やがて世界は怒りに満ちる(5)
それはいつもの夜だった。いつもの夜のはずだった。
たまたま立ち寄った、汚い街で仕事終わりの一杯の酒を飲もうと入った酒場での出来事だ。
俺たちは7人で活動している。持つ者から奪い、持たない者からも奪う、そういう仕事だ。このあたりは帝国兵の間に賄賂が横行し、結果的に誰も支配できない法の抜け穴のような街や村がいくつもある。そのあたりで盗めば捕まる可能性は限りなく低い。このあたりで得たものを持ち出し、帝国本土の近くで売ればかなりの利益が出た。
「ブマリ、もうやめとけよ」
「うるせえ、俺の勝手だろ」
リーダーのブマリがずいぶんと飲んでいる。今日の仕事はうまくいき、酒が進んでしまったようだ。
「にしても、リナの今日の手際はすごかったな」
俺がリナに話をふった。彼女は富豪の屋敷への潜入のとき、じつにみごとな軽やかな身のこなしで門番を昏倒させると鍵を奪い取り、堂々とした裏口からの侵入に大きく貢献した。
「やめてよ、アタシはいつも普通にやってるだけ」
妖艶に口元にグラスを運ぶリナはそう、いつだって魅力的だ。抜群のスタイル、しなやかな手足、なにより目元がとてもいい。何を考えているかわからないミステリアスな雰囲気だが、口を開けばさっぱりした性格なのがよくわかる。
「いいや、おまえのおかげだ、今夜抱いてやってもいいぜ、がははは!」
ブマリが大声で笑いながらリナの肩を抱き寄せる。妙にうっとりしたような顔を見せるリナに、俺はほんのすこし複雑な気持ちになる。ごまかすように目の前の大きなカップから酒を煽った。
「そう悲しそうな顔するなよ、ダリス。キミも良い男だよ?」
そういって俺を慰めるのはファルナ。露出の激しいリナとは対照的に、全身をひらひらした布で覆った服装で、俺たちの中で唯一の魔術の使い手だ。帝国孤児のファルナは体のあちこちに入れ墨が掘られており、それを隠すための服装らしい。俺も肌を見たことはほとんどない。ファルナがいうには、「肘、膝までびっしりだよ」とのことらしい。深く詮索する気は俺にはない。
「へっ、そうかよ」
ブマリ、リナ、ファルナ、そして俺がカウンターで飲んでいるが、近くのテーブルでゴル・ロップ・ミワの三兄弟が静かに食事をしている。いつものことだが、奴らは根が暗いのか、楽しく笑っているところをみたことがなかった。
(そういえば、ファルナも)
こいつはいつもニコニコしているが、楽しそうかと言われると、俺にはそうは思えなかった。記憶を遡って見ても、仲間内で楽しく談笑している様子を思い出せない。
ひとり記憶の発掘作業にいそしみながら、時折酒を口に運んでいた。ぼんやりと酒場の主人の禿げた頭が視界を右に左に動くのを眺め、そうでないときは棚に積まれた酒を見つめ。
どれくらい経っただろう。
俺の思考は怒号で中断された。元々この酒場は主人のほかに従業員が見えなかったのだが、俺の知らない間に1人増えたようだった。とはいうものの、ずいぶんと小さな子供だったが。
「テメェ、よくも俺のブーツにぶちまけてくれやがったな!」
主人の孫だろうか、小さな女の子が転んでいた。近くにはひっくり返った酒瓶と、立ち上がったブマリ。
「どう責任取るんだ、ああぁ?」
あれはまずい。見境なく怒り散らす、ブマリの酔った時の悪い癖だ。大抵の場合はブマリが相手を意識が飛ぶまで殴っておしまいだが、今回は子供だ。さすがにそこまではしないだろう、と思っていたのだが。
この筋肉の塊のような歩く野蛮はそんな紳士性は持ち合わせていなかったようだ。まぁ、そうだろう。
少女の首根っこを掴んで持ち上げて怒鳴り散らしている。
「おい、ブマリそれは」
俺がつい口を出す。しかし、周囲の酔っ払いどもはもう何も見えていない。
「嬢ちゃんやっちまったな!ははは!!」
「どうすんだガキ!!!」
「剥いちまえ!わはは!!」
俺は頭を抱えた。なんてことだ。俺たちは確かに悪人だ。盗みを働く悪人だ。だが、だれかれ構わず蹴散らすのはおかしい。力のない者から奪ってもなにも手に入らないのだから。
俺の不安とは対照的に、周囲の囃し立てる声に調子を良くしたブマリは少女のエプロンをはぎ取った。
「な、なにすんだよ!」
すでに涙目になりながら抗議の声をあげる少女。手足をばたつかせるが、ブマリの身長は単純に少女の二倍ある。まったくの無意味だった。
「ほれ」
靴を脱がせる。裸足になった。
ズボンをひん剥く。素脚が晒された。
羽織っていたチョッキをはぎ取る。あとは肌着と下着のみだ。
「ああ、お客さん、やめてあげて…孫はまだ8歳で…」
主人がついに我慢できずにカウンターから回り込んでフロアに出てきた。俺はいたたまれなくなり、壁際に寄った。顔面を蒼白にしたファルナも隣に来た。
「うるせえ!」
ブマリが主人を蹴飛ばした。ただでさえひびが入り朽ちかけていた入り口の扉ごと、主人は外に吹っ飛んで行った。
それさえも笑うフロアの客。どうしていいかわからない。この酒場には狂人が集まるのか?
ブマリが少女の泣き顔を見て笑う。アイツも酔ってるだけだとは思えない。リナさえも笑っている。
そんな箍が外れるような要素がどこにあっただろうか?俺がいまからブマリを殴って止めることができるだろうか。いや、俺が奴に勝っているのは剣技くらいのものだ。たとえ不意を突いて顔を殴り飛ばしたとしたても、ダウンも奪えないだろう。奴が打撃でふらついているのを見たことがない。森の中でダンドロスの突進を受けたときでさえけろりとしていた。石壁を粉々に砕くダンドロスの頭突きだというのに。
俺には止めることはできない。そんなことをして怪我をするのはバカバカしい。たった一人の人間が多少苦しむだけだ。
「はなせよ!やめろよ!」
宙で手足をばたつかせる少女。無関係だったはずの周囲の客もブマリを囲んで盛り上がっている。
「ははは、殴って黙らせようぜ」
何も知らない男たちが煽る。煽る。
「お前が殴ると大抵二度と喋らなくなるからやめろ」
せめてもの慈悲として、俺は壁際から声をかけた。もう見ていられなかった。
その時だった。
いつもの夜と少し違ったのは。
ブマリが大声を出していれば、大抵の人間は小さくなっている。誰しも殴られるのは嫌だろう。
俺は驚いた。隣にいたファルナも同じだろう。虫も殺せなさそうな、ひょろりとした男がブマリの前に立ったのだから。
「帝国の人間か?」
その男は身長だけは俺よりもすこし大きかったが、顔つきだけなら男か女かいまいちわからなかった。だが、その言葉に並々ならぬ怒気が込められていることはよくわかった。そして、ブマリにはそれがわからなかったようだった。
「ちげえよ、バカか」
突然暴言を言い放ったブマリ。呼応するようにそのひょろい男は一歩前に出た。
「そうか、その子を放せよ」
ブマリがキレた。奴はいつも剣が出る。相手が誰だろうと、どこだろうと、キレたらまっさきに剣を抜く。ブマリは少女を床に投げ捨てた。
「テメェなぁ…」
数年前に豪邸から盗んだ、業物中の業物。名工ドルデンハークが鍛え上げた、白銀に輝く両刃のロングソード。切れ味は鋭く、そっと触ると手に血がにじむほどだ。
「死ね」
そして斬りかかる。酒が入っているからか、本調子と比べて鈍い動きだったが、それでも不意打ちには違いない。
しかしひょろい男は飛びずさってそれを避けた。ブマリがそのまま2撃目を繰り出したのさえも避ける。それどころか、避けると同時に飛び込んで顔面に右拳を突きたてていた。
「やってくれんじゃねえか」
大して動じていないブマリ。ひょろい男は拳を引いてブマリの様子を見ている。
「テメェ、なんだ?帝国に恨みがあんのか?」
男は返事をしなかった。視線が少女にちらりと向いた。
「だんまりか。ハッ。まぁどうでもいいんだがな」
ブマリはニヤリと笑った。なんで笑えるんだ?酒のせいだとしたって悪い冗談だ。
「八つ当たりで殴られちゃたまったもんじゃねえよ、なぁ!」
ロングソードは振り下ろされた。床に放り出されて呆然としていた、少女の背中に。
「アアアアアアアあああっ!!!!」
俺にはわかった。あれは死ぬ。太い血管が切れている。まだ幼いのに。かわいそうに。
そこから先は正直、良く見えなかった。
ひょろい男が一歩右足を踏み出しただけに見えた。だが、背筋をはぎ取られるような恐ろしい感覚があった。
そして、ブマリの頭がはじけ飛んだ。まるでヤツの頭が初めから爆弾だったかのように。なぜそんなことになったのかわからない。
その結果を見てから、ひょろい男が左拳をブマリの顔面に叩き込んだことを理解した。
とんでもない男と関わってしまった。俺は窓際で震えていた。恐怖にではない。
どちらかというとこれは、喜びの震えだ。
とりあえずこれで4と5の視点違い同一時間軸はおしまいなので次から時間が進みます。たどり着いたこの街がやばいところであるというところを表現していきたいです。
お読みいただいてありがとうございました!




