(9/9)彼の役割
よくぞ聞いてくれましたーーーー!!!
紫陽は5年前。タカハシの授業を受けた帰りに買った『みだれ髪』を思い出した。
最後の『解説』に晶子の年表が載っていたのだ。
「『しょう』です。『与謝野志ょう』。出生名は『鳳志ょう』です!」
「そう。『ショウ』さんだね。今だとなかなか女性名とは思われない」
「昔の女性にはよく「お」がつきますよね。『お梅さん』とか。『お鷹さん』とか」
「でも『志ょう』だと『オショウサン』になってしまうね」
「『和尚さん』はおかしいですね!」
2人で愉快になって笑った。
紫陽は嬉しかった。夫はわかってくれていたのだ。
16歳の鏑木紫陽がここまで与謝野晶子にのめり込んだのは訳があった。
タカハシの授業を初めて受けた日。『先生』は黒板に美しい字を書いた。
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夏の風 山よりきたり三百の 牧の若馬耳ふかれけり
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すでに『高橋先生』に心を奪われていた紫陽は書店で作者の本を買い求めた。
与謝野晶子 『みだれ髪』
最後の解説まで読んで衝撃を受けた。『与謝野晶子』はペンネームで、本名は『与謝野志ょう』というのだ。
私と…………同じだ。
中の「よ」が私は大きくて、晶子は小さいけど同じ名前だ。
与謝野晶子は私だ。
「しょう」は「水晶」「結晶」の「晶」と読み方で繋がる。
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われの名に太陽を三つ重ねたる親ありしかど淋し末の日
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『太陽』が『3つもある』
鳳晶子
それが旧姓『鳳志ょう』が選んだ新たな名前であった。
「与謝野晶子は生涯5万首の歌を詠んだんだ。紫陽がその中でもっとも好きな物は何なの?」
紫陽はソファからガバッと跳ね起きて背筋を伸ばした。
「それはもちろんアレですよ!」
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やは肌のあつき血汐にふれもみでさみしからずや道を説く君
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「私ずーーっと思ってましたからね! 先生『スカした鬼太郎』なんかやってないで、早く私を抱きしめてくれないかなぁって!!」
タカハシは頭をかいて苦笑した。
「授業中ずーーっと思ってましたっ!!」
「そんなこと生徒に思われてたら授業がやりづらくなるよ……」
構わない。紫陽はタカハシをぎゅーっと抱きしめるとその唇に自分を押しあてた。道なんか説かせない。何も言わせない。彼の中に甘い蜜だけ注ぎ込むのだ。
唇を離してから恋人に問うた。
「先生は。あるんですか? 与謝野晶子で1番好きな歌」
「うん。俺はね。夫の寛が死んだ後に晶子が詠んだ歌だよ」
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良寛が字に似る雨と見てあればよさのひろしと云ふ仮名も書く
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細い雨が。窓ガラスをつたうのを見ながら、その中に夫の名前を探したのだろう。
最初に恋をして、最後まで愛した人。
「与謝野鉄幹と与謝野晶子の出会いは『短歌界の寵児と一介の門下生』としてだった。『与謝野鉄幹先生』と『鳳志ょう』としてだったんだ」
「はい」
「それがいつの間にか立場が逆転していく。1人は太陽のように輝きを増してゆくスター。1人は才能を枯らして落ちぶれていく男だ」
「……はい」
「明治38年には、雅号の『鉄幹』すら捨ててしまい『与謝野寛』に戻った。『卑下慢』と陰口を叩かれていたそうだよ。自身を卑下しながらも慢心であるという意味だ」
「つらいですね」
「商業出版が叶わなかったんだろうね。自費出版した『鴉と雨』にはこうある」
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われを見る髑髏の目より流れたる涙とばかり白き朝かな
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紫陽はゾッとした。
彼の心の中にぽっかりと2つ。空虚という入り口が広がっているようだ。
「夫婦でいれば、好いた惚れたばかりではいられないよ。そこには生活があり、摩擦がおこり、価値観の違いに泣く日もある」
「はい」
「与謝野晶子も歌を詠んだ」
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死ぬ夢と刺したる夢と逢ふ夢とこれことごとく君に関わる
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もはや相手に感じるのは愛なのか憎しみなのか喪失への恐れなのか。
からまり合ってどこまでも。君、君、君、君。
「歴史で言えば2人は『あの与謝野晶子とその夫の鉄幹』だったけれど。2人きりのときはただの『与謝野志ょう』と『与謝野寛』だったんだ。周りが何と言おうと2人だけにしか見えない世界と、2人だけにしかわからない関係性があった」
「はい」
「それで最後まで晶子は鉄幹に恋をしていたと俺は思うよ」
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『あらざりき』そは後の人のつぶやきし我には永久のうつくしの夢
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「そんなことあり得ない」人が呟いたとしても、私には永遠の美しい恋なんです。
そうだよね。晶子。そうだったんだ。
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筆硯煙草を子等は棺に入る名のりがたかり我を愛できと
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これもまた鉄幹への挽歌だ。
筆やすずり箱、タバコなど愛したものを子供達は棺に入れるけれど。
本当に愛したものは私でしたね。あなた。
「夫婦として見られるのも今が限度で。俺が50歳の時、紫陽は33歳。60で43歳。70でまだ53歳。親子だって言われ続けるよ。それでもいい?」
「もちろんですよ! 周りが何と言おうが『高橋是也と高橋紫陽』の生活をしていきましょう!」
「うん」
「是也さんは最高ですよ。お父さんにも先生にも恋人にも夫にも友達にも兄にもなってくれる! そんな人是也さんしかいません!」
「あ……まあ。17歳も差があると確かに『お父さんごっこ』はやりやすいだろうね……」
「今度『息子』もやりますか!?」
「死んでもやりません」
ふふふふ。タカハシは笑った。
「紫陽。おいで」
「はい」
タカハシは自分の膝をポンポンと叩いた。
「膝の上に乗りなさい」
「はい!」
紫陽は是也の膝の上に座った。首に腕を巻きつける。
「死んだお父さんがよくやってくれたやつだ〜」
ピッタリと夫の身体に張り付く。
是也は紫陽の髪を撫でた。目尻を崩して笑った。
「……紫陽。大きくなったね」
「はい」
「たった10歳で紫陽を置いて天国に行ってしまってごめんね」
「いいよ。お父さん。10年分しっかり愛してくれたもの」
そのまま目を閉じてお互いの体温を感じ合う。
「紫陽」
「はい」
「あと何か俺にできる役割はある?」
「え?」
「結婚2年目が今日からスタートするし、やって欲しいことや、止めて欲しいことはない?」
紫陽はしばらく考えた。
「あ! あります!」
「うん。何でも言ってごらん?」
「今私たちって週1回か2回じゃないですかぁ」
!!!!!!!!
タカハシは急にソワソワし出すと紫陽を膝から下ろし明後日の方向を向いた。ズボンの裾を右手でやたら引っ張る。
高橋紫陽もうすぐ22歳。そんなことで遠慮しません。
夫の腕をぎゅうっとつかんだ。
「そこをね! 何とか『週7』にしてもらえませんかね!」
「死んじゃう! 心臓マヒで死んじゃう!!」
「え〜〜〜〜〜〜〜〜。17歳も若いお嫁さんを貰ったんだから頑張りましょうよ!」
「17歳も年上を旦那にしたんだからそこのところは我慢して!」
学校じゃあ『スカした鬼太郎』と呼ばれている夫の悲鳴を聞きながら、新妻は追い詰めるのである。
「是也さんのこと早くパパって呼びたいなあ♡」
「……………………」
とうとう夫が顔を背け、右手で口を覆った。
顔が赤くなってしまったのを隠そうとしているのだろう。まあ、無駄だ。
「『先生』も『友達』も『彼氏』も『夫』も『お父さん』も『お兄ちゃん』もこなしてきたんだから、次の役割は『パパ』ですよ! パパ!!」
妻にソファへ押し倒されてしまう。
口を隠した手を妻が引き剥がす。キスするためだ。
「あ……ちょ……ちょっとしよう……」
小さな声で抵抗されるが知りませーーん!!!
「子供12人目指して。今日も頑張りましょうね〜〜〜♡」
撃沈した。初めて会ったその日から、この子に勝てたことなんかない。高橋紫陽は高橋是也に圧勝し続けるのである。
(終)
お読みいただきありがとうございました!
❇︎与謝野晶子の本名は歴史的仮名遣いのため『与謝野志やう』が正式な書き方になります。本稿ではわかりやすさを優先し『志ょう』と記載しました。
*『与謝野晶子』の処女歌集『みだれ髪』は『鳳晶子ーーHOSHOUKOーー』名義ですが、いつしか文学仲間に『あきこさん』と呼ばれるようになり、『よさのあきこ』と名乗るようになったとのことです。
【次回作】『卒論は大変!』〜夫が『伝説』だからって教授たちが私を溺愛してきて困ります。『どうせ旦那が卒論代筆したんでしょ!?』ってそんなわけないだろっ!爆乳突進女子大生、全力で『ざまぁ』します!!〜』
高橋紫陽22歳。大学3年生。
エロイ体・純粋な思考•突飛な発想の3拍子。
死ぬほど好きな高校時の担任と結婚して1年。まだまだラブラブです。
ところが卒業論文の指導教官をめぐり、教授たちが紫陽を取り合って大混戦。
え!? 夫が大学の『伝説』!? なんか知らんが困ります。私は平凡な学生なんですぅ〜!
おまけに学生たちから『卒論は旦那の代筆』とあらぬ疑いをかけられてしまう。
お前ら全員論破してやるっ。
カカッテコイヤァ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!
爆乳突進女子大生、ブチギレです。
「是也さん! 見ててください。私、全力で『ざまぁ』します!!」
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【2022年3月29日初稿】
☆☆日間16位☆☆週間36位☆☆月間69位☆☆
感謝です☆
引き続きお星さまの到来をおまちしております。
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