第82話 ただの人さ
「ここは……」
「どこなんだろうね……」
抑えた声で話すカトリーナ。
俺たちが転移された場所は暗く、消毒のような独特の臭いが漂っていた。明かりは一定間隔に設置された氷塊が放つ淡い光のみ。そこ以外に明かりはなく、周囲を見渡しても真っ暗だ。
一体どこまで続いているのか……正直、部屋の広さが分からない。窓もなく、まず壁が見当たらない。どこに出口があるのやら。
俺とカトリーナは追いかけていた男とともに転移した。男の方は到着直後すぐに気絶させた。
散々鬼ごっこさせられて、こいつには想像以上に体力を奪われた。全く手間をかけさせやがって……。
少し腹が立ったのでぺちんと頬を叩いてやった。男は腹が立つぐらい気持ちよく寝ていたが。
男に気づかれず近づけたのは、カトリーナの力のおかげだ。彼女は固有魔法以外にも精神異常系の魔法を使えるらしく、数分間ならば男を騙すのも容易だった。
カトリーナがいなければ、逃げられていたか十中八九自爆していた。本当にカトリーナがいて良かった。
一列に並んだ背の低い円柱の台座。その上には大きな氷塊が飾られてあった。下の台座からライトが照らされ、宝石のように氷はキラキラと輝いている。氷を照らす光は地面に反射し、幻想的な空間を生み出していた。
「これは…………」
その透き通った氷の中で眠っていたのは行方不明となっていた子たち。目を閉じ、静かに眠っている。制服を着たままだった。抵抗した時にできたであろう傷も残っている。
「なんで氷の中に…………」
カトリーナも目を見開き、氷の中の少年少女たちをじっと見つめる。
恐らく、彼らは捕まってすぐに氷漬けにされたのだろう。周囲に敵がいないことを確認すると、俺は静かに一つの氷に触れた。
「ネル、この氷は解かせれそう?」
「普通の氷じゃない……かなり時間がかかる」
しかし、派手に炎をあげると気づかれる。炎魔法を使って氷解できなくもなさそうなので、炎魔法を応用し手だけを温め氷に触れた。
「…………?」
おかしい。何も起きない。特殊な氷魔法を使っているのか、そもそも氷魔法でもないのか………。
『ネル、真正面10m先に敵がいる』
脳内にカトリーナの声が響く。彼女の視線の先を追うと、人影が1~2人あった。
『こちらに気づいているか?』
『いや、気づいてない。でも、こっちにくる』
気づかれてないのなら、一旦暗闇の中に身を潜めてもいい。
隠れて敵の動向を探って————。
「————へぇ、君たちそんな魔法を使えるんだ?」
「「⁉」」
氷塊に映る見知らぬ顔。ぎょろりと見開いた目がそこにあった。氷の反対側に人がいた。さっきまではいなかった。気配もなかった。カトリーナすら気づいていなかった。
氷から離れ、俺はカトリーナとともに距離を取り、杖を構える。氷を通して見えた菫色の綺麗な瞳。瞬きもせず目はひたすら俺たちをじっと見つめ続けた。
「まさかここまでくるなんてね、流石はアルカイドの勇者だ」
「…………お前、誰だ?」
他の敵には気づかれたくない。声を押さえて俺は問う。
「ネル、手は離さないで」
カトリーナにぎゅっと手を握られる。手は震えていた。男の存在に気づけなかったから、不安に思うのも仕方がない。
カトリーナの探知に引っかからない。それだけでぐっと警戒心が高まる。
「ふふっ……」
一方、男は名乗りもせず笑うだけ。氷塊を挟んでいるのもあるが、企みが分からないその不気味さに、より一層歪んで見えた。
「おい、答えろ。お前は誰なんだ」
「ふふっ……何にでもない、ただの人さ」
人であることには間違いない。人に擬態する魔物や魔族でなければ、たいていの場合特徴的な外見を持つ。種類にもよるが、角が生えていたり、頬に鱗があったりとパッと見れば違いが分かる。
リコリスも悪魔なので角がある…………今は隠してはいるが。
しかし、突如現れた男にはそれがない。もしかしたら、服の下に何かあるのかもしれないのだが、それらしい雰囲気もない。
『ネル、この人の言ってること………たぶん、本当だと思う』
カトリーナのお墨付きと出たのなら、人間なのだろう。カトリーナが反応できなかったことから、不確実な判断かもしれないが。
そもそもその人間がなぜ生徒の誘拐を? 目的は?
その疑問を気づけば、男にぶつけていた。
「何のためにこの子たちを誘拐した?」
「さぁ……僕は知らないよ」
「関係者だろ?」
「そうだけど……詳しくは知らないんだ。ごめんね」
男は立ち上がると、氷塊の回りを回って俺たちに近づいてくる。男が一歩踏み出す度、ドクンと鼓動が波打つ。
俺はカトリーナを庇うように構える。正体不明なこの男がどれほどの能力を持つのか分からない。場合によっては苦戦する相手だ。
「大丈夫、痛いことはしないよ」
メンヘラみたいなことを言う男だ。安心なんてできない。警戒が一層高まる。メンヘラ発言と裏がありそうな笑みはどう見たって、痛いことをしてくる。テンプレートだ。
しかし、男は何の武器を持っていなかった。杖すらもない。
『ネル、走って』
『置いて行けるか』
カトリーナを置いて行くことなんてできない。逃げるなら、二人で、だ。
誰かを犠牲に生きるなんてごめんなんだよ。
俺はカトリーナを抱きかかえ走り出す。全速力だった。
少し走って距離を取れたと思ったその時————。
「もう……痛いことはしないって言ったのに」
「————は?」
…………おかしい。幻覚でも見ているのだろうか。
走り出した先に男がいた。
さっきまで後ろにいたはずの男が、俺たちの目の前にいた。
カトリーナですら、感知できなかった————。
この男は今までの敵の比じゃない。
オーラこそ弱く覇気もないが、能力が、早さが上だと確信する。
「大丈夫、僕は物理的な痛いことはしない主義なんだ」
近づく男の人差し指。紫に妖しく光る瞳が俺たちを捕えて離さない。
「大丈夫、君たちもおやすみ」
眠りに誘うような声。微笑む男の指先が、トン、トンと俺たちの額に振れる。
「っ…………」
抵抗する間もなく、俺たちは深い眠りへと落ちて行った。




