残り6日 逃げられない予感。
日曜日の朝、スマホの通知音で目が覚めた。
枕元で光っていた画面には、昨日のやり取りがそのまま残ってる。
陽翔:今日はありがとな
陽翔:楽しかった
陽翔:明日も空けとけ
……。
(あー……何回見ても、ニヤけるのやめたい。昨日結構楽しかったんだよ。)
ベッドの上でゴロゴロ転がって、
「いや、別にそういう意味じゃないし」って誰にともなく言い訳した。
子どもの頃、あいつに「明日も遊ぼ!」って言われると、
次の日の朝5時に目が覚めてた。
今思えばあの頃から、“また明日”の言葉に弱い。
(でもどう考えてもデートのおかわり、だよな……。)
リビングに降りると、
母さんが新聞片手にコーヒー飲んでた。
テーブルの上にはパンの皿と、封筒。
「織、学校から書類届いてたわよ」
「ん? ……なにそれ」
「転校手続きの案内」
「……あ」
昨日まで“冗談の延長”みたいに話してたことが、
現実の紙になってテーブルに置かれていた。
紙一枚の重さって、こんなに重かったか?
現実って、ほんと静かにやってくるんだな。
「来週の金曜までに引っ越し先決めて、
その次の週には向こうの学校行くって」
「……早すぎない?」
「父さんの転勤が急だからね」
「父さん、今どこ行ってんの?」
「もう新しい支社の近くの仮住まい探してる」
(おい……もう確定コースじゃん。)
弟の知がトーストをくわえながら言った。
弟は今中2だ。
「俺も転校なんだろ? 友達に言っとかなきゃ」
「そりゃそうでしょ」
知が眉をしかめた。
「うわ、めんど……でも新しい学校もちょっと楽しみ」
「お前は順応早ぇな」
「兄ちゃんもすぐ友達できるって」
「できるか!」
知が笑って、ジュースを飲み干した。
「でもハル兄、絶対泣くね」
「なんでそこ陽翔の心配してんの」
「だって兄ちゃんより、ハル兄圧倒的に顔に出る」
母さんが吹き出した。
「ほんと、仲良いわね。それで家族全員引越しなのに、心配されてるのは織じゃなくて陽翔なのね」
家の中で“陽翔”の話題が出るのなんて日常茶飯事で、誰もそれを「特別」だとは思っていなかった。
◇◇
部屋に戻ってスマホを握る。
織:転校、確定っぽい
織:来週の土曜に引っ越すかも
陽翔に送ったのに既読がつかない。
たったそれだけのことで気になるの、
ほんとに俺も寂しがってんのかなって思う。
それから、全然既読がつかない。
(未読スルーとか、そういうキャラじゃないじゃん)
なんか、落ち着かない。
昨日まであんなに近かったのに、今日は画面の向こうが急に遠い。
(やっぱ、デートっぽかったから? 意識した? 俺が? いや、あいつが?)
頭の中がぐるぐるしてる間に、母さんが声をかけてきた。
「織ー、段ボール持ってきたから荷物まとめてねー!」
「……まだ1週間あるのに!」
俺は机に突っ伏した。
「……ああああ……最悪」
段ボールが、未来を形にしてる気がしてで気分が悪い。
◇◇
昼過ぎ、玄関のチャイムが鳴った。
ピンポーン。
(宅配? いや、このタイミング……)
ドアを開けると、陽翔が立ってた。
パーカーにデニム。目の下に少しクマができてる。
「行くぞ」
「……は?」
「顔見たら、なんか我慢できなくなって。行くぞ」
「え?だから、どこ――」
手首を掴まれる。
昨日と同じ手の熱さで、昨日より少し強い。
(……なんだよ、もう。
既読つけないくせに、
来るとか、意味わかんねーよ。)
でも、掴まれた手を、振り払えなかった。
商店街を抜けて、歩きながらも陽翔は何も言わない。
冗談も、からかいも、全部どこかへ消えてる。
ただ、隣で歩く足音だけが近くに聞こえる。
そういや……子どもの頃、俺が迷子になったときも、あいつは無言で手を引いてくれたっけ。
やたら安心したのを、いまだに覚えてる。
なのに、今は
同じように隣にいるのに、落ち着かない。
「……ねぇ、どこ行くんだよ」
「公園」
「また急だな」
陽翔の歩幅が少しだけ速くなって、
追いつこうとした俺の肩が軽く当たった。
その瞬間、変なふうに心臓がドクッと鳴った。
(やめろって。歩いてるだけだろ。普通だろ……?)
「急じゃない。昨日の続きだ」
「昨日の……?」
(続きって、それ、つまり……)
陽翔が軽く笑った。
でもすぐに、ふっと真顔に戻る。
◇◇
公園に着くと、ベンチの上に落ち葉がちらほら。
去年の春、ここで花見してたとき、
陽翔がカメラ越しに俺を撮ったことを思い出す。
あのときはこの公園、一面桜の色してたんだ。
日曜の午後なのに、意外と人はいない。
自販機で買った缶コーヒーを渡されて、俺はなんとなくベンチに座った。
「なぁ、織。転校、マジなんだな」
「うん……今朝、書類来た」
「そっか」
それっきり、陽翔は黙った。
缶のプルタブをいじる金属音だけが響く。
「……なんか言えよ」
「言ったら、泣きそう」
「は?」
「冗談」
「全然冗談の顔してないんだけど」
陽翔が笑って、でもすぐに真顔に戻る。
その切り替えが速すぎて、胸がざわざわした。
「……冗談じゃないかも」
「おい」
空気が少しだけ変わった気がした。
風の音が止まったような……。
代わりに心臓の音だけが耳に響いてる。
陽翔がベンチから身を乗り出して、まっすぐ俺を見た。
そのまま俺の顔を覗き込む。
陽翔の喉が、一度だけ鳴ったのが聞こえた。
迷ってるみたいで、でも逃げない目をしてる。
陽翔の瞳に空の色が映ってる。
琥珀みたいな茶色が、不思議なくらい柔らかく見えた。
「織」
「……なに」
「俺さ、いつからなんだろうな」
「は?」
「お前のこと、普通に見られなくなったの」
「はあ!?」
俺が声を上げると、陽翔は少しだけ笑った。
でも、その目は冗談じゃなかった。
「な、なに言ってんの」
「気づいたら、お前のこと探してた」
「……」
息を呑む。
たった一言なのに、空気が一気に変わる。
「で、昨日さ。
“楽しかった”ってメッセージ打ちながら、気づいた。
あー、これやっぱ完全に好きだなって」
(……え、え、なにその急展開。今、こ、告った?
え、昨日のUFOキャッチャーの流れから恋愛告白ってアリ?頭追いつかないんだけど。)
「……俺が転校するから焦ってるとか、そういうことじゃなくて?」
「それもある」
「やっぱあるんかい」
「でも、ずっと前からだよ」
「……」
陽翔は息を吐いた。
それが震えてるように聞こえたのは、俺のせい?
「お前が遠く行くって聞いて、
初めて俺のものじゃないって思ったら、ムカついた」
陽翔が視線を落とした。
「誰が誰のものだって?」
「だからムカついた」
「意味わかんない……」
「わかんなくてもいい。
でも、俺は――お前が好きだ」
また風が止まったみたいに、空気が静かになった。
心臓がせわしない。
缶コーヒーの熱が、まだ指先に残ってる。
なに言ってんの、こいつ。
ほんとに言った?
『好き』って言った?
しかも俺に?
なんで、そんな普通に……。
「……嘘?」
「嘘じゃない」
陽翔の声が静かで、やさしかった。
その静かなのが逆に怖い。
俺は口を開いた。
「でも……」
「でも?」
「俺たち、ずっと一緒にいたし。
なんか、そういうのじゃなくて……」
「……そういうのって、どれのこと言ってんの?」
「友達とか、幼なじみとか……!」
「じゃあ聞くけど、
お前、他のやつに手つながれてドキッとする?」
「っ……!」
「他のやつに“可愛い”って言われて赤くなるの?」
「や、やめろって!」
陽翔が一歩近づく。
吐息がかすかに顔に当たって、言葉が喉につまる。
「答えろ」
「……っ、知らねーよ!」
陽翔が少し笑って、俺の肩を軽く押した。
「ごめん。でも、今は知らなくていい。
けど、俺は諦めない」
「は?」
「転校しても、諦めない」
「なにそれ……」
「好きって言ったんだ。引っ込めるわけねーよ」
そのあと、何も言えなくなった。
帰り道も、ふたりとも黙ったままだった。
小学校の帰り道も、こんなふうに並んで歩いてた。
その頃から、沈黙のときほど、あいつはなにか決めてる顔してた。
隣を歩く陽翔の姿をチラッと横目で見る。
その肩の線とか、歩き方とか、今さら気になってきた。
こいつ、いつのまにこんな男っぽくなったんだ?
街灯がひとつずつついて
どこかで子どもが「また明日!」って叫んでる。
(……『また、明日』なんてさ。
それ、俺らにはもうないかもしれないのに。)
家の前で陽翔と別れて部屋に入った時、
ポケットの中でスマホが震えた。
陽翔からのメッセージ。
陽翔:今日もありがとな
陽翔:明日も空けとけ
(……バカ。)
でも、笑ってしまう。
なんか涙が出そうなくらい、笑った。
〈残念なお知らせ。〉
明日から、俺はもう逃げられそうにないのかも。
読んでいただきありがとうございます。




