そんな兄を横目で振り返りながら、
「もっと自分に自信を持ってください、兄上……」
そう呟いて部屋を出ていった。時間差でパタンと扉が閉まる。
「…………」
クールの出て行った扉を眺めながら、シーザはまた机にうなだれる。
「自信を持て……か」
出際に呟いたクールの言葉を自分に言い聞かせるように繰り返す。
「私が人に誇れるものなんて何もないのに、それで一体何に自信を持てと言うんだ……」
体を机に突っ伏したまま、シーザは横目で部屋の窓を眺めた。
雲に隠れていた太陽が少しだけ顔を出し、窓から刺す日差しが眩しかった。
王子たち自身、兄弟としての仲はさほど悪いものではなかったが、最近ではそんなぎこちない内容の会話ばかりだった――……
「今夜はゆっくりしていけるんでしょう?」
宵闇の中にランプだけを灯した一室のダブルベッドに寝転がっている話し相手の傍へ寄り、女はベッドに座りながら聞いた。
女は長いゆるやかなウエーブの髪に、胸元が大きく開いた紅いイブニングドレスをまとった好色系の美女だった。
「うーん……明日の準備とかもあるから無理だろうね」
ベッドに寝転がっていた女の話し相手は、無造作に起き上がりながらそっけなくそう答えた。ランプにの灯りに照らされたその人物もまた中性的な顔立ちの見目麗しい青年だった。
「さて、あとは帰って自分の部屋で寝る事にするよ」
「こんな美女を目の前にして、つれないのね」
ベッドから下りて部屋の扉へ向かおうとしていた青年の服の裾をつかんで女は呼び止めた。
「だって、本当に寝てるだけなんですもの……」
「やっぱりダブルだと広くて、寝るには最高だね」
既成事実の一つでも期待していたのだろう女には、どうあっても自分の魅力のとりこにならないこの青年の態度に少々苛立っていた。
今まで自分の思い通りにならない男なんていなかったのに――そう思うと、このまま何もなく家に帰すのは屈辱的だった。
「誘ったのはそっちでしょう? 女に恥をかかせないでちょうだい」
そう言いながら女は青年の唇に自分の紅い唇を重ねようとせまった。あと数センチと近づいたところで、
「実はオレさ――……」
せまってくる女におかまいもなく、青年が喋り始める。
女は仕方なく顔を離す。そうせざるを得なくなる女の行動を読んでいたかのように青年は少し微笑み、そして話を続けた。
「実はオレ、今週付けでこの街離れて王都勤務になったんだよね」
「…………で?」
脈絡もない話の内容に女は怪訝そうな顔をした。しかしそんな事はおかまいなく、青年はその話を続ける。
「だから、明日中に部屋の荷物まとめなきゃいけないワケ。そうしないと宿舎の契約切れて追い出されちゃうんだよ。オレ、野宿なんて嫌だし」
「…………それで?」
「そうだ、それにちょうど定期購読していた雑誌の契約も今月で切れるんだった。王都なら自分に買いに行けるかなー……なんて」
「……だから……何?」
「だからもう帰るの。離してくれる?」
青年は笑顔で、女がつかんでいる服の裾を指差しながら言った。
「……っ……じゃあ何で、私に声をかけたのよ!?」
女は青年に噛み付かんばかりの形相で怒鳴り散らした。それでも青年は顔色一つ変えずに、
「うーん……結構お金持ってそうだったからー……かな? 最後くらいはこの街で一番いいベッドで寝ておきたいもんね」
悪びれた様子もなく、笑顔のままそう答えた。
「なっ…………!?」
あまりの返事に女が怯み、青年の服の裾をつかんでいた力が緩んだ。その隙に青年は女から離れ、扉に向かった。
「あ、そうそう、お姉さん」
扉に手をかけ、少し開いたところで青年は思い出したように立ち止まり、後ろを振り返った。唖然としていた意識を何とか戻してきて、女は青年の呼びかけに答えた。
「な……何よ……?」
「お姉さんがこの街で一番の美女だって言われてるんだっけ?」
「……それがどうしたのよ」
「思ってたよりたいした事ないね」
「!!!!!!!!!!」
それだけ言い残して青年は部屋を出て行った。
「…………っ…………!!」
最後の最後まであの青年に屈辱を味わわされた気分だった。
初めて言われた言葉に対するあまりのショックに気を失いそうになりながらも、女は声を振り絞って叫んだ。
「こんのっ……ヴァカやろうがあぁぁーーーっ!!!」
女に残されたのはその部屋のバカ高い宿泊料だけだった。
「んー……まだちょっと寝足りないかも……」
伸びをしながら青年は暗くなった街道を歩いていた。
空を見上げると、そこには上弦の月が顔を出している。
「あと八日くらいで満月かぁ……」
そう呟きながら、青年は歩みを止め、月に向かって右手をかざして瞳を閉じた。
大丈夫。
もうすぐ会えるよ。
だってこんなにも心が呼び合っているのだから――……




